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11話

五章  思い出の場所で


 俺達は、付近に隠しておいた霧子のミニクーパーに乗り込み、ミスティさんが指定した摩周湖展望台に向けて国道333号線を突き進んでいた。

「パパ、待っててね」

 言って霧子は、ハンドルを握る手に力を込める。

 道路脇に高く伸びる木々が、月の明かりすら遮りその道を黒く染める。扇状に照らされたフロントライトの光の中に、吹き付ける雪に埋もれていく真っ白い道路が映し出されては通り過ぎていった。

「後ろから来てる車は、追手かな?」

 後部座席にいる雨ガラスの声を受け、後ろを振り返ると、黒塗りのハイエースが一台、徐々にこちらに迫ってきているのが見えた。

「あいつら……多分、拳銃持ってたぞ。なんなんだよあいつら……」

「裏側にいるのは、やはり外国の組織かもしれないね。日本の公的組織なら、手続きなしでああも大胆に踏み込んではこないだろう」

「外国って……なんで外国人が、この日本で『ONYMOUS.NET』を?」

「君達が思っている以上に、この日本という国は特殊な国なんだ。多くの人が、人と人との関わりに対して荒波を立てず生きていこうとする反面、インターネット上では窮屈な人間関係から解放されたいと匿名性をとても大切にする。FACEBOOKなど実名を出してのSNSが、日本では諸外国と比べて圧倒的に流行らないのが良い例だね」

 雨ガラスの言葉に、俺は思わず頷いてしまう。現実のしがらみから解き放たれた自由な世界に惹かれて、幼いときから俺は、インターネットの世界に入り浸っていた。

「つまりそういう特殊な国を使って、匿名性を剥ぎ取るための最初の実験が行われたんじゃないかと僕は思っている」

「匿名性を剥ぎ取る……実験?」

「かつてジュリアン・アサンジという男が作り出した、匿名告発サイトWIKI LEAKSは知ってるかな?」

「ん? 名前は聞いたことあるけど……詳しくは知らない」

「イラク戦争民間人殺害事件、米軍機密情報公開、米国外交公電25万点の公開といった重大機密を、匿名の告発サイトを使って明らかにしたんだ。当時は大きなニュースにもなったけど……色々あって、告発者が明らかになり逮捕され、ジュリアン・アサンジもまた様々な容疑を吹っ掛けられて逮捕されてしまった」

 珍しく熱の入った語り口から、雨ガラスがそのジュリアン・アサンジという男を、好意的に捉えていることが感じ取れた。

「ふぅん……」

 TWITTERを始めてからは、バズる書き込みをするためにトレンドになってるニュースを積極的に調べるようになったが、始めるまでは世間や世界がどうなろうとどうでもいいと思っていたし、ほとんどニュースなど見ることがなくて、そのせいで雨ガラスが語った話も完全に初耳だった。話を聞いただけでは、米軍の機密情報だなんだという事件の規模の大きさに、いまいちリアリティを感じることができない。

「とにかくそういう事件があって、多くの国々は、インターネットの匿名性の恐ろしさを知る事になったんだ」

「それで例えば、米国政府……CIAが動いて『ONYMOUS.NET』を作った、とか?」

 話を聞いていた霧子が、恐る恐る問いかける。元々アメリカに住んでいた彼女は、今の話について俺とは違った受け取り方をしているのかもしれない。

「『ONYMOUS.NET』の発信下は巧妙に隠されていて、まだどこにサーバーがあるかも掴めていないから確たる事は言えないけどね。中国やロシアかもしれないし、もっと国際的な組織かもしれない。そしてそいつらは最終的には、匿名性を保持できる世界中のダークウェブさえも破壊して、誰もが誰も、逃げも隠れも出来ない世界を作ろうとしてるんじゃないかって僕は思ってるんだ」

