020 銀髪の女性
「ちょっと待て……。4300人の残り寿命の平均が残り30年だったとしても……」
俺は空間に計算機を出現させて最終的に得られる死神ポイントを計算する。
4300×30×365=47085000。
もはや桁が違い過ぎて何ポイントなのか即座に理解が出来ない。
俺は死神のマニュアル書を具現化してポイント計算表の欄を確認する。
そこに記載されている死神のランクを空間に表示して深呼吸をした。
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〇死神ポイント早見表
【最下級死神】0pt~999999pt
【下級死神】1000000pt~99999999pt
【中級死神】100000000pt~9999999999pt
【上級死神】10000000000pt~999999999999pt
【最上級死神】1000000000000pt~
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「ええと、今回の任務を完了すれば約四千七百万ポイントが獲得できるから……ああもう! 見にくいなこの早見表!」
「下級死神までは一気に昇格できるね。中級死神には一億ポイントが必要だから、そこまでもあと残り約半分で到達できる計算だ。どうだい? やる気が出てきたかい?」
嬉しそうにそう話す八神。
そして俺は考え込んでしまう。
これまでずっと殺しに関しては否定的だった俺だが、今回の案件はあまりにも好待遇な内容だ。
しかもこの契約を成功させれば無期懲役刑も帳消しにされ、最上級死神からも他の死神からも一目置かれる存在になれる。
――『死神は死神らしく、他者に使役していればいい』。
俺の中にいるもう一人の俺が耳元でそう囁いている。
「……もしも、どうしても契約を破棄するのだというのならば、今からでも他の死神を――」
「やるぜ。やるに決まってんだろ。こんな好条件を示されたら嫌とは言えねぇ」
「……契約、成立だね」
八神のその言葉を聞き、俺も覚悟が決まった。
そして俺は『死神の書』を具現化し、空間に条件記入欄を提示する。
「入力方法は……言わなくても知ってるか」
「ああ、もちろん」
八神は空間をタップし、条件を入力していく。
今回は前回と違い『殺害対象』が不特定多数のため、形式を多少変えて表示してある。
「……出来たよ」
八神の言葉を聞き、俺は入力内容を確認する。
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【殺害対象(不特定多数入力可)】クルーズ船『プラチナローズウィップ号』の乗員乗客全て
【殺害条件】殺害方法は問わず。ただし対象を苦しませることなく一瞬で殺害すること
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「……」
「どうかしたかい? もしかして殺害条件が不服なのかな?」
「いや……これでいい。やってやるよ、お前の望み通り」
そう答えた俺は『死神の書』を空間から消失させた。
あとはタイミングを見計らって『死神の鎌』を発動させれば、それで全てが終わる。
――そして俺は、無能な死神という烙印からようやく解放されるのだ。
◇
11時ちょうどの出港に合わせ、日本全国から金持ちどもが横浜港に集まってくる。
俺は船の甲板から、わざわざ殺されに船に乗り込む人間の集団をぼうっと見下ろしていた。
同じ『殺人』でも前回のときとは訳が違う。
殺される理由が無い人間を、無差別に殺す――。
俺は自分の利益のためにそれを承諾し、実行に移すのだ。
「……あれ? 翔太……?」
「あぁ?」
急に後ろから声を掛けられ我に返る。
甲板に上がり、強い風でたなびく銀髪を抑えている一人の女。
どこかで見覚えがある気がするが、記憶にない。
……いや、そもそも何故俺の姿が見えるのだろうか。
「……誰だお前?」
