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15話

意識を失うようにして眠り、夕方頃に目を覚ます。ずきずきと二日酔いに傷む頭をさすりながら部屋を見渡すと、そこら中に転がる酒の缶と、天井から輪っか付きの縄――首吊り用のロープがぶら下がっているのが目に入った。

 昨日の記憶は概ね定かではないが、家の倉庫からロープを持ち出した時の記憶が辛うじて残っていた。酩酊しているときに、俺が作ったのか。自らの命を絶つために。

 アルコールの残った不安定な精神状態で、窓を埋め尽くす鮮烈な夕日の中に浮かび上がる黒く染まったその輪を見ていると、異様な恐怖感が沸き起こってくる。俺は逃げ出すように部屋を出て、一階のリビングへと駆け下りていった。

「……守」

 母親が、神妙な顔で俺を呼ぶ。

「どうしたの、お母さん?」

「部屋にあったあれ……なんなの?」

 母が、恐る恐る尋ねる。朝、寝こける俺を起こしに来た時に首吊りロープを目撃したのだろう。

「風水的な……輪が魔を払うらしいよ。ネットに書いてあった」

 と咄嗟に適当なことを言うが、お人好しの母も流石に納得してくれない。

「なにか……無理してるんじゃないの?」

「無理なんか、してないよ」

「仕事、辛いの?」

 心配そうに母が言う。夫を過労死で失った母が言うその言葉を、軽く受け止めることはできないが、俺は努めてなんでもないことのように返す。

「そんなことない。みんな良くしてくれてるよ」

 それは事実だ。おかしいのは俺の方。皆が気を遣ってくれればくれるほど、「厄介な奴の逆鱗に触れないようにしておこう」というその裏にある考えを邪推してしまい、どんどん自分の事を腫れ物のように感じてしまう。むしろハゲブタや霧子のように、最低だと罵ってくれた方が楽だが、俺は加害者なのだ。気遣う事を強いられた被害者である区役所の同僚に、そんなことを求めるのはお門違いだってのは理解している。

「私はね。あなたに幸せになって欲しいだけなの。ああいうことがあって……区役所の仕事が辛いなら、無理に続ける必要はないと思ってる。守のやりたいことを、やればいいと……」

「やりたいことなんて、俺には――」

 何故だか、霧子達の顔が浮かぶ。彼らは今も、この国のどこかで戦いを続けているのだ。

「――とにかく、俺は大丈夫。大丈夫なんだ」

 言って部屋に戻る。

 母親を理由に、雨ガラスの誘いを断って日常に戻ってきた。

 しかしそれは本当に「母親を一人にしておけないないから」だったのだろうか。今まで自分が構築してきた世界の外側に出ることが、怖かっただけじゃないのか。窮地に置かれても、ただ前だけを見て進もうとする霧子達の姿を見て、「果たして俺は、彼らのように戦えるのだろうか?」と物怖じしてしまったんじゃないのか? 彼らが選択した冒険の人生に、リスクを背負って独立した、死んでしまった父親の人生を重ね見てしまったからじゃないのか?

 そしてそんな理由だと情けないから、母の姿を思い浮かべて雨ガラスの誘いを断った……確信は持てないが、そういう側面もあったようにも思える。母を一人にしておけないと言えば、少なくともファザコンの霧子は何もいえなくなってしまうから。

 だとすれば俺は、やはり死ぬべき人間なのだろう。

 気が付くと日も沈んだ暗がりの自分の部屋で、椅子の上に立ち、首吊りロープの輪に手をかけていた。この輪の中に頭を突っ込み一歩前へと足を踏み出せば、事は完了するのだ。そう考えると命っていうものは、呆気ないものだなと思ってしまう。

 そういえば、ここまでではないにせよ前も嘘だらけの現実と、殺意に満ちた本音の狭間でナーバスになる夜が度々あった。取り繕った建前しか必要とされない日々の中で、本当の自分を誰かにわかってほしい、なんて気持ち悪い感傷に溺れていたんだ。そんな夜を慰めてくれたのが、匿名掲示板でのハゲブタたちへの暴言合戦と、ミスティさんとの胸踊る冒険だった。

 しかし匿名性は消えてしまった。ミスティさんも、もういない。

 ピンポンピンポンピンポン、と呼び鈴が連打される。

 母はどこかへ出掛けているのか、呼び鈴の音は、首吊りロープに手を掛けたままの俺の背でなり続けた。

「なんだよ」

 死の魅力に惹きつけられるように、徐々に前のめりになっていた上半身をまっすぐ伸ばし、俺は椅子から降りて一階玄関へと向かう。

 俺が生まれるよりずっと前に建てられたこの家は、それまで生きてきてた俺や母、亡くなった父や祖父祖母達の生活の跡が残っている。今通っている廊下の柱にも、父が幼い頃に身長を記録するためにつけた傷など残っているし、玄関の引き戸も繰り返し開け閉めしてきたことによって下のレールが歪み、引っかかるようになってしまった。