「……話が大きすぎて、ついていけない」

「ま、今のところただの推測だから。気にしなくていいよ。それより今は、なんとしてもあいつらを振り切らないと」

 こちらに近づいてきた黒いハイエースを見て、雨ガラスが言う。そのハイエースの車内には、協力者の家を襲撃した目出し帽の面々が乗っているようだった。

「ん? あれって――」

 霧子が突然、声をあげる。

 吹雪の中。響き渡る低い唸り声のようなエンジン音。大型バイクに乗った肥えた男のシルエットが、道路を立ち塞ぐようにそこにあった。

「ハゲブタ……だよな? なんだあれ。右手に持ってるの――」

 ヘルメットを被り、ライダースーツを身に着けたハゲブタらしき男は、猟銃の銃砲をこちらに向けて――。

「ま、マジかよ!」

「っ……!」

 激しい風の音の向こう、渇いた銃声が響き渡る。

 慌ててハンドルを回す霧子。ハゲブタの放った銃弾は、後部を滑らせながら進路を変えるミニクーパーのサイドミラーを吹っ飛ばした。

 シートベルトが身体に食い込む。俺は、急カーブで生じた遠心力に身をよじられながらも息を吐き、目の前に迫るハゲブタに視線を移す。確かにその手には、硝煙をたなびかせる猟銃が握られていた。

「本物!? あいつ……本気か!?」

「殺す」

 我を忘れた霧子は、そのままハゲブタを轢き殺そうとアクセルを踏み抜いた。

 ハゲブタは、バイクを急発進させてなんとか俺達の突撃をかわして旋回し、黒いハイエースと並んでこちらを追いかけてくる。

「なんでハゲブタがあいつらと一緒になって!」

「彼……船にいるときは、何か考え込んでいるようだったけど君を襲おうとする気配はなかったよ。あれから、なにかあったのかな?」

 雨ガラスが言う。

 エンジンを吹かして速度を上げ、すぐ横までやってきたハゲブタは、右手一本でバイクを操りながら、左手で猟銃を構える。

「いいから死ねよ」

 くるくるとハンドルを回し、躊躇なく車体を横に滑らせハゲブタをひき殺そうとする霧子。ハゲブタは、慌ててそれを避けるため猟銃を降ろしてハンドルを握り締めた。

 その隙に俺は、サイドガラスを開けて、ハゲブタに語りかける。

「そんなもん持ち出して、なにやってんだよ! 本気で、人殺しになるつもりか!」

 ハゲブタは、ヘルメットのシールドを上げて、猛烈な寒さで赤くなった顔を出す。

「なってやるよ! 俺の……夢のためだ!!」

「はぁ? 夢?」

 激しく打ち付ける風の音に消されないようにと、叫んだハゲブタの「夢」という甘い言葉。そんなあやふやなものにすがりついても、失ったときに辛くなるだけだと俺が見向きもしなかった概念だ。

「約束したんだよ! お前たちを殺せば、俺の小説を……書籍化してくれるって!」

 言ってハゲブタは、今度は轢かれないようにと距離を置いて猟銃をこちらへ向ける。すぐ後ろからは、黒いハイエースが迫ってきている。スピードを落として下がることができない。

「し、死んでくれ! 俺の未来のために!」

「伏せるんだ!」

 雨ガラスの声を受け、俺達は一斉に頭を下げた。

 その刹那、銃声が轟いたと同時に、後部座席のサイドウインドウが砕け散って車内中にその破片が飛び散っていく。さすがの霧子も、今にも泣き出しそうな顔でハンドルを握っていた。俺もそんな顔をしていることだろう。

「さっむいねぇ」

 雨ガラスだけはいつもの呑気さを維持したまま、降りかかってきたガラスの破片を払っている。この女、どういう神経しているのだろう。

「人殺したら、あのオナニーポエム満載の小説が書籍化されるって? そんなことあるわけないだろ、冷静になれよハゲブタ!」

「それが、あるんだよ! 誰だか知らないが、そういうことができる人間が、俺を見つけてくれたんだ!」

 充血しきった異様な目付きで、ハゲブタは引き金を引いて猟銃に弾を込めようとする。銃の扱いになれているわけではないのだろう。バイクに乗りながらの装弾はなかなかうまく行かず、取り出した弾を落としてしまう。

