ヒト救う国
聖女様は背中に光の翼と頭上に光輪を頂く、天族という種族なのですが、正確にはその中でも自身の力を高め、更なる上の位階へと上り詰めた【聖霊】と言うお姿なのだそうです。【聖霊】へと至ることで、天族の祖先であった【天使】に限りなく近い状態に戻れるのだと、仰っていました。
その姿は限りなく清廉でお美しく、見る者に邪心を抱かせるどころか、邪な企みを持つ者は居心地が悪くて逃げ出してしまう事でしょう。
わたくしはそんな聖女様の身の回りのお世話をさせて頂いている、どこにでもいる獣人の侍女でございます。お忙しい聖女様を支える為、身を粉にして働く所存でございます。
「聖女様。そろそろお時間でございます」
「わかりました。すぐに向かいます」
聖女様のお部屋の前でそう告げると、すぐに返事が返って来る。それからほどなくして聖女様は部屋から出て来られ、眩いばかりのお姿をお見せになられた。
身に纏う神官服はこの世の物とは思えぬ材質で作られており、傍に控えているだけで身も心も洗い流されるような、そんな不思議な輝きを放つ物。
その他にも神事に使われる聖女様の杖や、様々な魔法の道具を取り出せる不思議な鞄など、聖女様を取り巻くすべてが、この御方こそ我らの救い主であると、はっきりと伝えてくれるのです。
聖女様がこの地に降臨なされたのが何時頃だったかは、はっきりと伝わってはおりません。当時の我が国は人間たちによって統治され、人間以外の種族は家畜や奴隷のような扱いだったと聞いています。
そこに聖女様は現れ、貧しく暮らす彼らを哀れに思い、様々な奇跡を起こされたのです。人々に食べ物を分け与え、傷を癒し、病に苦しむ人々を救いました。
素晴らしい力をお持ちになる聖女様は、すぐに国と神殿に見つかって、神官として召し上げられたそうです。
そして聖女様は当時の上層部に言われるまま、多くの奇跡を成したと言います。しかし愚かにも、その奇跡を快く思わない者も少なからず居て、様々な邪魔が入ったそうです。
しかし聖女様はあらゆる障害を、神々がお与えになられた奇跡によって退け、かつての神殿は権威を失いました。そして心ある人々と神官たちによって聖女様を崇める、新たな教団が立ち上げられたのです。
その中には当時虐げられていた、多くの亜人たちの姿もありました。当然です。聖女様は誰であっても分け隔てなく、その救いの手を差し伸べ続けられたからこそ、彼らがそのお気持ちに応えるのは至極自然な流れと言えましょう。
そして聖女様を頂点とする教団は多くの民に支えられ、国からも国教として認められた正統な組織となりました。古い権威主義は駆逐され、亜人に対する差別を無くした事で、今のこの平和な国を作り上げられたのです。
我々神殿騎士の務めは、聖女様の護衛だけでなく、各地の町村の安全を脅かす野盗や魔物を退治する事でもあります。今回は聖女様御一行をお守りしつつ、各地に聖女様の奇跡を届けるための公務の最中でした。
そのお力は大変素晴らしく、人の住む地域に魔物が入り込まぬよう、その土地に祝福を与えて人々を守ると言う崇高な使命。しかしその日は運悪く、なんと熊に似た魔物と出くわしてしまったのです。
その体は大きく、人の倍はありそうな巨体。その強靭な前足に軽く撫でられただけでも、数人が容易く絶命させられる、そんな相手でした。
誰もが死を覚悟し、決死の思いで自らを盾にして聖女様一行を逃がそうとした時。
あろうことか、あの方は馬車から降りて来たではありませんか。それも普段の法衣だけでなく、不思議とその姿にぴったりな大きな盾と槌矛を携えて。
まさか戦うつもりかと、大慌てで下がるように叫びましたが、聖女様は気にした様子もなく、目にも止まらぬ速さで我らの守りを搔い潜り、魔物へと突撃していったのです。
何たる失態かと、今でも己を責めたくなります。護衛対象を止めることが出来ず、まんまと悪しき魔物の前に躍り出てしまいました。心の臓が凍り付きそうになりましたよ。実際。
「大丈夫です。元々殴りヒーラーなんで!」
そんなよく解らない事を言いながら聖女様は、我々神殿騎士を差し置いて次の瞬間、強力な熊の魔物を一蹴してしまったのです。
その後も、聖女様はその温かくも柔らかな雰囲気にそぐわない、武骨な槌矛と大盾を持っては戦場を駆け回り、町や村の脅威となる魔物たちを事も無げに退治してしまうのです。
身に宿す武威はどのような戦士よりも優れ、身体を張って守る筈の我々が、身体を張って守られているのは非常に情けないものがあります。
ですが飛竜などの強大な存在を打ち倒せるのは、彼女以外に存在しないのも事実。この国は聖女様なくしては成り立たず、この方の慈悲に縋り続けるしかないのかと、忸怩たる思いです。
