始まりの終わり
天も地も区別なく、蒼が広がる世界だった。熱い風が吹きすさび、見下ろす眼下には見渡す限りの水平線。
どことも知れぬ海上の遥か上空から、巨大な影が横切っていく。
それは、莫大な質量を持つ岩塊。空中に浮かぶ、巨大な島だった。その島には壮麗な白亜の城が聳え立ち、さながら神の城とでも形容したくなるような、見る者に畏怖を覚えさせるものであった。
その威容を何者かが、どこからか見つめていた。哀れにも招かれてしまった犠牲者として。そして自分達の協力者となってくれるであろう者達として。
最初にあったのは、困惑と日和見。
どうせ何かのイベントなのだろうと、誰もが思っていた。しかし時間が経てば経つほど、自分達が置かれた状況が、異常である事が浮き彫りになっていく。どれほど時間が過ぎようと、元居た場所に帰ることが出来ない。
周囲には何もない大海原であることも、彼らにとっては不安を煽る一因であった。水平線しか見えないと言う事は、空を飛べると言っても迂闊に動けば、城に戻る事が出来なくなるかもしれないと言う事だ。
城に有る筈の幾つかの機能は沈黙したままで、動作しない。特に登録してあったホームとなる町に繋がる、転移門が起動しないのだ。同様に転移アイテムさえも使えない。
現実ではない筈なのに、全てが現実のように感じられる。そんなはずはないと思っていても、心のどこかで現実なのではないかと、不安だけが募っていく。
虚構の世界だけの、物語の世界だけの話なのだと思っていた。はずなのにである。
それは空腹や便意などの生理現象を前にして、あっさりと瓦解する程度の現実逃避でしかなく、彼らは否が応でも現状の認識を迫られた。
食糧はなんとかなった。島にある畑が今まで通りの促成栽培がお陰で、なんとか全員の飢えを満たせる程度の作物は栽培、収穫が可能であったからだ。水の方も、魔法でなんとでも出来たのも幸いだった。
しかしトイレ事情に関しては、悲惨の一言であった。約二十名ほどの老若男女がこの島に聳える城に居り、広大な敷地で暮らす。だがこの城は元々、普通の生活が出来るようには造られておらず、残念ながらトイレはなかった。
そうなると生活空間に垂れ流す訳にもいかないので、野外で出すか、壺などをオマル替わりにするなどの手段が必要になってくる。
今までそのような状況で排泄する行為など、誰一人として経験が無く、これをどう乗り越えるべきか、多くの者が決断を迫られたのである。
男性も大変だったが、女性は特に大変であった。この理不尽な状況に塞ぎ込む者も増え、危機的状況へと足を踏み入れようとしていたのだ。
そのような状況で僅かな救いとなったのは、彼らが従者と呼ぶ、この空飛ぶ城と島の維持管理をしていた者達だろう。少なくとも、城や畑での日常的な作業は彼らがしてくれるし、生活の世話もやってくれているお陰で、何とかなっているようなものだ。
不思議な事に、従者たちに話しかければ丁寧に応対してくれるし、コロコロと表情が変わるようになっていた事を、不審に思う者も居たようだが。
そんな風になんとか生きていく基盤が出来上がり、騒ぎが一旦は落ち着きを見せようかと言う時であった。
彼らは落ち着く間もなく、唐突に来訪者が現れる。混乱する彼らを異邦人と呼び、力を貸して欲しくてやってきたと来訪者は告げる。誰もが、その声を聴いた。頭の中に響くように強く、しかし優しい声。
その場に居ない筈の者さえも、彼の者の声を強制的に聴かされ、だからこそこの来訪者が自分達をこのような状況に追いやった、張本人ではないかと考えた。それを見透かしたように、来訪者は即座に否定して、彼らにある種の落胆を与える。
来訪者は言った。
「我々は君たち異邦人の言葉で言う、神とも呼ばれる者。しかしこの世界の外から来て、この世界に囚われてもいる存在。丁度、君たちと同じように」
この世界には、様々な者や物が時折流入してくると言う。この世界に流れ着いた力ある存在は、ここで新たに自分達の世界を創り、育もうとしているのだと語った。
