014 契約の破棄
休み時間が終了し、午後の授業が開始される。
俺は欠伸を噛み殺し、まるで授業参観でもしている父親のように教室の一番後ろに立ち、退屈な授業を眺めていた。
「(なんなの……! 一体何なの貴方は……!)」
窓辺の席のちょうど真ん中あたりに座る遥風は、何度も後ろを振り向いては周囲に気付かれないように俺にジェスチャーを送ってくる。
俺は軽く手をヒラヒラとさせ、しつこい遥風を追い払うような態度をとった。
彼女にはまだ『死神の鎌』のことは話していない。
このまま何も知らないまま大友が死に、彼女は死神を召喚したという『業』を背負い続けるのだろう。
しかし俺にとってそんなことはどうでも良かった。
他者に使役され、他者の命を奪うのが死神の使命。
彼女の今後にも関わることは無く、俺は再び魔界に戻り永遠の殺戮を繰り返すだけの話だ。
「春日部? どうかしたか?」
彼女の担任教師である大河原が異変に気付き声を掛けてくる。
皆の視線が遥風に集まり、一つ咳払いをした彼女は首を振り、すぐに授業に集中する素振りを見せた。
そんな彼女を廊下側の一番後ろの席から眺めている男がいる。
――『大友輝明』。
何度かその姿は確認しているが、こうやって間近で対象者を目視するのは今回が初めてだ。
大友は口元に笑みを浮かべ、それを周囲に悟られないようにしていた。
当然すぐ後ろに俺が立っていることなど気付くわけもない。
奴は机の下でスマホをいじり、誰かにメールを送っているのが確認できる。
俺の立っている位置からだとそれらの内容が丸分かりで、どうやら奴は角谷にメールをしているのだとすぐに理解できた。
今日は昨夜の件があってか、飯嶋も新藤も学校を休んでいるようだった。
しかし大友は顔色一つ変えずに通学をしていた。
つまり、警察の件も飯嶋宅の謎の扉破壊の件もうやむやのまま、奴にとっては痛くも痒くも無い出来事だったというわけだ。
メールを打ち終わった大友はそれを角谷に送信しようとする。
その内容を『死神の目』でコピーし、俺は空間に表示させた。
ーーーーーーーーーー
昨日の件の謝罪はもういい。
飯嶋の口止めは新藤にさせる。
お前は放課後に校舎前まで俺を車で迎えに来い。
そこで遥風の後を尾行してビルの廃墟街を通過したところで彼女を拉致れ。
廃墟の最上階のいつもの場所で撮影する。
念のため見張り役を二人事務所から連れて来い。
遥風はまだ俺に気があるはずだから、説得すれば言う事を聞くはずだ。
聞かなければそのときは……。
後は言わなくても分かるな?
ーーーーーーーーーー
「……」
大友はメールを送信し、何食わぬ顔で授業に耳を傾けた。
余裕の表情を浮かべる大友。
しかし、奴の首に視線を向けるとすでに『死』の刻印が浮かび上がっていた。
『死神の鎌』が今か今かと奴の首を落とそうと、鋭利な刃を鈍く光らせている。
正確な発動時間は定かではないが、状況的に考えて今日の放課後、その廃墟ビルで大友は死亡するだろう。
三つの条件が全て発動するという可能性から逆算すると、そのビルには大友と親しい人物が皆集まってくることになる。
奴の交友関係になど興味はこれっぽっちも無いが、そのような場所に集まる人間がどういう人間なのか考えるまでも無いのだろう。
クズの周りには、クズが集まる――。
ただ、それだけのことなのだから。
◇
一日の授業が終わり、学生らが次々と教室から去って行く。
大友が手下の学生を数名連れて教室を出ていくのを確認した遥風は軽く溜息を吐き、机からカバンを取り出し席から立ち上がった。
そして腕組みをしたまま教室の最後尾で立っている俺の元に寄り、周囲残る学生を気にしつつ小声で放し掛けてくる。
「(……いつまでそうしているつもりなの?)」
「別に。俺の自由だろそんなこと」
「(ナイフを返して。それが無いと困るのよ)」
「返さない。ていうかもう喰っちまった」
「(喰った……?)」
「喰った」
「……」
絶句したまま俺を睨みつける遥風。
色々と言いたいことがある顔をしていたが、諦めたのだろう。
そのまま頭を振って教室を出て行ってしまう。
俺は何も言わずに彼女の後を追う。
「(付いて来ないで)」
「無理だろ。お前から半径1km以上離れられないんだから」
「(こんなに近くに居なくても良いでしょう!)」
「基本、死神は召喚者の側にいるもんなんだぜ。契約を実行しない限り、俺はずっとお前の側にいることになるな」
「……実行する気なんて無いくせに」
そう言った遥風は機嫌を損ねてしまったのだろう。
口を真一文字に結び、俺を完全に無視して校舎から出て家に向かい黙々と歩いていく。
しばらくそうして歩いていたが、眼前に廃墟ビルが見えたところで俺は再び口を開いた。
「大友が死んだら、お前は一体どうするんだ?」
「……何よ、いきなり。貴方には関係ないでしょう?」
「関係あるっつう話は前にもしたよな?」
「知らないわ。契約を守らない死神に何を言っても無駄でしょうから」
そこで一旦足を止めた遥風は、俺を振り返った。
その時の顔を俺はきっと、この先も永遠に忘れることは無いのだろう。
「ここで別れましょう。貴方との契約は破棄します。『契約』というくらいなのだから、破棄する方法だってあるんでしょう? 貴方はそれを知っていて、私に言わないだけ。違う?」
「……」
俺は何も答えない。
その姿を見た遥風は、少しだけ寂しそうな素振りを見せたような気がした。
そして、最後に彼女ははっきりとこう言ったのだ。
「――さようなら、死神さん」




