023 消えたメモ
――大友輝明が私を呼んでいる。
私は彼に逆らうことができずに、ただ言う事を聞くことしかできない。
首輪を付けられ、犬のように彼の足元でひれ伏し、跪く。
大友は私の頭を優しく撫で、そして耳元でこう囁いた。
『どうして、俺を殺した――』。
私は何も答えられないまま、彼の足を舐める。
永遠に続くと思っていた地獄。そこから解き放ってくれた翔太。
しかし平穏は長くは続かない。
それを思い知らされた私はただ、絶望に身も心も飲み込まれていく。
大友は私の髪を強く掴み、自身の顔の前に近付けた。
恐怖に慄く私は助けを求めることも、許しを請うことも許されなかった。
その姿を見て笑う大友は口を大きく開けた。
その口は耳まで裂け、頭蓋の半分が割れたように大きく開いていく。
無数の剣山のような歯が私の頸椎を貫き、そのまま首から上を大きな口で覆われた私は、ぐちゃりという不快な音を上げ大友に喰われていく。
バリバリという咀嚼音が空間に広がり、丸ごと頭部を食われた私の胴体は痙攣し、そして私は絶命する。
それでも大友は食事を止めない。
首の無い私の身体を笑いながら犯し、飽きたらまた食事をする。それの繰り返し。
最後に残った私の右手には、一枚のメモ書きが握られていた。
大友はそれを奪い、そして不気味な笑みを零し、その場から消えて行った――。
◇
「……るか……。遥風!」
「……え?」
私を呼ぶ声が聞こえ、目を覚ます。
周囲を確認すると今日子の姿と白衣を着た人間の姿が二名いることに気付く。
「良かった……! 目が覚めた……! ねえ、遥風大丈夫? 頭とか打ってない?」
「あ……うん。あれ? 私、一体――っ痛!」
ベッドに寝かされていた私は半身を起こそうとしたが、右足首に激痛を感じ顔を歪める。
「ちょっと、無理して起き上がったら駄目だよ! 遥風、プールの底で足首を捻挫して溺れかかってたんだから……! ほんっとに心配したんだからね! 全然浮いて来ないからライフセーバーさんを慌てて呼んできて――」
涙を流し私を抱きしめながら今日子は一生懸命に経緯を説明してくれた。
プールで気を失ってしまった私を抱え上げ、船に常設されている医務室に連れてきてくれたことを理解した私はふとあることに気付く。
「……ねえ、今日子。今何時?」
「え、今? ええと……そろそろ19時になるかな」
それを聞いて私は深く溜息を吐いた。
翔太との約束の時間は17時。
すでに彼はもうそこにはいないのだろう。
「それとごめん。私のバッグを持ってきてくれる?」
「バッグ? いいけど……携帯とかは別に鳴ってなかったと思うよ?」
今日子は席を立ち、私の私物が置かれた籠からバッグを取り出してくれた。
それを受け取った私は一番奥に仕舞い込んだ翔太からのメモを探す。
――無い。ここに仕舞ったはずのメモが、消えてしまっている。
「……」
「どうしたの遥風? 先生は全治二週間の捻挫だって言っていたから、しばらくはプールとか温泉とかは無理だけど、でも部屋で一緒にゲームとかやったり、レストランや映画だって色々と楽しめる――」
「聞いて、今日子。大事な話があるの」
「大事な話って……。……分かった。ちょっと先生と看護師さんに席を外してもらえないか聞いてみる」
私の真剣な表情から何かを察したのか。
今日子はカーテンで区切られた先にいる医師と看護師の二人に事情を説明に行ってくれた。
そしてすぐにまた私の元に戻ってきてくれる。
「はぁ……。人に聞かれたらマズイ話なんて、オフの日に聞きたく無かったんだけど」
そう言い溜息を吐いた今日子は手首に巻いた髪留めのゴムを加え、ショートの後ろ髪を上げて留める。
真剣に話を聞こうとする時の、今日子のいつもの癖だ。
そして言葉とは裏腹に目を輝かせ、私に顔を寄せてくる。
「……で? 遥風がそう言うからには、そういう話、なんでしょうね?」
私は何も答えずにただ首を縦に振った。
今日子は周囲が引いてしまうくらいの『事件オタク』であることは仕事仲間の間でも有名で、暇さえあれば殺人事件の現場や少女失踪事件の現場などに足を運ぶほどの熱の入れようである。
そんな彼女が私の親友となったきっかけは、やはりこれだろう。
「今日子は一年前に都内で起きた未解決殺人事件のこと、知っているわよね?」
「当然。遥風が当事者だってことも初めて会った時から知ってたし。でもそれを理由に遥風に近付いたら私嫌われると思って、数ヶ月は知らないふりして我慢してたの、貴女も気付いているんでしょう?」
――当時、私は塞ぎ込んだ気持ちのまま高校を中退し、そして十八歳の誕生日を迎えた頃、たまたま目に付いたキャバクラ嬢の募集広告を頼りに店に面接に向かった。
そこで面接をしてくれたのは、私と一つしか歳が違わない木浦今日子だった。
彼女はすでにその歳でナンバーワンの地位を築き、オーナーから店を任されるまでになっていたのだ。
履歴書を確認した彼女は、すぐに私が未解決殺人事件の関係者だと気付いたらしい。
ニュースでもしきりに城聖学園の女子生徒が猥褻画像を撮られ、脅迫された事件と殺人事件が関与しているとの見出しで盛り上がっていた頃だから、彼女のアンテナにヒットするのは簡単なことだった。
今日子に自身の『過去』を打ち明けたのは、働き始めて二ヶ月経った頃だ。
ずっと私を支え、仕事を伝授し、世界の広さを教えてくれた彼女に、私の過去を知ってもらいたい――。
そう決心し時間を作ってもらい、二人で食事に行き始めたのが私たちの始まりだ。
最初は驚いた様子の今日子だったが、すぐに話の内容に飛びついて来たのを覚えている。
私としても気を使ってもらうばかりでは疲れてしまうし、彼女のこの趣味に貪欲な姿勢に好感が持てた。
そして時を待たずして、私達は『親友』となったのだ――。
「――その未解決事件の関係者が、私以外にもこの船に乗っている可能性があるの」
私はなるべく感情を押し出さずにそう話す。
その言葉に前のめりになる今日子。
しかし、なるべくならば彼女を巻き込みたくなかった。
私の想像が正しければ、恐らくこの船の上で『殺人』が行われるからだ。
「それは殺人事件の犯人? それとも遥風以外の被害者?」
「それは……分からない。でも、すぐに別の事件が起きるわ」
「別の事件? その犯人がまた別の人間を殺すってこと? それとも被害者がその犯人に復讐を……いや、違うわね。その犯人は大友輝明を殺した人物なんだから、復讐するっていうのなら、バックに居たっていう暴力団かその関係者の報復か――」
そう言い段々と自分の世界へ入って行ってしまう今日子。
でもあまり時間が無い。
死神のことは伏せたまま、どうにか今日子を説得し、翔太に接触しなければならない。
――『復讐』。
その言葉が私の脳裏からこびり付て離れない。
そして私は翔太の過去をすでに聞いている。
突拍子の無い考えであることは分かっている。
しかし、今でも残るあの男の手の感触が、それら『想像』を『確信』へと変えさせるのだ――。




