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012 死神と悪魔

 懐中時計に視線を落とすと時計の針は20時を過ぎた辺りを指していた。

 都内某所にある公園は人通りもまばらだが、これが21時を過ぎた辺りから若者や酔っ払いで一気に埋まるというから不思議なものだ。

 俺は遥風と共にそれぞれ錆び切ったブランコに跨り、月明かりで照らされた砂場をただ眺めていた。


「……死神が警察に通報するって、どういう状況なのよ」


 ぽつりと遥風が口に出す。

 しかし言葉とは裏腹に表情は穏やかだ。


「いやそりゃ通報するだろ。女子高生が男三人にレイプされかかってたら」


 あの時、俺は防音扉を死神の能力で斬り裂き、遥風を連れて飯嶋の家を去った。

 警察には近所で強盗があったと嘘の通報を流しておき、タイミングを見計らって突入した形だ。


「貴方……まるで人間みたいね」


「『元』人間だ。そういや言ってなかったっけな。俺の名前は『鈴木翔太すずきしょうた』。十年前に死神に転生して、それからずっと昇進できない落ちこぼれの最下級死神だ」


 俺は遥風に死神に転生するまでの顛末をつらつらと話す。

 爺さんの運転する農業用のトラクターに生きたまま轢かれてミンチになって死んだ事。

 女神に騙されて死神に転生させられた事。

 これまで十年間、一度も他者を殺したことがない、魔界きっての出来損ないである事などだ。


「……どうやったら生きたまま農業用のトラクターに轢かれて死ねるのよ」


 あまりにも俺を哀れに思ったのか。

 頭を振った遥風だったが、俺の飛び出す目を見る彼女の顔は真剣そのものだ。

 発する言葉とは違い、決して俺を小馬鹿にした表情を浮かべてはいない。


「いや……猫、がな」


「猫?」


 俺は当時を思い出し、彼女に正直に死に様を話す。

 何故こんなに素直な気持ちになっているのかは分からない。

 だが決して悪い気分ではなかった。


「田舎で飼っていた足の悪い元野良猫がいたんだ。餌をあげてたらいつの間にか懐いちまってな。ある日、俺の爺さんが運転するトラクターの近くにその猫が寄って行って、爺さんも猫に気付いてないみたいで」


「……まさか、それでその猫を助けようとして?」


 俺はそのまま首を縦に振った。

 目の悪い爺さんは黒い猫に気付かずにトラクターを運転していた。

 猫も猫で、俺のせいで人に慣れちまったから警戒もせずに爺さんのトラクターに近付く。

 気付いたときにはもう猫の目の前にトラクターの回転刃が迫っていた。

 畑作業を手伝っていた俺は慌てて駆け寄り、猫を突き飛ばす。

 ――直後、手首が切断されていた。

 そのまま巻き込まれ、腕、肘、肩まで回転刃にミンチにされた辺りで眼前に光る刃が迫り――。


「……もう良いわ。ごめん、吐きそう」


「……だな。俺も思い出すだけで嫌な気分になる」


 そう言って、何故か二人で笑ってしまった。

 こんな気分で他人と話すなんて、一体何時以来なのだろう。

 それはきっと遥風も同じことなのかも知れない。


「その猫は助かったの?」


「知らん。気付いたら俺はクソ女神の目の前に倒れていて、そのまま半分強制的に死神にされたからな」


 そして魔界に降り立ち、文字通りブラックな死神人生を歩み続けている。


「……どうして、話してくれたの?」


 遥風は再び俺の飛び出た眼球を見つめた。

 しかし俺はその問いに答える前に、彼女に確かめたいことがあった。

 ブランコから降り、上から彼女を見下ろす。

 そして彼女のスカートを指さし、こう口を開いた。


「お前、そのナイフで角谷と新藤を殺すつもりだったのか?」


 一瞬だけ目を見開いた彼女だったが、すぐに表情を戻して立ち上がる。

 そしてスカートの裏に隠し持っていた万能ナイフを取り出し、俺に見せる。


「……もしも角谷達ではなくて、大友があの場に来るのだったら、彼を殺すつもりだったわ。でも来たのは角谷と新藤だった。あの状況で二人を同時に殺すのは難しいでしょうし、前にも言ったけれど私はあの二人を殺すつもりはないもの」


 ナイフを抜いた彼女は刃を月明かりに反射させる。

 いくら殺傷能力が高い刃物と言えど、現役の女子高生が背の高い男二人を同時に殺すことは現実的には有り得ないだろう。


「じゃあ、わざわざ一旦家に帰ってナイフを用意した理由は――」


「そう。あの場で自分の頸動脈を斬り裂いて、自殺してやろうと思ったの」


 そう言った遥風は自虐的に笑うが、それが冗談ではないことを俺は気付いていた。

 すでに彼女の動画はネットで拡散されていることを、角谷は包み隠さず話したのだ。

 そしてそれは世界中に拡散し、いずれ彼女の通う学園の生徒や母親にも知れ渡ることだろう。


「飯嶋君は奴らに利用されてるってすぐに気づいたわ。彼、元々ネットとかにも詳しいから、私のことにもすぐに気づくと思ってた。大友なら新藤達を利用して学園の至る場所に隠しカメラも設置させるだろうし、万が一教師達にカメラの件が気付かれても、教育委員会に圧力を掛けて事態を揉み消すなんて難しくないでしょうから」


「……」


 淡々とそう話す遥風。

 大友輝明という学生は、俺が思っている以上にクズで、人間の皮を被った悪魔なのだろうか。

 ……いや違う。俺はすでにそれを知っている。

 ただ遥風の行動が気に入らなくて、契約を反故にし、奴を生かし続けているだけだ。


「あそこで私が死ねば、さすがに言い逃れは出来ないでしょう? 大友のことも、モデル事務所とヤクザとの関係もきっと世間に明るみになる。そうなれば、私の復讐は完結するわ。全員を巻き添えにして、大友の人生を終わらせることができる」


 彼女はどうしてこうも淡々と話せるのだろう。

 つまり『人を殺す覚悟』とは、こういうものなのだろうか。

 まだ十七歳という年齢からは想像もできないくらいの強い『意志』――。

 死神である俺にはまだ無い、しかし無くてはならない、必須の感情。


「どうしても大友に復讐したいんだな?」


 俺は聞く。


「……ええ。貴方が居なくても、私一人でも、必ず」


 彼女は答える。


 彼女の返答に迷いは無い。

 だから俺は彼女に手を伸ばしこう言った。


「ナイフを寄こせ。そして今夜はもう家に帰れ」


「え?」


 キョトンとしたままの彼女の手には、すでにナイフは握られていなかった。

 彼女の返答を待たずに俺は翼を広げ、東京の夜空に向かい跳躍する。



「ちょ、ちょっと……! どういうつもりよ……!!」



 ――遥風の声が風に乗り聞こえてきたが、俺はそれを無視しその場から消えた。




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