022 偽りの幸福
「どうしたんだい? そんなにそわそわして。君らしくないじゃないか」
涼し気な表情でカードを持つ八神。
その言葉は俺に向けて放ったものなのだろうが、当然周囲にいる人間には俺の姿は見えない。
対面にいるディーラーが首を傾げているのが見えたが、八神は気にも留めずカードを交換する。
時計の針は18時ちょうどを指していた。
結局、遥風は約束の時間に船の甲板には現れず、俺は肩透かしを食らった形だ。
「僕に会わせたい人がいると言っていたけれど、結局その人にも会えなかったしね」
カードを切り、八神は肩を竦めてそう言った。
どうやら役は揃わなかったらしい。
しかし俺にはカジノでゲームを楽しんでいる余裕などなかった。
あと一時間――。
俺は八神との約束で午後の19時ちょうどに『死神の鎌』を発動する。
「ゲームにも負けたし、時間まで暇だね。……どうかな。口直しに御伽噺でも聞くかい?」
「御伽噺?」
怪訝な顔で俺がそう答えると八神はにやりと笑い席を立った。
そして喫煙所へと足を運び、そこで煙草に火を点けてぽつりと語り出す。
「……昔々、ある所に一人の少年がおりました。その少年は両親や親戚がおらず、食べる物さえまともに手に入らない過酷な日々を過ごしておりました。ある日、その少年は親切なおじいさんに連れられて孤児院へと向かうことになりました。孤児院では日々の食事や寝床に困ることは無く、好きな洋服を買い与えられ、友人も沢山でき、少年は次第に自身に与えられた環境に満足してゆくことになります」
八神は煙草の煙をゆっくりと吸い込み、そして同じようにゆっくりと吐く。
感情を殺したまま、機械的に御伽噺を語る奴を見て、俺は少しだけ背筋が凍ってしまう。
「孤児院には少年と同じく、おじいさんに連れて来られたお手伝いの少女がおりました。そのお手伝いの少女はまだ若く、少年とそう歳が離れておりませんでした。数年が経ち、少年はようやく自分の気持ちに気付きます。その気持ちを打ち明けようか悩んでいたときに、おじいさんから助言を貰いました。その助言通りに気持ちを打ち明けると、そのお手伝いの少女は嬉しそうに首を縦に振ってくれました」
「……? それは一体何の話だ? 本当に御伽噺なのか?」
「ふふ、良いから聞きなよ、最後まで」
煙草の煙を消し、八神は話を続ける。
「さらに数年後、ついに少年は孤児院を発つ日を迎えます。立派な成人になった少年を祝福し、おじいさんとそのお手伝いの少女の家族は二人を祝福しました。身寄りの無い少年は少女の籍に入り、二人は無事に結ばれました。しかしその幸福は突如終焉を迎えます」
立ち上がった八神は俺に背を向けて先を続ける。
「神様は言いました。『お前達の幸福は、私が作ったものだ』と。そしておじいさんも続けて言いました。『神様の言うことを聞きなさい』と。少年と少女の前には、沢山の神様のための料理が食い散らかされていました。孤児院で出来た少年の友達も、別の場所からやってきたお手伝いさんも、いつも気に掛けてくれた牧師さんも、みんなみんな食い散らかされておりました」
「……おい、それってまさか……」
俺が口を挟むと、八神はまたいつものような笑みを浮かべ振り返る。
「どうかしたのかい? ただの御伽噺だよ、ただの、ね」
そう答えた八神は腕時計に視線を落とした。
そして俺に向かって冷たくこう言い放つ。
「――そろそろだね。準備は良いかい? 死神の鈴木翔太君?」




