無垢なる邪悪
何処にでもある小さな町の、小さな酒場。そこにはこの町には似つかわしくない、美しい少年が居た。
銀糸のような美しい髪に、血のように鮮やかな深紅の瞳。透き通るような白い肌。歳は十四前後。余りにも美しく、妖しい魅力を持った少年がこの町を訪れたのは、つい最近のこと。
路銀を稼ぎたいと言う少年を、酒場の主人が給仕として雇ったのだと言う。それだけならちょっとした、美談として済む話だろう。だが世の中はそんなに綺麗なはずがないと、誰もが知っている。
少年の仕事が給仕だけで終わるはずが無かった。その美しい、少女と見紛うばかりの美貌を持つ少年は、夜な夜な酒場の主人の命令で全く別の仕事をやらされている。
それは彼を一晩買いたいと言う、好き者相手の夜伽であった。それは男でもあり、女でもあり。彼に魅了された全ての者が、彼の若く未熟な肉体を求めた。
薄い胸板は白磁のように白く、あばらが浮いていても寧ろそれが美しく映える。抱きしめれば簡単に折れてしまいそうな、細くくびれた腰は、情事の最中は情熱的に乱れ狂う。特に女のように抱かれる時の啼き声は、ハスキーボイスも相俟って、果てた体が何度も天を衝く様にそそり立つほど蠱惑的で、劣情を催すものであった。
最初の頃は一夜に一人、相手するだけで良かった。少年も乗り気で、寧ろ楽しんですらいた様子を見て客も喜んでいたのだ。だがだんだんと店主がエスカレートさせていき、一夜で何人もの客を取らせようとした頃。
ぷっつりと、客足が途絶えた。
彼の相手をしていた者は一様に瘦せこけ、徐々に弱っていった。それを隠すように彼らは日中、厚着をするようになり、つばの広い帽子を被るようになった。それは酒場の主人も同様に。そんな中で、少年だけが何時もと変わらぬ様子で暮らしている。
町の者達は不審に思ったものの、どうせ覚えたての餓鬼のように頑張り過ぎたせいだろうと、特に気に留める事はなかった。人間離れした美しい少年を前にして、欲情せずにはいられない者の方が圧倒的に多いという事実もあった。
どうせ少年を買うような奴らは皆、大なり小なり、ならず者のような奴らばかりだったのだから。
寧ろ町の治安が良くなったと、吹聴する者まで現れる始末。だから気付かなかった。気付けなかった。
ある夜、悲劇は起きた。
酒場の主人を始めとした、少年と関わった者達が一斉に町の者へ牙を向いたのだ。
彼らは人の姿をしながら、既に人ではなくなっていた。血を啜り、精気を奪い、哀れな被害者は彼らの眷属としてまた別の者を襲う。老人も大人も子供も、男も女も、赤子でさえも全て。
悲鳴が、町中のあちらこちらから木霊する。大切な者を守ろうと奮闘した者が、大切にしていた者を襲うという悪夢の連鎖。
少年は嗤っていた。町の全てを手中に収め、この惨劇を引き起こした張本人は、この状況を目にしてもなお、良心の呵責を覚える事など無かった。
少年が次に目を付けたのは、この辺り一帯の領主のお膝元である大きな街だった。精強な私兵に護られたこの街に眷属を送り込み、内側から突き崩そう。それはきっと面白い事になる。大昔に故郷で流行ったという、ゾンビパニック映画のようになるに違いない。
そう考えた少年は早速行動に移した。かつて人の住む町だった場所は無人と成り果て、当時の様子を緩やかに風化させていくだけの物へと変わっていく。無常を噛み締めるように。
目論見は、意外なところから瓦解した。
標的となった大きな街の中に眷属どもを送り込み、十分に街のあちこちに配置し終えてから、一斉に蜂起する。あとは眺めるだけの簡単な娯楽であるはずだったのだ。
それを、眷属の存在を見破る者が現れるなどと、少年は想像すらしていなかった。誰一人として街に侵入できず、そのまま殲滅戦へと雪崩れ込んでいく。
悪い事は重なり、彼らが見つかった時間は昼間。眷属たちは陽の光に直接晒されぬよう気をつけなければならず、思うように攻めることは出来ないでいた。
