エピローグ
俺は部屋の窓辺に立ち、真っ暗闇の大海原をぼうっと眺めていた。
確かに『神殺し』という最大の禁忌を犯したにも関わらず、魔界の審判神は一向に俺の前に姿を現さない。
やはり、全ては最上級死神ネルガル・ザヘルモートが仕組んだ罠――。
そこにジェロモ・クレインという死神が混ざることで、魔界の勢力図が根底から一気に覆る可能性が出てきた。
ネルガル、ジェロモ、八神――。
それぞれの思惑が交差し、その中心に『神殺し』の力を持つ俺がいる――。
ただ俺は遥風を助けたかっただけなのに、力を手にしてしまったが故に、面倒臭いことにばかり巻き込まれてゆく。
正直に言って、こんな危なっかしい能力はさっさと封印してしまいたい。
だが――。
「……あれ? 八神さんは?」
ようやくシャワーを浴び終えたのだろう。
濡れた長い銀髪をバスタオルで拭きながら遥風がリビングルームに現れる。
「もう居ねぇよ。お前らの風呂が長すぎるから、飽きてどっかに行っちまった」
「えーー! 八神さん、もう居ないんですかぁ~? うーん、残念……」
遥風の後ろを付いて来た今日子はショートの金髪をタオルで巻き付けたまま、ガックリと肩を落とす。
俺の目の前には風呂上がりの十代の女性が二人もいるという、俺の人生史上最も奇跡に近い状況となってはいるが、今はそんなことはどうでも良かった。
「……なあ、木浦今日子サン」
「あ、今日子でいいよー、翔太君。私あんまり『さん』付けで呼ばれるの慣れてないからさー」
そう言った今日子は遠慮なく、先ほどまで八神が座っていたソファに勢い良く腰を降ろした。
さっきまで震え上がっていた女は一体、何処へ消え去ってしまったのだろう。
遥風もそうなのだが、女とは心底タフな生き物なのだなぁと感心してしまう。
「……俺の事、怖がってないみたいだけど、なんで? ていうか、どうして俺が見えるの?」
「怖い? 別に、全然。あの大友輝明っていう死神は怖かったんだけど、翔太君はむしろ……キュート?」
「……キュート……」
俺はジト目で横にいる遥風に視線を向ける。
何故か知らないが遥風は腹を抑えて笑いを堪えているらしい。
「翔太君が見える理由は私にも分からないんだけど……。でも確か、死神って一回でも契約したことがあれば、他の死神でも見えるようになるんだよね? 昔、なんかの都市伝説の雑誌とかで読んだことある気がする」
「へぇー、今日子って事件の記事以外にも、そういう系のやつも読むのね。意外ー」
「そりゃぁ、読むわよ。私だって年頃の女の子なんだし」
いつの間にか二人は話に花が咲き始めている。
完全に俺は置いてけぼりを喰らった形だ。
俺は懐中時計に視線を落とす。
時計の針はあと五分ほどで21時を指す頃合いだ。
「もうそろそろ救助隊が来ても良さそうな時間だが――」
俺がそう呟いた瞬間、遠くの空からヘリコプターの慌ただしい翼の音が船内にまで響き渡ってきた。
遥風と今日子は顔を輝かせ、二人とも窓辺に立ち空を見上げる。
「あ! ほら、ヘリコプターのライトが見えるよ遥風!」
「はぁ……。やっと家に帰れる……。これで全部終わったのね……」
暗黒の海原を照らす救いの光。
その光の筋は瞬く間に何本もの帯となってプラチナローズウィップ号を照らしていく。
「……? 救助のヘリにしては、数が多すぎねぇか?」
俺も彼女らと一緒になり窓から外を眺めるが、肉眼で数えても七、八機は確認できる。
それにどうやらヘリだけではなく、いつの間にか巨大な海上船も数機、この大型客船の航路を塞ぐように周囲を取り囲んでいた。
「そりゃ、この船にはまだいっぱい人が乗っているんだから。救助するんだったら、沢山ヘリとか船とか用意しないと駄目なんじゃないの?」
「いや、それはそうなんだが……」
「……ねえ、遥風、翔太君。あそこにいるの……八神さんじゃない?」
「え……?」
「へ……?」
窓辺から甲板の方角を指差す今日子。
確かにその場所の最先端、最も船全体が見渡せる場所に八神は一人、立っていた。
そして何やら右手を上げ、スイッチのようなものを上空に向かい見せつけている。
「……おいおいおい、あいつ、あんなことしたら――」
ヘリコプターから伸びた光の帯が一斉に八神を照らす。
まるでステージに立つかのように、八神は眩い光に包まれながらニヤリと口を歪めた。
『テロリスト、八神祐介に告ぐ!! 我々日本は、決してテロには屈しない!! 速やかに乗員乗客を解放し、投降せよ!!』
周囲に響き渡るスピーカーから溢れる声。
船内からはどよめきとも怒号ともとれる群衆の叫びが木霊している。
「『テロリスト』って……八神さんは嘘のテロを――」
「いや、違う。あいつは、こうなることを最初から計画していた――。くそっ! だから契約条件にあんな内容を――」
奴との契約の段階で、俺は気付くべきだったのだ。
――八神は、初めから死ぬつもりだったということを。
奴が『死神の書』の【殺害対象】に記入したのは『クルーズ船プラチナローズウィップ号の乗員乗客全て』だ。
そう――。あいつは契約の穴を利用して、自分だけが助かる方法を用意していたわけじゃない。
八神が偽のテロを起こした本当の理由は、テロリストとして自身を他者に殺害させるため――。
俺は慌てる心を抑えて『死神の目』を発動する。
そして光に照らされている八神に視線を向けた。
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【寿命検索対象者】八神祐介/男/平成5年10月5日生まれ
【死亡日】令和4年7月1日(享年27歳)
【死因】失血性ショック死
【詳細】令和4年7月1日21時09分。太平洋の日本列島東の海上、大型客船プラチナローズウィップ号の甲板にて、警察庁警察局国際テロ対策本部の射撃班三名により全身四十数箇所を狙撃され死亡。海中から引き上げられた遺体からは狙撃箇所ではない左の眼球が紛失しており、司法解剖の結果を以てしても紛失の理由は未だ明らかとなっていない。
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「やはりそうだ……! 奴の死亡日が今夜の21時09分になってやがる……!!」
俺はすぐさま懐中時計で時刻を確認する。
現在の時刻は21時08分――。
「嘘……」
「え……? なんで? どうして……」
「八神――――!!」
◇
――僕の名を呼ぶ声が聞こえる。
光の帯に包まれ、ようやく僕はこの世界での役目を終えることになる。
きっと例の女神は手を拱いて僕を待っていることだろう。
「……唯……。ようやく、君の元へ行けるよ……」
――七年。
それだけの歳月が流れたとはとても思えない。
彼女の優しい微笑みも、昨日のことのように思い出せる。
辛いことも。悲しいことも。そして、憎しみも。
僕らは、全てを共有した。
だからこそ彼女を。彼女の姉を。彼女の父を母を。祖父を祖母を。
僕は全員、殺すしかなかったのだ。
『呪い』――。
今度はその呪いを、奴らに向けて、解き放つ――。
『――撃て!!!』
全身を弾丸が貫いていく。
でも、不思議と痛みは感じなかった。
ゆっくりと海に落ちていく僕は、彼と目が合う。
だから僕は、最期に彼に、こう呟いたんだ。
「――ありがとう」
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