015 クズの最期
遥風は廃墟と化したビルの隙間を縫うように歩いていく。
元々人通りの少ない道であるが、ここを通らずに遥風の家に到着するためには大通りまで迂回をして歩道橋を渡らなければならない。
時間にすると十分ほどだが、それが毎日のことだと思えば近道をするのは仕方がないことだと思う。
薄暗いビル街からは腐った生ゴミのような匂いが風と共に宙を舞う。
恐らくカラスがどこからかゴミを漁り、人気の無いこの場所で宝探しをしているのだろう。
暗い道を抜け、ようやく日の光が差し込む場所へと出た瞬間――。
「きゃっ!」
「おっと。騒ぐなよ」
「……!!」
道端に止まっていた黒い大型の乗用車に連れ込まれる遥風。
口をハンカチで抑えられた彼女は抵抗することもできず、ぐったりとしたまま車内へと運ばれてしまった。
「出せ」
「かしこまりました」
扉が閉まり、何事も無かったかのように乗用車は出発しビル街を迂回していく。
ロータリーをぐるりと回った辺りにある、壊れた信号機の先の立ち入り禁止区域に車は堂々と入っていった。
そこで待っていた作業員風の二人の男に金網の錠が開けられ、更に奥にある廃墟のビルの地下駐車場へと車は進む。
車から降ろされた遥風は自分の足で立つことができず、先ほど口にハンカチを当てた男に抱えられたまま地下エレベータに乗り、そのまま最上階の部屋まで連れて行かれてしまう。
エレベーターの扉が開き、そのまま一番奥の大広間まで彼女は運ばれた。
扉が開くとそこには数名の男と一人の女が集まっていた。
周囲には数々の照明や設備、マットなどが雑然と並んでいる。
「誰かに見られたか?」
「いいえ。念のために迂回をしてから、いつもの出入り口から入りました」
質問に答えた男は遥風をマットに横たわらせる。
まだ意識が覚醒していないのか、彼女の目はとろんとしたまま焦点が合っていない。
恐らくあのハンカチには睡眠薬か何かが染み込ませてあったのだろう。
俺は『死神の目』を発動し、その場にいる全員の情報を開示する。
遥風を車に連れ込んだ『角谷誠二』、助手席に乗っていた『新藤幸次郎』。
今しがた角谷に質問をした『大友輝明』、その横に立ち不敵な笑みを浮かべている『相馬愛』。
乗用車の運転手や作業員風の男二人は芸能事務所の関係者のようだ。
総勢七名の男女が、たった一人の女子高生を囲い込んでいるという異常な光景が眼前に広がっている。
そして恐らく、これが殺害条件の二番目に当たる『親しい人間が全員見ている前で大恥を掻いて死亡』の箇所なのだと想像できる。
「う……ううん……」
「目が覚めたかい? 遥風」
半身を起こし、周囲を見回す遥風。
彼女の目の前にいる髪の茶色い長身の男――大友輝明は笑顔でそう彼女に話し掛けた。
「……輝……明……」
絶望した表情の遥風は、そのままこの異常な空間に視線を凝らす。
その場にいる全員が不敵な笑みを浮かべて自分を見下ろしている――。
次の瞬間、彼女は嗚咽を漏らしその場で吐き戻してしまった。
「おいおい、遥風。駄目じゃないか、こんな場所で吐いたりしたら。おい、片付けてやれ」
大友の命令で作業員風の男の一人が雑巾とバケツを用意し、遥風が汚した床を綺麗に拭いていく。
全身が震えたまま遥風は、そのまま後ずさっていくことしかできない。
「あはは! どこに逃げようって言うんですかぁ? 春日部先輩ぃ?」
「もう諦めろよ春日部。この状況で逃げられるわけねぇじゃん。飯嶋の家の時みたいに警察が来ることも絶対にねぇし」
そう言って笑い声を上げる相馬と新藤。
二人とも遥風が怯える様子を見て心から楽しんでいるようだ。
「大友君がこうやってわざわざ遥風ちゃんのために『舞台』を用意してくれたんだからさぁ、いい加減抵抗しないで俺らと楽しもうよ、ね?」