 霧子は、動揺を鎮めるように大きく息を吐いたかと思うと、

「みんな! 捕まってて!」

 と叫びステアリングを切り、ハゲブタのバイクに車体を寄せる。

「クソがっ!」

 ハゲブタは、迫り来るミニクーパーの車体を避けようとエンジンを吹かすが、霧子は冷静にその進路を塞ぐようにハンドルを切る。

 すると片手をハンドルから離していたハゲブタはバランスを崩し、道路脇に生い茂っている茂みに突っ込んで転倒してしまう。そして霧子は慣れた手付きでギアチェンジを行い、ブレーキを踏み、車体は大きなスリップ音を立てながら後ろにいた黒いハイエースに並ぶ。闇を疾走する二台の黒い車両。横並びになると、ワンボックスの巨大なハイエースと、こじんまりとしたこちらのミニクーパーの車体差が際立った。

 ハイエースに乗っている目出し帽の男が、懐から拳銃を取り出しこちらに向ける。

「パパ、ごめんなさい!」

 言うと霧子は、今度は、ハンドルを逆に切ってハイエースに体当たりを食らわせる。運転手側のドアがべこりとへこみ、ハイエースはカーブを曲がりきれずに道路脇の茂みを抜けて、並び立つ木々に突っ込んでいった。

 鈍い衝突音が響いた後、それらを飲み込むような激しい風の音が周囲を包み込んだ。

「やるぅ! 霧子君、カースタント経験でもあるの?」

「ないけど! パパのミニクーパーは無敵だから!」

 と、意味不明な理由を述べてアクセルを踏み込み、ミスティさんがいる摩周湖へ向けて突っ走る。俺は、ハゲブタやハイエースに乗っていた男達に死傷者がないことと、この一騒動で重ねた罪状が表に出ないことを祈りながらも、「助かった。ありがとな」と霧子に礼を言う。

「お礼なんていいから、パパを幻滅させないように気をつけて。あなたが、パパの最後の思い出になるんだから」

 サイドウインドウは割れてドアはへこみ。ぼろぼろになったミニクーパーを操る霧子はどこか寂しげで、だけどそういう後ろ向きな気持ちに飲み込まれまいとでも言うように毅然と顔を上げて、ハンドルを強く握り締めている。

 流れ行く激しい吹雪の前、強くあり続けようとする彼女の横顔は、どんな難敵に対しても諦めず皆を励ましながら進んでいくミスティさんのようで、なんていうか……とても綺麗だった。


 摩周湖を望む展望台に向けて緩やかな坂道を上がっていくうちに、吹雪の勢いはだんだんと弱くなっていった。展望台手前にある駐車場に着く頃には雪はすっかり止んでいて、雲を溶かしながら顔を覗かせた月の明かりが、俺達を優しく照らしている。

「茅森孝一は、この先の展望台にいるはずだよ」

 真夜中ということもあり、駐車場には、霧子のミニクーパーの他は一台のタクシーが停まっているだけだった。タクシーの中には、仮眠をとっている運転手がいる。ミスティさんは、あのタクシーに乗ってここまで来たのだろうか。

「しかし寒いな」

「早く行きましょう。パパも、きっと凍えてる」

 大病を患っているミスティさんにしてみれば、この冷気は毒以外のなにものでもないだろう。俺達は早足で、指定された展望台へと向かう。

 散り散りになって消えていく雲。透き通った空には、まさに満天の星。それらを反射し、月と星の煌きに満たされた摩周湖の前に、白髪の老人の背中があった。古びた灰色のコートに黒いボーラーハットを被ったその後姿は、湖をじっと見つめたまま動かない。

「パパ……」

 霧子のその声に、老人が振り返る。

 病気のせいだろうか。痩せこけて沢山の皺が刻まれたミスティさんの顔は、聞いていた年齢よりも老いて見える。しかしその奥にある、どこか浮世離れしたような印象を与えるあどけない瞳は、きらきらと月の光を受けて光り輝いていた。

「霧子。久しぶりだね」

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