026 神殺しの力
「木浦今日子さんはまだ生きている。彼女は大友輝明の『人質』だ。僕はそのことを君達に伝えるように大友に言われてここに来た。云わば大友輝明のパシリ、かな? ふふ、死神の従者というのも意外と悪くないね」
煙草を投げ捨て足で揉み消した八神は、俺達の側までゆっくりと歩んでくる。
こいつの、この『余裕』は一体どこから生まれてくるのだろう。
本当に大友の存在がイレギュラーであったのかと疑ってしまうくらいだ。
「今日子が……人質……」
「ああそうだ。君達も知っているとおり、『死神の書』に記載した殺害対象や条件などは抜け穴だらけだ。殺害条件には『殺害方法は問わず』と『苦しませずに殺害』としか記載が無い。つまり、対象を殺すタイミングは死神である大友に委ねていることになる」
八神はそう答え、いつもの笑みを一旦消し去った。
そして真剣な面持ちでこう切り出す。
「春日部遥風の友人を救い出し、そして春日部遥風の命を救う方法は一つしかない。そしてそれは、魔界のルールを根底から覆す行為だ」
そう言った八神はあの黒い眼帯をゆっくりと外していく。
『等価変換』の能力を持った漆黒の目が、俺の全身を映し出す。
「ふふ、どうだい? 僕を信じるかい? 鈴木翔太君?」
八神は再び俺を値踏みするかのような視線を向けた。
遥風が不安そうな表情で俺を見る。
だが今の俺に選択肢など存在しない。
これが八神の仕組んだ罠だったとしても、遥風が助けれらるのであれば、他のことなどどうでも良かった。
「……いいぜ。お前を信じてやるよ、八神」
「あはは! そう言うと思ったよ、君なら」
嬉しそうに笑い声を上げた八神。
そして『等価変換』の能力を発動し、奴の目から赤い血の雫が零れ落ちる。
「能力発動が完了するまでには時間が掛かる。それまでに僕とジェロモが計画した『シナリオ』を少しは話しておこうか」
奴の掌に落ちた血の雫は前回のようにすぐに不気味な赤緑色をした蔦には変化しなかった。
それだけ今回の『等価変換』は莫大な魔力を消費するということなのだろう。
「どこから話そうか……。やはり僕の『過去』から話さないと、全ては伝わらないかな」
そう言った八神は自身の過去を話し始めた。
◇
――僕は幼い頃から両親の顔を知らない。
自分の本当の名前も知らなければ、何処で生まれたのか、両親が生きているのか死んでいるのか。
そのどれも知ることのないまま、僕は物心付いた頃には蓮常寺定宗という男に拾われていた。
定宗は蓮常寺家の当主であり、恵まれない子供達のために孤児院を運営する『人格者』として、たびたびメディアにも取り上げられるほどの人物だった。
僕は彼に連れられ、その孤児院で生活を送ることになる。
孤児院での生活は思っていた以上に快適で、そこで僕は八神唯という同じくらいの年頃の少女と出会った。
八神家もまた蓮常寺家と長い付き合いがある名家であり、唯はその家の次女として、幼いながらも孤児院で家事手伝いをして働くことになる。
幸福な数年間があっという間に経ち、成人まであと数年というところで、僕は唯に告白をした。
二つ返事で首を縦に振ってくれた唯を抱きしめた僕は、彼女と誓いのキスを交わしたのだ。
その後、孤児院を卒業した僕は八神家に婿養子として迎えられ、家族親戚と共に誰よりも幸せな日々を送るはずだったのだ。
結婚生活を開始し、幸せの絶頂を迎えていた僕らに、ある日定宗から一通の手紙が届いた。
そこに示された場所に僕と唯、彼女の姉、そして彼女の両親と八神家の親戚一同を集めるようにとの内容が記載された手紙だ。
僕らは一抹の不安を感じることもなく、長年お世話になった蓮常寺家にお礼を込める意味でも、盛大に祝い事を行うつもりでその場所へと向かったのだ。
手紙に添えられた地図を頼りに、人気の無い山道を車で延々と進んでいく。
そして到着したのは山の中腹付近にぽつりと建つ、木々に囲まれた古びた屋敷だった。
石作りの巨大な門は厳重に錠が掛けられ、僕らが車から降りたと同時にその門は開かれた。
