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2話

 バリン!

 と、大きな音を轟かせ俺の部屋の窓ガラスが割れる。

「クソが……」

 窓際に大きな石が落ちている。誰かが、投げ込んできたらしい。

 あの日以来、「ONYMOUS.NET」にアップされた情報を使って、匿名掲示板で俺に傷つけられた人達が連日嫌がらせに来ていた。中でも俺とずっと匿名掲示板で喧嘩し続けていた「ハゲブタ」こと小崎啓吾という男は、執拗に攻撃を仕掛けてきている。おおよそ石を投げ込んだのも、ハゲブタの仕業だろう。

 ハゲブタは、俺が区役所に勤めていることを調べ上げ、匿名掲示板に書き連ねた暴言の数々をまとめて区役所に送りつけてきた。そして俺は、役人として、広報課の人間として相応しくないという理由で懲戒免職となった。誰かを傷つけるために投げつけ続けてきた暴言の数々が、匿名性が失われた途端、俺自身を傷つける刃となって降り注いできたのだ。

「国家への感謝を忘れた愚民は、その場で自分の首を絞めて死んだほうがい~い~ぞーう! おちんちんパオーン! 税金払って自殺だパオーン!!! おしっこぶっしゃ~!!!」

 そんなようなことも書いていたわけで、首にならなかっただけマシかもしれない。

 夏の終わりに消え去った匿名性。

 全てが曝され、明らかになってしまうこの残酷な世界で、俺は更なる絶望を味わうこととなる。


 俺は高校の時から、「ドラゴンソードオンライン」と言うMMORPGをやっていて、「ガーディアン」という屈強な戦士になりきっての冒険は、煩わしいことだらけの人生において大きな息抜きになっていた。

 そんな冒険を、いつも隣で支えてくれたのがミスティさんだった。

 ダークグレイの衣を身に纏った魔術師で、繊細で、優しくて、可愛くて、だけどいざとなったらとんでもないプレイスキルでどんな逆境も跳ね返す最高に格好良い人。俺のゲームの師匠でもあって、沢山の技術をミスティさんから教わるうちに、それほどゲームが得意じゃなかった俺も、いつしかトッププレイヤー達と肩を並べられるほどになった。

 どんな困難なクエストだろうが、ふたりで手を取り合い乗り越えていったっけ。

「私なんてまだまだですよ」

 と謙遜しながら、完璧なタイミングで俺の体力を回復し、強化魔法を付与してくれたミスティさん。リアルで悩み事があれば優しい言葉をかけてくれて……俺の人生において、あんな風に支えになってくれた人は、母親を除けばミスティさんの他誰もいない。

 そしてついに俺達は、前人未到の『星の海』と呼ばれるマップに、誰よりも早く到達することができたんだ。

「この風景、なんだかとても懐かしいです」

 画面上。夜空に浮かぶ無数の星空は、そのまま海面に映し出されて海と空の境界線すら分からない。浮遊魔法でふわりと浮かび上がったミスティさんは、星々の上を軽やかに駆け回りながらそう言った。

 この場所に一番早く到達できたご褒美に、「ガーディアン」と「ミスティ」と言う名が、星の海に浮かぶ石碑に刻み込まれた。

 それからその場所は俺達のお気に入りの場所になり、事あるたびに星の海に来ては、色んなことを語り合った。

 ゲームの話もよくしたけど、ミスティさんの趣味の園芸についての話も面白かったな。

俺もやってみたくなって、庭に小さなハーブガーデンを作ったりもしたっけ。

 公務員になろうと決めた時だって、ミスティさんは親身になって相談に乗ってくれた。地方公務員は面接重視だという話を教えてくれたのも、ミスティさんだった。それにパソコンにとても詳しくて、パソコンを買い換えるときなど事細かく情報を教えてくれた。

 そんな風に俺の人生を支え続けてくれたミスティさんに対して恋愛感情を抱くのは、自然なことだったように思う。MMORPGのプレイヤーは、ゲーム内での関係性をリアルに結びつけようとする人間を『直結厨』などと揶揄し、嫌悪する者も多い。そもそも俺だってミスティさんに恋するまでは、ゲームで女引っ掛けようとする人間など死んでしまえばいいと思っていたから、彼女にその気持ちを伝えていいものかかなり迷った。