それでも当初は数で勝る眷属側が押していたが、やはり相手は城壁に護られた街。一度門を閉じられては、突破する事も難しい。時間が経つにつれて徐々に応援が駆けつけ、殲滅も時間の問題かと思われた。
そんなつまらない結末を、少年が受け入れるはずもなく。つまり彼自身が動いた。目的は空から街の中へと侵入して、適当に眷属を増やす事。そうする事で街を混乱させ、外と内の両方から瓦解させるつもりだった。
目論見は、上手くいったかのように見えた。しかしそれでも、彼を阻もうとする者達が立ち塞がる。
彼の前に立ち塞がった者達、それは冒険者と呼ばれる集団。魔物退治を専門とする者も多いという、民間の魔物向け暴力装置。それでも少年はその能力に任せて、力押しで薙ぎ払っていく。
例え日中で弱体化していようとも、簡単に負けはしないと自負しているからこそ、大勢を相手に大立ち回りを演じているのだ。
そうやって暫く暴れていると、徐々に腕に覚えのある者達が増えて来る。それはこの街の正規の兵も含まれていた。少年の正体は既に看破されており、その弱点となりそうなものや、彼の動きを封じる為の物を投入し始めた時には、少年は撤退する機会を完全に逃してしまった。
まだ太陽は輝いていた。
本来の実力を発揮しきれない上に、それなりの実力者と数と地の利によって押し切られ、少年は敗北した。それとほぼ同時に、街の外で暴れていた眷属たちも全て討伐されたと言う。
捕らえられる事も、処刑される事も無く。力尽きたその場で首を落とされ、火にくべられて灰になった。陽のあるうちに、一切の猶予も与えることはなく。
これだけの大事件を起こした「魔物」だからこそ、そこに一切の異論は存在しなかった。
黒で満たされたその空間は、その土地の者ならばすぐに理解するだろう。地下の墓所であると。その隅にある空の石棺が突如として開き、中から銀髪赤眼の美しい少年が立ち上がる。
少年は何一つ身に纏っておらず、闇の中だと言うのに白く透き通るようなその素肌は、輝いているようにすら見えた。
「……クソッタレ! あんなゴミ共にしてやられるなんて! ……まあいいや。この僕は不死身なんだから、次は上手くいくし失敗なんてするものか。ああそうだとも、この高貴で美しい夜の支配者の前に、あの卑怯者どもを跪かせてやる!」
怒りに満ちた形相でそう吐き捨てると、彼はゆっくりと深呼吸をする。
万が一、自分が何者かに倒される事があろうとも、事前に簡単な儀式を施した棺があれば、そこから何度でも復活することが出来る。
彼は非常に用心深く、しかし逆を言うならとても臆病で、自身が復活するための棺を各地に用意しており、その全てを排除しきる事はほぼほぼ不可能であると言ってよかった。
地下墳墓や辺境の廃墟の中、なんでもない洞窟に棺を用意して洞窟の出入り口を塞ぐなど、あらゆる手を使って各地に自分の復活ポイントを用意しているのだから、その困難さが判るだろう。
だから彼はどんな無謀も行う。一度自分を陥れた者を決して許さず、油断している時を狙って、確実に復讐を遂げる暗殺者でもあった。同時にとても気紛れで、相手を探すのが困難だと思った時は、あっさりと諦める事も少なくない。
それは復活ポイントである棺が、複数ある為に起こる唯一の欠点。それは復活場所を選べない事で、あまりにも距離が離れすぎた場合、すぐに違う事に興味が移るのだ。
「ふー……。なあに、ちょっと油断しただけさ。僕のような高貴な存在を妬んだ愚か者なんか、わざわざ相手なんてしてやるものか」
そう呟きながら、少年は地下にある墓所を抜け出し、外に出る。背中から蝙蝠のような翼が現れ、彼は夜空に舞い上がった。
暫らく上昇した後に下界を見下ろすと、とても小さな町や村の灯りらしきものが、ポツリポツリと見える。闇を見通す目を以ってしても、先程自分を貶めた連中の居場所など判らない。
少年はすぐに興味を失くし、また違う場所へと飛び去って行った。次はもっと大きな街で、もっと手軽な遊びをしよう。為政者をシモベに変えて、意のままに操って戦争を起こしてみよう。ゲーム感覚のまま、無謀で無邪気に邪悪な企てを夢想するのに勤しみながら。