遥風の前まで歩いて行った角谷はその場でしゃがみ込み、遥風を諭すようにそう言った。
「……い……嫌……もう……やめて……」
「はぁ~~。どうします、大友君? 遥風ちゃん、泣いちゃいましたけど」
「あははは! 泣いてる! 本当に泣いてるじゃん、春日部先輩! 超ウケるんですけど!」
「あー、もうカメラ回して良いっスかね。段々ダルくなってきたし」
泣き止まない遥風に業を煮やしたのか。
角谷を後ろに下がらせた大友は跪き、彼女の顔にそっと手を当てて優しく語り掛ける。
「遥風。君はまだ俺のことが好きなんだろう? 俺だって君のことが好きだ。だから君が俺に告白してくれたときも君を受け入れたし、俺達は結ばれた。なのにどうして俺の願いを聞いてくれない?」
大友は遥風を慈しむような眼をしていた。
しかし彼女はその目に視線を合わせようとしない。
ただただ首を振り、大友に対して拒絶の反応を繰り返している。
「あの時だってそうだ。俺達が初めて結ばれた日――。あれだけ愛し合った後に、君は急に『過去』のことを話し出した。辛かったんだろう? 苦しかったんだろう? 実の父親に性的な虐待を受け続けていた君の心は深く傷付いていた。でも、俺はもっと傷付いたんだ」
徐々に大友の声色が変わり始める。
それを予測してか、遥風は必死に逃げようと再び後ずさりを始めようとする。
しかし大友に抱きしめられ、身動きが取れない遥風。
「……どうして、あの時、急に過去のことを話したんだ? せっかくクライアントが全員見ている前で君を抱いてあげたのに。君が急に過去のことを話したせいで、君を処女だと伝えていた件が全て台無しになってしまった。配信は中止。……あの、お前の一言のせいで、何百万も損失したんだ。分かるか、遥風? 何百万だぞ、何百万。生配信なんだよ。ふざけるのもいい加減にしろよ」
「……う……うう……」
「お前も気付いているとおり、角谷と新藤にお前のレイプ動画を撮らせたのは俺だ。損失が出たのは遥風、お前のせいだろう? まだ半分も損失分が埋まってねぇんだよ。……でもな、遥風。今日の配信はかなりの数のクライアントがいる有料チャンネルだ。これで一気に損失分が回収できるんだ。分かるよな、遥風?」
「やめて……もう――うっ!!」
未だに抵抗する遥風の首に手を掛ける大友。
呼吸が出来なくて苦しんでいるのか、ヒューヒューという抜けた風のような音が彼女の口から発せられている。
「『やめて』、じゃねぇよ。全部、お前のせいなんだよ。お前のせいでこうなってるんだから、自分でどうにかしなきゃ駄目だろうがよ。おい、角谷! 新藤! もういい。グチャグチャにしろ、このふざけたアマを」
そう言って遥風をマットに突き飛ばし、煙草に火を点け始める大友。
命令を受けた角谷と新藤は嫌がる遥風の服を脱がせ始め、残りの三人は各々のカメラを回し一部始終を撮影している。
「お前ら二人が終わったら、次はこっちの三人な。で、最後は特殊なクライアントのために暴力レイプの配信をすっから俺がやるわ。ちょうど今日は愛もいるから、絵面的にはこっちのほうが良いだろ。愛もそれで良いよな?」
煙草を吹かす大友に寄り添い、猫撫で声を上げている相馬。
彼女は物欲しそうに大友の吸っている煙草に視線を泳がしている。
それを見て大笑いをした大友は同じ煙草に白い粉を少量付けたものを相馬に渡す。
「……助けて……誰か……」
うわごとのように救いの言葉を口にする遥風。
しかし、まだ『死神の鎌』は発動しない。
――そう。『死神の鎌』に込められた条件は以下の三つだからだ。
①この世で最も苦しい死に方で殺す
②親しい人間が全員見ている前で大恥を掻いて死亡させる
③死んだことを嘆き悲しむ人がいれば、その人にも様々な不幸や災いが起こるようにする
つまり、遥風がこのまま犯された後に発動する可能性だってあるということだ。