中から現れたのは人懐っこい笑顔を振りまく定宗だった。
その姿を見て一安心した僕らは彼に招かれ、古びた屋敷の中に足を踏み入れる。
祝いは盛大に行われ、皆がそれぞれ就寝の準備を始めた頃。
僕と唯は定宗に呼ばれ、屋敷の最奥にある『立ち入り禁止』と大きく書かれた部屋へと招かれた。
――定宗がその扉を開けた瞬間、部屋の中からむせ返る様な血生臭い臭気が漂い始めた。
驚愕した僕と唯は部屋の前で立ち尽くす。
部屋は二十畳くらいの広さだったが、そのどれもが赤黒く変色していたのだ。
ゴロリという音で我に返った僕は、足元に何かが転がってきたことに気付く。
――頭、だった。
人間の、それも見覚えのある、頭だ。
口元を抑え、僕は後ろを向いてその場で蹲る。
勇気を出して、もう一度部屋の中に視線を向ける。
頭の他にも、腕、どこかの内臓、そして引き裂かれた服などがいくつも見える。
そのすべてが鋭利な刃物で斬られたというよりは、獣に喰われたような跡として残っていた。
定宗は言った。
『お前達をここに呼んだのは、そろそろお前達を落ち神様に上納する時期だと判断したからだ』、と。
その言葉を聞き、部屋の奥の襖の先にいる巨大な影が動き始めた。
そしてゆっくりと襖が開き――。
――そこから醜い、巨大な怪物が姿を現したのだ。
◇
「『落ち神』……? なんだそりゃ?」
「……元は『死神』さ。魔界で禁忌を犯し、死神としての能力を奪われ、下界に追放された者達の総称――。今から約二百年前、落ち神を発見した人々はそれを『神』と称え、人知れず山奥に匿い、敬い、奉ったんだよ」
八神の言葉を聞き、息を呑む遥風。
そんな与太話を信じる者など、通常は居ないのだろう。
だが遥風は違う。
すでに『死神』の存在を、そして魔界のルールとやらを知ってしまっている。
「『落ち神』の大の好物は人間の血肉だ。だが長年人肉を喰らい続けてきた奴は、更なる上質な肉を求めて研究を始めた。そして辿り着いたのは――『幸福値』だ」
「幸福値?」
「ああ。人間には皆『幸福値』というものがあるだろう? それを奴は昔、女神から教えてもらったことを思い出したんだ。牛や豚などは酪農家によって大切に大切に時間を掛けて育てられた物のほうが、より味わい深く、美味となる。それと同じで、人間は幸福値が高ければ高いほど、肉の味が格段に旨くなると、落ち神は知ってしまったんだよ」
「……まさか……」
そこから先の話は大体想像ができた。
つまり、八神とその妻や家族、親戚一同は――。
「……『落ち神』に食べさせるために……八神さんや、奥さんを、孤児院で……?」
震える声で遥風がそう答える。
八神はその言葉に頷き、先を続ける。
「あの孤児院は蓮常寺定宗が神と崇めている『落ち神』のために作り上げた人肉牧場だったんだよ。身寄りの無い子供を何処からか貰ってきては、あの孤児院で育て上げ、幸福値が最大になった頃に落ち神に上納する――。上納する人間は何も孤児院の者だけじゃなくてもいい。八神家以外の家事手伝いの人間も、親しくしていた牧師も、過去、もうすでに何十、何百という人間が奴の餌食になってきた」
八神はそう言い、自らの掌に視線を落とす。
徐々に浸透していった血の雫は奴の掌に完全に吸われ、準備が完了したようだ。
「さあ、もう準備は整った。いいかい、鈴木翔太君。もう一度、僕は君に『等価変換』の力を発動する。計画は多少前後してしまったけれど、これが僕とジェロモが立てた『シナリオ』の核の部分だ」
八神の掌から赤緑色の巨大な蔦が出現した。
そして俺と奴の全身を蔦がグルグル巻きにする。
「な……なんなの……これ!?」
遥風が悲鳴を上げている。
そりゃ普通の人間がこんなのを目の当たりにしたら驚いて当然だろう。
しかし俺は、次の八神の言葉で遥風以上に素っ頓狂な声を上げることになる。
「――発動完了だ。これで君は――『神殺し』の力を発動できるようになった」
「………………はい??」