「そんな時に君たち異邦人は運悪く、この世界に呑み込まれてやってきた、いわば漂流物のようなもの。他にもそんな者達はいるが、ここまで大規模な流入は初めてだ。強大な怪物や、我々と同じ神と呼べる存在さえも、一緒にやって来たのだからね」
それは何故か。彼らが興じていた遊戯そのものが、この世界と同じ性質を持っていたからだと、神を名乗る来訪者は言った。
そして遊戯の世界でしかなかった物が、新たな世界と言う形を与えられて、動き出したのだ。それは新たな生命の誕生を意味する事と同義であり、その事実だけでも多くの者に強い衝撃を与えるには充分過ぎる程であった。
来訪者は彼らに、世界を創る手伝いをして欲しいと言った。この天空の城を始め、流入したモノは余りにも多く、そして強大だったのだと言う。
それらを使って、新たな法則を創らなければならない。そうしなければ彼ら自身と、来訪者が互いを意図せずに食い合い、存在そのものまでもが危うくなり、保てなくなるだろう、と。
出来る訳がない。どうすればいい。そんな狂気にも、悲鳴にも似た叫びが上がる。
「簡単な事だ。君たちはただ力を使えばいい。君たちの力をこの世界に刻み込み、それを自然の一部とするのだ。具体的に欲しい何かがあるのなら、我々が手伝おう」
彼らが力を使う程、その力が世界に刻み込まれ、この世界のモノとなる。来訪者にはそれだけの力はなかったから、彼らが刻んだモノを取り込み、利用する。
広大な大地が隆起し、雷霆が地を割り、大海は渦を巻き、暴風が地を抉り、寒波は海を凍らせ、劫火は天をも焦がす。
光は灯り、闇はそっと寄り添ったまま、時が生まれ、命は芽吹く。
最初の大河はあらゆる場所に流れ、更に二つの流れに姿を変える。
一つは全てが宿す活力そのもの。プラーナと呼ばれる、命のチカラ。
一つは同じように全てに宿る、新たなカタチとなったもの。マナと呼ばれる、魂のチカラ。
一つは分かれ、世界を巡り、二つは再び一つに還る。こうして世界の礎は創られた。
流入した幾つもの中から、この世界で生きる者達が生まれた。獣であり、魔物であり、ヒトであり、また精霊も生まれ、それぞれの世界を形作った。
そして自分達が使う魔法やスキル等と言った超常の力を、この世界に適用させ、適応させていった。
こうして創世は成り、神話と呼ばれる時代が始まった。
ヒトは神と崇める数多の存在による恩寵を受け、穏やかに栄えた。この世界にやってきた彼らもまた、崇められる側の存在として、天高きところに在る城より下界を見下ろしながら、穏やかに暮らしていた。
故に退廃するのも、そう遅くはなかった。
彼らは所詮、ヒトの側の存在。彼らの中には己の分を弁えず、絶対者として振る舞う様になる者が現れた。彼らは創世に関わった、特別な存在なのは事実。傲慢を当然とするのは、自然と言えば自然。
だからこそ彼らの中で対立が起こるのも、必然。
それを唆したのは、邪な悦びを是とする者達。邪神とも呼ばれる、対立者。創世にこそ力を貸したが、その後の世界の在り方に異を唱え、積極的に世界を害するようになっていった。
歪みとすれ違いはどんどん大きくなり、彼らは二つの陣営に分かれた。聖に位置する力を世界に分け与えんとする聖神と、邪に位置する力を己の思うままに揮う邪神の陣営に分かれ、全てを巻き込んだ大戦が始まった。
それは他の神々や、強大な力を持つ竜たちさえも巻き込んだ、終末の戦い。
同じ場所から来たはずの異邦の彼らさえ、自らの正義と欲望をぶつけ合い、何時しか武力を用いるようになり、地上の人々も己の奉ずる存在に加担し、相争った。
邪神は己の忠実な下僕として、多くの悪魔を生み出した。悪魔は世界を蝕み、暴れ回った。
聖神の陣営を追い詰めかけたは良かったが、悪魔は自らを上回る存在を許さず、とうとう自らを生み出した邪神にさえも、牙を剥いたのだ。
下僕からの意外な反撃を喰らい、邪神は怒り狂った。西の大海に大穴を穿ち、虚無で満たす。そして自らに歯向かった悪魔どもを大穴へと閉じ込めたのである。