 だけどあの日、星の海にミスティさんを呼び出して俺は告げたんだ。

「ミスティさん。あなたのことが、この世界で一番好きです。なにがあろうと、一生守って見せます。だから……」

「ちょgほthhhlちょっと待って!」

「迷惑、だったかな?」

 寡黙で我が道を突き進む戦士「ガーディアン」のキャラクターも忘れて、俺は不安げにそう綴った。

「そういうわけじゃなくて。えーっと。混乱してるっていうか……」

 ミスティさんはそれだけ言うと、そのままログアウトしてしまった。

 余計なことを言ってしまったと後悔し、その夜は泣きじゃくりながら「珍黒斎」として匿名掲示板に集う有象無象相手に暴言を吐きまくって、憂さを晴らした。

 翌日ミスティさんは、何事もなかったかのように俺と接しようとしてくれていたので、俺はそんなミスティさんの優しさに感謝しながら、余計なことを言わず彼女とのゲームを再び楽しむことにした。失恋の痛手は大きかったが、彼女と一緒にいられるならそれでいいやと最終的には納得したんだ。

 そして迎えた八月三十一日。匿名性がこの国から消え去ったあの日。

 「ONYMOUS.NET」に公然と並べられた自分の個人情報を前に愕然とし、真っ白になった頭でなんとなしにミスティさんの名前を探してしまった。やめておけばよかった。フィクションは、フィクションあるからこそ夢足りうる、ということを俺は理解していなかった。

 そしてそこにあったミスティさんの実名――茅森孝一(65)の名前が、匿名性消失事件で弱りきった俺の心に止めを加えることとなった。パソコンに異様に詳しかったし、もしかしたらネカマかもしれないと何度か考えたことはあった。だがあの優しさ、繊細さは、絶対に女性のそれだと思い直して、俺は恋に落ちたんだ。

 FACEBOOKのアカウントがあったので見てみると、若くして渡米し、ハーバード大を卒業後、大手ソフトウェア企業でシステムエンジニアとして活躍していたおじさんだとわかった。ミスティさんの海よりも深い包容力は、六十五年の人生経験から生み出されたものだったというわけだ。

 率直に言って死にたくなった。何年も何年も恋焦がれてきたその気持ちを、泥塗れの現実で、踏みにじられたように感じた。

 だけど、多くの仮面を付けて沢山の人を騙しながら生き延びてきた俺に、そんなネカマ行為を糾弾する権利はないようにも思えて、染み入るような絶望を、ただただこの停職期間中に受け入れて今日まで生きてきた。

「いっそ、死んじゃおうかな」

 そんな言葉が、口を衝いて出る。

 ピンポンピンポンピンポン、と繰り返し鳴り響く呼び鈴の音。どこかの暇人がまた嫌がらせにきたのだろう。無視してテレビを点けるとワイドショーがやっていて、俺と同じように裏で暴言を吐いていた有名俳優が、「ONYMOUS.NET」によってその悪行を暴かれて、事務所を首になった一件が放送されていた。車のCMに出ているのに、「今すぐ事故って死ねボケ」は不味かった。全く持って他人事ではないが、どうして人はバレたらマズいようなことほど口にしたくなるのだろう。

 あの日以来、誰彼の浮気がバレただの、秘密裏に行われていた不正が明らかになっただの、公になった個人情報が悪用されただの、剥き出しになった真実に踊らされ大混乱する様をテレビは伝え続けている。

 匿名性を失ったことでネットは活気を失ったが、逆にテレビは何時になく勢いづいているように思う。

 どんな社会的立場の者も、平等に、リスクを背負わずに与えられた情報に対して大騒ぎできるのがネットの魅力だった。例えば何か事件が起きたとき、ネットではみんな好き勝手にコメントを付け、SNSでは当事者のアカウントなどに突撃する輩も少なくなかった。有名人相手だろうと、匿名性の衣を身に纏った識者きどりの一般人が、上から目線でコメントをぶつけたりしていた。

