021 恋する乙女
----------
今日の17時ちょうどに同じ甲板の場所で待っている。
その時にお前に伝えたいことがある。
遅れるなよ。
人でなしの死神より
----------
「……はぁ」
もう何度、このメモを見返しただろうか。
一年ぶりに会った彼は少しも変わっておらず、そして私の心もずっとあのときから時が止まったままだ。
彼と別れ今日子と共に昼食を取った私は、その後もずっと船の中で彼の姿を追った。
しかしこれだけの人ごみの中で彼を見つけることは叶わず、それからはずっとこの調子だ。
時刻は午後の二時を回ったところだろうか。
昼食を終えた私は今日子に誘われ、屋外プールの脇にあるパラソルの下で俯いたまま、本日何度目かも分からない溜息を吐き続けていた。
「……遥風。やっぱ今日、何だか変だよ? お昼だってあんなに美味しい料理がいっぱい出てきたのに、ほとんど手を付けなかったし」
プールでひと泳ぎ終えたのか。
仕事仲間の木浦今日子が濡れた髪をかき上げ私の元にやってくる。
同じ女性として羨むほどのプロポーションを、惜しみなく表現した上下お揃いのビキニ姿が様になっている。
さすがは我がキャバクラが誇るナンバーワンホステスだなぁと今更ながら納得してしまう。
「うん。なんか、ごめん。食欲無いみたいで……」
「違うでしょう、遥風。その『メモ』。あんたずっとそれを見ては溜息を吐いてるの、さすがに気付くんだから。私だって」
咄嗟に隠そうとした翔太から授かったメモを指差され、私の顔は一気に赤く染まってしまう。
その様子をまじまじと観察していた今日子は私の横に座り込み、悪い笑みを零しながら小さな声で耳打ちしてきた。
「……さーっそく、このバカンスでお声を掛けてくる殿方がいるなんて、流石は遥風。モテモテね」
「ち、違うわよ! この人はそういうんじゃ――」
「隠さなくて良いわよ。そのメモを眺めている時の遥風、『女の顔』をしているもの」
「お、女の顔って……」
更に顔が火照ってきた私は慌ててメモを仕舞い込み、トロピカルジュースのストローに口を付ける。
しかし慌てて飲んだためか、ジュースが気管に入ってしまい大きくむせ返ってしまう。
「おや? 動揺しておりますな、遥風殿」
「けほっ、けほけほっ! ……き、今日子が変なことを言い出すからでしょう!」
ジュースを置き、その場から立ち上がる。
もうこうなったらひと泳ぎして頭を冷やさないと、どんどん今日子のペースに乗せられてしまうだろう。
「あ、ちょっと遥風! あと三十分で映画が始まっちゃうよ! ……あー、もう。本当に分かりやすい性格なんだから、あの子は……」
今日子の言葉に耳を傾けず、私はそのまま勢い良くプールへと飛び込んだ。
◇
プールの底に沈み、目を閉じて思考を整える。
自分自身でもこれが『恋』なのかどうかが分からなかった。
でもあれから一年。一時も彼のことを忘れた日はない。
そして彼との最期の日を鮮明に思い出す。
私は朦朧とした意識の中で彼に助けを求めていた。
何度も何度も手を伸ばし、その手は彼の光を掴んだのだ。
彼は最後にこう言った。
『――元気でな、遥風。もう、無茶するんじゃねぇぞ』。
その瞬間、私の脳裏に私の寿命に関する全ての情報が流れ込んできたのだ。
私は最初から、担任の大河原哲也に殺害される運命にあった。
凌辱され、首を絞められ、そして最後は生きたまま火を点けられ焼死するという、壮絶な最期を遂げるはずの私を、彼が自らの意思で救ってくれた。
しかし、それに気づいた時にはすでに彼はこの世にはいなかった。
私を絶望から救ってくれた鈴木翔太という男は、死神だ。
死神に恋をするなんて馬鹿げた話だと私も思う。
でも、頭では理解していても、心がそれに追い付いて行かない。
私はたぶん、彼のことが好きなんだと、そう思う事しかできなかった。
「……?」
誰かが私の名前を呼んでいる気がした。
もしかしたら、なかなか浮かんでこない私を心配して、今日子が水面から声を掛けてくれているのかもしれない。
私は瞑っていた目を開き、プールの底から上昇しようとする。
「(え……?)」
何かが足に絡みつき浮上が出来ない。
私は半分パニックになり、水中で必死にもがいた。
――違う。何かが足に絡みついているのではない。
引っ張られているのだ。水の底から、人の手で――。
完全に取り乱した私は無我夢中でその手を振り払おうとする。
しかしもがけばもがくほど、身体は水底へと引きずり込まれていく。
『……遥……風』
再び私の名を呼ぶ声が聞こえた。
その声は水面からではなく、水底から聞こえてくるようだった。
まるで地獄の底から発せられたような、酷くしわがれ、焼け焦げたような、低く暗い声。
恐る恐る水底に視線を向けた私は驚愕する。
――そこにいたのは、全身血だらけの大友輝明だったからだ。
その直後、私の意識は閉ざされてしまった。