その隙に聖神の陣営が勢力を拡げ、力を蓄えて再び反旗を翻す事を許してしまった。
そんな風に戦いは一進一退を繰り返すほどに熾烈を極め、終には神々は自らの肉体を大きく損なう、または失った者まで現れてしまった。同じように肉体を失った邪神の多くは降伏したが、肉体を失っても決して戦う事を止めようとしない最も強い邪神は、大地の殆どを砕かれてしまった北の大陸に封印する事になった。
封印には全ての神々と、異邦人たちが力を合わせる事で漸く可能であった程に、邪神の執念は強かった。
そしてこの戦いによって、世界に漂流してきた異邦人たちさえも、幾人もの命が失われた。
多くの者が死に、空も、海も、大地も、動物や植物までもが力を失い、滅びようとしていた。残ったのは、荒廃しただけの世界であった。誰もが己の理想を掲げ、我を押し通した結果が世界を滅ぼす事だったと気付いた時には、全てが手遅れであったのだ。
誰もが絶望し、自分達の行いを悔いていた。世界から全てが失われ、最初の大河さえも枯れ果てようとしていた、その時。
天空に聳える城、その最奥にある神樹の間。世界樹と呼ばれる存在の苗が安置してある場所が崩れ、世界樹が地に墜ちたのだ。
世界樹は大地に根を下ろすと、急激に成長し、青々とした緑を芽吹かせ、世界にその威容を示す。そして世界樹は急激に衰え始めたのだ。
世界樹から漏れ出た物。それは、世界樹の持つ世界を育み守る力。その力に触れたモノは全て、再び力を取り戻していった。
空から暖かな光が降り注ぎ、風が雨雲を運んで、恵みの雨が大地に染み渡る。海と大地は力を取り戻し、世界樹が撒き散らした様々な種は、数多の植物の新たな始祖となって栄えていく。
そしてそれらを糧とする獣も再び数を増やし、人々もまた数を増やしていった。
こうして、世界樹がその身命を賭した事で、世界は再生した。
こうして、世界樹はこの世界から、永遠に失われた。
この世界に大きく干渉できるほどの力を失った神々は、自ら地上を去る事を決意し、神々が住むべき神界を創り上げて、そこへ移り住むことにした。
しかし終末の傷跡は深く、そのまま地上を去っては地上は滅びゆくのみであると、再び異邦人たちと力を合わせて世界を創り直す事にしたのだ。
彼らは残された力を使って幾つもの、新しいものを生み出した。
今もなお増え続ける、封印された邪神の瘴気を基に、ダンジョンと呼ばれる小世界を創り、その中に瘴気を封じ込めることで一つの守りとする。しかしそれでは瘴気を減らす事は出来ない為、ダンジョン内部の魔物と戦う事で、瘴気を浄化する機能を付け加えた。
その為ダンジョンに挑む者である、冒険者と呼ばれる者達の概念と、彼らの手助けする組織など、有形無形問わずに様々な形を創り出し、祝福を与えていく。
そして未だに世界に影響を与える邪神と、その加護を受けた眷属たちに対抗するため、勇者と呼ばれる存在を人間の中から生まれるように定め、自分達が去った後の世界を託すことに決めた。
そしてこの世界を新たに訪れた者が困らぬよう、外から来た者には言葉が通じる奇跡を、異邦人たちと同じところから来た者には文字の読み書きも含めて困らぬように、持ち合わせた能力に合わせた最低限の知識を与える奇跡を遺す。
荒廃した世界は再び命が芽生え、溢れ始めている。今度こそは永き平穏が続くようにと、誰もが祈りを捧げる。
神話は終わり、神々は去った。
神々と共にあった異邦の戦士たちもまた、歴史の中で緩やかに姿を消していった。
こうして世界は、残された弱く儚き者達へと委ねられたのである。
永い刻の中で、神代の記憶は失われ、生命は今も世界と共に。
今や誰も居なくなった空の城は、悠久の時の中で天を彷徨い続けている。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
蛇足かもしれませんが、活動報告やTwitterなどで、各話の簡単な解説をするかもしれません。興味がありましたら、そちらもご覧ください。