いつかこの御方を護り、支えられるようになりたいと思いを改め、訓練に打ち込みたいと決心するのでした。
ああ、忌々しい忌々しい忌々しい! あの聖女を名乗る天族の小娘、何をどうやっても追い出すどころか、飼いならす事すら出来ん。次から次へと愚か者共があの女のイカサマに引っかかっては、偽りの奇跡に縋って頭を垂れる。なんと愚かしいのだ。
あれほど、あれほどの奇跡を授かれるなど、ヒトの身で有り得るはずがないのだ。それを鼻にかけ、その意味と重さを理解せずに、子供のように振りかざすその傲慢さ。その無知からなる邪悪さに吐き気がするわっ。
しかしどういう訳か毒は効かぬし、暗殺者を使った者は返り討ちにされた上、どういう訳かこちら側の情報が漏れる。あの小娘の周りに侍る邪魔者や何の価値のない民を消しても、生き返らせるという、おぞましい邪法まで操る始末。
あの女を陥れるどころか、このままでは国そのものがあいつの手に落ち、とんでもない事になりはしないかと、気が気でない。大体、死人が蘇るとはどういうことだ。これは口封じも出来なくなると言う事に等しいぞ。
まさに悪魔の所業。邪悪そのものであろう。なぜ誰もその危険性と、おぞましさを理解しないのか。
生の苦痛から解き放たれる最後の手段である死が、死んでも続く地獄へと変わったと言う、その意味を理解しておらん。無論、国の重鎮や陛下を含む王族の方に、万一の事があった時には何よりも心強いものであろう。
しかしそれは緊急事態にのみ使うからこそ、奇跡として尊ばれるのだ。その奇跡を安売りすれば、誰もが我もと縋ろうとする。そしてあの小娘は、それを為すのであろうよ。
一度奇跡に縋ったなら、愚民共は決してあの小娘を手放さない。奇跡無しで生きようとは思わない。奴らが祈りを捧げるのは偉大なる神々ではなく、奇跡と言う分かりやすい利益を齎す者へと成り下がるのだ。
どうにかしなければならない。民を、国を堕落させようとする悪魔を、どうにか打ち滅ぼさなければならない。例え最後の一人になろうとも、あのようなバケモノなど認めるものか。真の愛国者として、あの女の欺瞞を必ず暴いてくれるっ。
まあ、おりゃあ金にさえなれば何でもいいんだけどよ。しかしあの聖女様ってーのは、どうにもやりにくい。とある貴族様方に頼まれて、金銭や契約でもって雁字搦めにしようとしたのはいいんだが、あっちもあっちで相当な金持ちと来たもんだ。
多少の額では驚きもしないし、あの不思議な財布から幾らでも金貨が溢れ出てきやがる。その上金が足りなくなりそうになれば、何を思ったかどこからか魔物を、それも飛竜やらなにやら、到底ヒトに手出しできないようなバケモノどもを狩って来ては金にするという、有り得ない力技まで涼しい顔してやっちまいやがる。
まあね。お陰でたんまりと稼がせてもらいましたし、こっちに損は無いんでいいんですが。しかし困った事に、これでは貴族様方が当然納得などする訳がねえ。
市場価格ってもんもありますし、聖女様にはあまり派手に暴れられても困るってんで、別の方法で稼いではどうかと言ってみたらまあ、見事に食いついてきましてね。これでもう好き勝手出来ねえだろうと、高を括ったんでさあ。
食堂を作るって言うんで手を貸してやって、しかし食材の仕入れや人を雇うのに、出来るだけ不便するように計らったんですがね……いやあ、あの聖女様。まさか自ら厨房に立つとは思わなかった。その料理が旨いのなんの! ……おっといけねえ。
また食材にしてもどっからか手に入れて来るしで、打つ手がねえ。こっちが送り込もうとした雇い人も、いつの間にかあっちが雇い入れたって言う亜人共が居たせいで、送り込む事自体に失敗。
だったら店の評判を落としてやろうと、素行の悪い連中を使ってみたはいいが、当のご本人によって返り討ちにされるわ、従業員に手を出そうとすれば、どこからともなく光が降り注ぎ、黒焦げにされて死にかけると来た。
そ知らぬふりして聞いてみれば、他者に危害を加えようとすると、天罰が下るとかいう、とんでもねえ奇跡を使ったとかで、こうなると他の嫌がらせをしようにも、やりたがる奴がいなくなっちまう。
これはもう、打つ手なしだと思ったね。関わっちゃなんねえし、逆らっちゃ生きていけねえ。それに聖女様にくっついていりゃあ、それはそれは儲けさせて貰える。商人ならばどちらに付くべきか、はっきりしたも同然だ。
そんな訳で貴族様方のご機嫌を取りながら、聖女様のお手伝いをするようにしたのさ。側近よろしく聖女様に忠誠を誓った奴らとはちょいと揉めはしたものの、こちらが渡した情報を上手く使って、敵対する貴族様方を追い詰めていった訳さ。
ま、結局は長い物には巻かれろって事さね。