「誰って……失礼ね。たったの一年で私のことを忘れちゃったのかしら、この人でなしの死神さんは」
俺の近くに寄ってきた女は香水の匂いを振り撒いていた。
だが決して嫌な香りではない。
それに思ったよりもこの女が若いことに何よりも驚いた。
歳は恐らく二十歳かそこらだろう。
「……まだ気づかないの? 私よ。春日部遥風」
「…………は?」
「『は?』じゃないわよ。は・る・か。まーた性懲りもなく人間界に戻ってきたのね、貴方。今度は一体どんな悪だくみをしているのかしら」
「……はるか……『遥風』って……あのクソ生意気な女子高生の『春日部遥風』?」
まさかの再会に脳が追い付いて行かない。
何故遥風がここに居て、何故こんな格好をしているのだろう。
彼女は上質なドレスに身を包み、まるで別人のようだった。
「誰がクソ生意気な女子高生よ。……ああ、そうよね。貴方、あれから私がどうなったか知らないんだものね」
遥風はそう言い微笑んだ。
確かにこの笑顔は彼女だ。
俺の記憶にある遥風と目の前の女が徐々に一致していく。
それからしばらく彼女はこの一年の出来事を語り出した。
事件の後、大友の周囲にいた者達は警察や検察の査察を受け、各々が厳正な処罰を受けたらしい。
芸能事務所は暴力団との関係を暴かれ解体。
大友の死は麻薬がらみの殺人として捜査され、今もまだそれは続いていた。
角谷とその仲間達は未成年に対する淫行、児童買春、脅迫、恫喝、傷害などで起訴され。
まだ学生であった新藤や相馬は麻薬取締法違反により少年院へと送り込まれたらしい。
そして最大の被害者であった遥風は――。
「三年生になる前にお母さんと相談して学校は辞めたの。もう私のあの『動画』は拡散されちゃってるでしょう? 今更どうしようも無いし、過去は消せない――。それで十八歳になって、キャバクラで働こうと思って」
「はぁ? キャバクラ??」
「うん。そろそろ半年くらいになるかな。でもね、私と似たような境遇の子もいっぱいいて、そこで友達も出来たの。……ほら、あの子」
遥風が指差す先に、先ほど彼女が昇ってきた甲板に出るための上り階段があった。
そこから出てきたのは金髪のショートカットの女だ。
ピンクのハイヒールが歩きづらいのか何度も階段に足を取られているようだ。
「……そうか。じゃあ、今は幸せだっつうことだな」
俺はそう言って遥風に顔を背けた。
本当に彼女は毎回、運が悪い。
もしかしたら疫病神にでも取り憑かれているのかも知れない。
「翔太は? どうしてこの船に乗ってるの? まさか死神の貴方が豪華クルーズ船でバカンスを楽しむとか言わないわよね」
「当たり前だ」
「……じゃあ、やっぱり誰かが貴方を召喚して――」
その先を言おうとした遥風が急に言葉を止めた。
振り返ると彼女は口を開けたまま、顔面蒼白になり硬直している。
「どうした? 別に何も見えないが」
「……え? あ……本当だ。何だろう、見間違えなのかな……」
「何が見えたんだ?」
「いや、その……ううん。そんなわけ無いわ。……あの男は貴方が殺してくれたんだもの」
「??」
彼女の言葉の最後は風の音にかき消されて聞き取れなかった。
俺はもう一度聞き直そうとしたが、それを遥風の友人が遮る。
「遥風~~。置いて行かないでよぅ~。こんなところで一人で何をしてるのよ~」
「あー、ごめんごめん今日子。ちょっとここからの港の景色が見たくて、つい上ってきちゃった」
俺に背を向けた遥風は友人との話に花を咲かせ始めた。
確かにこうでもしなければ、彼女は延々と独り言を喋り続ける頭のおかしい子だと思われてしまうだろう。
俺は立ち去る前にそっとメモを取り出し、走り書きをしたそれを遥風のドレスに差し込む。
「?」
「遥風? どうしたの、よそ見なんかして。それよりもやっぱ凄いよ、このクルーズ船! レストランも豪華だったし、映画館まであるんだよ! プールもあるし、遥風、水着持ってきたでしょう?」
「あ……う、うん」
はしゃぐ二人の女をその場に残し、俺は再び八神の元へと戻って行った。