『死神の鎌』が発動する前に大友を殺害すれば、俺は魔界の法で重罪となり投獄される。
何故なら、『死神は召喚者との契約以外で他者を殺めてはいけない』というルールが存在するからだ。
俺はただ、じっとここで『死神の鎌』が発動する瞬間を待ち続けていなければならない。
そして無事に発動し契約が完了すれば、彼女の残り寿命の半分を報酬としていただき、再び魔界へ送還されるだけだ。
――俺はただの傍観者。
遥風を助けることもなければ、ルールに縛られたまま、魔界や人間界のクソどもに永久に使われ続けるだけの出来損ないの死神。
「……え……」
遥風が部屋の奥にいる俺の姿に気付く。
いくら広い場所だからとはいえ、今の今まで俺の存在に気付かないほど彼女は憔悴し混乱していたらしい。
しかしもう彼女の衣服は半分ほどが脱がされ、このまま角谷や新藤らに犯され、撮影され、暴力を振るわれ、嘲笑され、ゴミクズ以下の扱いを受けることは確実だろう。
俺は何も言わずに、ただ彼女を見つめている。
そして『死神の鎌』の発動の瞬間を待っている。
「……うた……」
彼女が俺を見据え、涙を流し何かを呟いた。
俺はその声なき声に耳を傾ける。
――そして、彼女の言葉を、はっきりと聞き取った。
「…………助けて…………翔太」
その瞬間、俺の頭の中の何かがぷつりと音を立てて切れた。
「あぁ? 翔太? 誰だそりゃ」
「けはは! あれじゃないですかね、角谷さん。初恋の男の……な、まえ……」
「初恋は大友君だろ、この腐れ女は。……おい、どうした新藤。部屋の奥には何も置いてないはず――え――」
角谷と新藤が部屋の奥からゆっくりと近付く俺を見て絶句する。
何故俺の姿が見えているのかは分からないが、そんなことはもうどうでも良かった。
「……は? 誰、あんた? どこから侵入してきた?」
振り向いた大友は煙草を足で揉み消し、俺の目の前まで近づいてくる。
そして俺の進路を塞ぐように立ち、俺の顔を見上げて笑い始めた。
「……ぷ。ぷははは! 何お前その恰好? 時季外れのハロウィンか何かか? 翔太ってお前のこと――」
俺の前に立ちふさがった大友の言葉はそこで途切れる。
何故なら俺が奴の顔を鷲掴みにして体ごと持ち上げたからだ。
「う、うぐぅ……!! は、放せぇぇ……!! 何なんだよ、お前………!!!」
「大友君!!」
慌てて駆け寄る大友の手下達。
しかし、もう手遅れだった。
「何って……『死神』?」
――ザシュン。
「え――」
その場にいる全員が絶句した。
まるで花火のように弾けた大友の頭は粉々に吹き飛び。
そして残された胴体部分の首からは噴水のように血液が噴き出している。
膝立ちのまま痙攣している大友の姿はある意味滑稽とも言える。
「…………殺、した? 大友を……あいつを……」
静寂の中、遥風だけが口を開く。
時間が無いことを知っている俺は、血に塗れたまま彼女に視線を向けるだけだ。
間を置かずに部屋全体に警報のようなものが響き渡る。
それは耳から聞こえる音ではなく、頭蓋に響き渡るような不思議な音だった。
『――警 報。――警 報。死神 ナンバー 10086 574。最下 級 死神 、鈴木 翔太 。魔界 規 約 第三十 七 条八 項 違反 二ヨリ、 此レ ヨリ 魔界ヘト 強制 送還 シマス』
空間の歪みから機械仕掛けの審判神が現れ、俺の身体は宙に浮いていく。
ルールを破れば罰が待っている――。
それはどの世界でも同じことだろう。
「お、おい……。一体何が起きてんだよ……」
「に、逃げようぜ! やばいよこれ……!」
我に返った角谷や新藤らが一目散にその場から去って行く。
そして一人残された遥風は俺に向かい手を伸ばすのが見えたが、その手が届くことは無い。
「翔――」
彼女の言葉を最後まで聞くことはなく、俺は魔界へと送還されたのだった。