 俺は、引き戸のいつも引っかかる部分が引っかからないように意識しながら、力を込めて戸を開ける。

 開け放たれた戸口の先。家の前の電柱に取り付けられた街灯の光を受けた、霧子の姿がそこにあった。深緑色のジャケットのフードを深く被っていて顔には影が差しているが、その奥で光る、彼女の真っ直ぐさを端的に現しているような眼の鋭さは相変わらずだった。

「なっ、どうしてここに!?」

「あなた、今……首を吊ろうとしてたでしょ?」

「はっ……? なんで……」

「これ」

 久しぶりに見た霧子は、その険しい表情のせいか前より逞しくなったように思う。

 霧子が差し出したスマートフォンの画面には、俺の部屋の映像が流れていた。

「な、なんで俺の部屋!? 盗撮!?」

「多分、組織の連中が貴方がいない間に忍び込んでカメラを仕掛けたんじゃないかって雨ガラスが言ってた。私達はそれを傍受して、あなたを監視していたの」

「監視!? な、なんで!?」

「あなたが、彼らに私達の情報を話さないか……気になって」

 信用されてなかったのかと一瞬気落ちするが、気落ちする権利など俺にはないとすぐに思い直す。居所が秘密であることが活動の絶対条件である彼女達が、俺の動向を気にするのは当たり前のことだ。例のASSという匿名化システムにしても、それを雨ガラスたちが持っていることが組織に伝われば何か対策を講じられるかもしれない。

「だけど、それなら……どうして俺の前に姿を現したんだ?」

 昨日だって、何者かに殺されそうになったんだ。今もどこかで、奴らが俺を監視していてもおかしくはない。

「…………」

 霧子は、睨み付けるように俺を見ていた視線を、下に落とす。険しかった彼女の顔は、ふっと和らぎ拗ねたような顔を見せる。

「……あなたに、死んで欲しくなかったから」

 その言葉を聞いて、俺は身震いしてしまう。

 どれほどのリスクを背負って、ここに来てその言葉を伝えてくれたのか。頬を一滴の涙が落ちていく。霧子は、突然泣き出した俺に戸惑いながらも、ハンカチを差し出してくれた。

「茅森霧子さん、やっと会えましたね」

 霧子の後ろから、声が響く。

 霧子の背後に、見たこともない男が立っていた。中肉中背、これといって特徴のない顔をした中年の男。しかしその飛びぬけた特徴のなさに、どこか違和感を感じてしまう。

 男は、身に纏った黒いダウンジャケットの伸びた長袖で右手を覆い隠し、霧子の背中に何かを押し当てる。

「我々に同行してください」

「……嫌」

 霧子の顔から伺える緊張感から察するに、背中に当てられているのは拳銃だろうか。見れば周囲には、彼の仲間らしき男たちが数人いてこちらを見ている。それぞれその辺にいそうなおじさん風の格好だったり、仕事帰りのサラリーマンといった体を装っているが、隙のない立ち振る舞いや鍛えられた肉体から、素人ではないように思えた。

 俺のせいで、今の今まで彼らから身を隠していた霧子が、彼らに捕捉されてしまったのだ。俺なんかの命を助けるために。

「連れて行け」

 と、霧子の背後にいる男が、他の男達に指示を出す。

 俺が、霧子を守るんだ。ミスティさんの遺言の通りに、最後まで。

「チンポ!」

「……っ!?」

 なんとかしなくちゃいけないという思いがこんがらがって、混乱して訳の分からないことを口走ってしまう。匿名掲示板で、暴言と暴言の隙間に息を吐くように卑猥なことを書き続けていたせいで、そんな思考回路になってしまったのかもしれない。

 俺は男達がきょとんとしている間に、ポケットからスマートフォンを取り出してTWITTERを立ち上げる。そして手早く「拳銃を持った男に追い詰められてる生配信!#拡散希望」というツイートを呟いて、動画の生配信を始める。

「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。拳銃持った悪い男に脅迫される美少女の生中継だ! 周囲にはこちらを見る怪しい男達! おっと、こっちを睨みつけているぞ! 八方塞り、四面楚歌の状況を、PEACE WALKERが生配信でみんなにお伝えするよ!」

 世の中の空気を読みながら、嘘と煽りを繰り返して獲得した三万フォロワーに配信が伝わっていく。『ONYMOUS.NET』が現れてからは、ほぼ使われていない休眠アカウントになってしまっていたが、動画の視聴者数が100、200と徐々に増えていくのを見るに、まだこのアカウントを見てくれている人はいたらしい。