 しかし今では、「どこそこの低収入の男が、成功者に対して空理空論をボヤいてるだけ」と言う現実がその場で明らかになってしまう。反感を買えば、成功者の取り巻きに現実的な危害を加えられる場合もある。そんな状況の中、無難な書き込みばかりが目立つようになった退屈なネットから、人が離れていくのは必然なのだろう。言い返すことができないなら、大人しくテレビで成功者たちがばら撒く情報を浴びていた方がマシだ。

「ねぇ守。本当に、外に出ないでいいの?」

 ずっと鳴り続けている呼び鈴。

 そっと部屋の戸を開け、顔を出した母が言う。

「どうせまた嫌がらせだから……」

 不安げに俺を見つめる、皺が刻まれ痩せこけた母の顔。停職処分を言い渡されてから、俺を見るたびに浮かべるその顔を見るとたまらない気持ちになる。女手一人でここまで育ててくれた母に、そういう顔をさせないために善人の仮面を付けて安定した職にありついたというのに。

「やっぱり、警察に行った方がいいんじゃない?」

「言っただろ。事を荒立てたくないんだ。停職期間中に警察沙汰なんか起こしたら、確実に首になっちゃうよ」

 最後まで職場に残れるよう動いてくれた課長が、とにかく上は辞めさせたがっているから些細な事でも問題を起こせば守りきれなくなると言っていた。

「だけど……」

 母は、まだなにか言おうとする。こんな俺の事を、いつだって最優先に考えてくれているのだ。

 ピンポンピンポンピンポンピンポン。耳障りな呼び鈴の音が、二ヶ月の引きこもり生活で、暗く澱みきった俺の心を刺激し続ける。

「うるさいな!!」

「ご、ごめんなさい」

 怒鳴りつけてから、怯える母の顔を見て我に帰った。

「ちょっと黙らせてくる」

 母から逃げ去るようにその場を後にして、台所に行って包丁を手に取り玄関へと足を運ぶ。リビングを横切る時、仏壇に置かれた父の遺影が目に入った。働きすぎてノイローゼになっていた死の間際の暗い面影はなく、人の良さそうな笑顔をこちらに向けていた。

 この直接的な嫌がらせを行っているのは、ハゲブタだろうか?

 だとしたらなにが起きてもおかしくない。玄関を開けたらいきなり襲い掛かってくる可能性だってある。事を荒立てたくないとは言ったが、殺されるくらいなら全てがご破算になろうが必ずぶち殺してやるよ。そもそも俺は、そういう人間なんだ。そういう殺意とか憎しみとか、吐き出さないと爆発してしまいそうだったから匿名掲示板にそれらを垂れ流して、辛うじて今日まで罪を犯さず生きてきた。大嫌いなんだ。俺を蔑ろにするこの世界が。

 俺は、勢い良く戸を開ける。

「なんだよ!!」

「なっ……!? なによいきなりご挨拶ね! いるなら早く出てきてよ。緊急事態なんだから」

「おあっ!?」

 思わず変な声が出てしまった。

 戸を開けた先には、ベージュのトレンチコートを着たロングヘアーの女の子が立っていた。年の頃は二十歳くらいだろうか。流れるような美しい髪に、意志の強そうな凛々しい顔つき。そのしゅっと背筋を伸ばした立ち姿は、陽の光を浴びて輝かしく見える。匿名掲示板に集まってきている人間なんてみんな俺やハゲブタと同じような根暗なオタクだと思っていたが、まさかこんな素敵な女の子まで俺が傷つけた人間の中にいたっていうのか?

「あなたが、日向守さん?」

「そうだけど。あの、えっと……どちら様でしょうか?」

 堂々とした女の子の態度にさっきまでの勢いは挫かれて、俺は手に持った包丁を後ろに隠して恐る恐る問いかける。

「私は、茅森霧子。あなたに、お父さんに会ってもらうために来たの」

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