「あなた、なにをしているの……」

 と視線で語る霧子に、人差し指を口に当て「黙っていて」とジェスチャーで伝える。

 霧子の顔が映らないように気をつけながら、男達を動画に映し出す。男達は、じりじりとこっちに向かってきている。

「あー! さっそく実力行使でしょうか!! もしかしたらあなたは、殺人現場の目撃者になるかも!? どんどん拡散して、俺がぶっ殺される様を多くの人に届けてください」

 霧子の背後にいる『何者でもない男』が、腕で男達を制止する。

「撮影を止めて下さい。あなたは……酔っぱらっているんですか?」

 男は、穏やかな口調でそう言った。

 なるほど。俺を狼少年に仕立て上げる気か。ぐんぐんと伸びていた視聴者数が、男の発言を受けて収まっていく。

「そこの男は、俺のことを酔っ払いだという。俺は、そこの男を、銃を持った殺人鬼だという。ならばどちらが正しいか証明しようじゃないか! さぁ、見せてくれ――」

 霧子の背中に押し当てている、男の右腕を掴んで、その長袖を一気にめくり上げる。

 これでなにも出てこなかったら、酔っ払いの嘘吐きが善意の市民に取り押さえられて放送終了……という図になって終わりだ。しかし男は、街灯の明かりを受けて黒光りする銃をしっかり握り締めていた。

「皆さん、見てますかー! 銃ですよ銃!! ちょっと酔っ払いを取り押さえるのに、随分と物騒なものを持っていますねぇ!」

 スマホを操作して拳銃にズームアップするが、男は拳銃をダウンジャケットの下に隠す。これだけじゃ足りない。視聴している大半の人間が、それをモデルガンかなにかだとしか思っていないからだ。

 足が震える。だけど、戦うんだ。ミスティさんと共に戦い、数々の冒険を成し遂げた伝説の英雄ガーディアンとして。

 俺は、霧子にスマホを渡して「撮影して」と言って、男に飛び掛っていく。拳銃を持つ男の手をダウンジャケットの外側に出そうとするが、男の力は異様に強く動かない。戦争映画やマフィア映画。数々の映画で見た、銃弾を受けて死んでいった人間達のイメージがちらつく。制止の指示を受けて様子を見守っていた男たちが、一斉にこちらに向かってくる。

 後ろから数人の男に、物凄い力で引っ張られて男から引き離されそうになるが、俺は男の銃を持った腕を握って放さない。

「なんなんだお前は!」

「今の俺は、誰なんだろうな!」

 慌て顔で振り払おうとする男の指に手をかけて、俺は声を張り上げる。

「視聴者のみんな! まだこれがただの茶番だって思ってるんだろ? ところがどっこい――」

 全身の力をその手に込めて、男に引き金を引かせる。

 パン、という渇いた音が響き渡り、玄関に設けられた引き戸のガラスが割れる。

 この日本の住宅街で、起こるはずがない非日常。それは言わば8月31日に現れた『ONYMOUS.NET』のように、多くの人の目を引く事だろう。

「今! 視聴者数は!?」

「5000、6000! どんどん上がってく!」

「どうする? このまま俺と彼女を拉致しても、流石に隠蔽はできないと思うけど?」

 俺は、呆然と間抜け面を晒している男に向かって言う。

 男は一瞬、俺を物凄い形相で睨みつけたかと思うと、部下の大男達に撤収の合図を送り去っていった。

「……以上、PEACE WALKERでした。みんなのおかげで命拾いしたよ。ありがとう」

 そう言って俺はピースサインを作り、霧子からスマートフォンを受け取って配信を停止した。それと同時に足に力が入らなくなって、その場に座り込んでしまう。割れたガラス戸を見て、先ほど自分が行った、らしくない大胆な行動を思い返し背筋に冷たいものが走る。

「お疲れ様」

 いつの間にか傍らに立っていた雨ガラスが、声をかける。

「ナイトの仕事……果たせたかな?」

 俺の問いかけに雨ガラスは、美しい金髪を揺らして頷いてくれる。その顔はとても優しげだった。

「早く車に乗れ! あいつらが戻ってくる前に!」

 家の前の道路にやってきたハイエースの運転席から、ハゲブタが顔を出して霧子を呼ぶ。彼女を救出する機会を、この辺りで伺っていたんだろう。

 いつの間にかフードを降ろしていた霧子が、勇ましいながらまだ少女の面影を残したその顔をこちらに向ける。

「……助けてくれて、ありがとう。それに……ごめん」

 しゅんとした様子で眼を伏せて霧子が言う。平和に暮らしていた俺を、騒動に巻き込んでしまったとでも思っているのだろうか。

「助けられたのは、俺の方だよ。呼び鈴を鳴らしてくれなかったら、俺は……」

「だから! は、早く!」

 怯えた様子で呼びかけるハゲブタの言葉を受けて、霧子はフードを被ってその身を翻す。

「もうその……死のうとか考えないで。迷惑だから。それじゃ、さよなら!」

「ちょっと待ってくれ」

 振り返り、呼び止める俺をきょとんと見つめる霧子。

 俺は一瞬躊躇い、しかしその決断を口にする。

「……俺も、連れてってくれないか。まだあいつらと戦うんだろ? 俺じゃないと出来ない仕事が、あるはずだからさ」

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