19.(前編)
王都の王宮にほど近い一角、明かに高級住宅地の様相を示している地域。
そんな豪華な屋敷が立ち並ぶ街並みから少し外れた所にある、ローズベリー伯爵家の邸宅。
その邸宅の、鬱蒼と茂る樹々で周囲から隔離されながらも日当たりの良い小ぢんまりした庭に面した、ぽかぽかと温かく落ち着いた佇まいを見せる部屋。
俺は、自室として割り当てられたそんな一室のベットで、朝、爽やかな気分で目覚めた。
今日で、王都に到着してから五日が経った。
そう、五日め、だ。用事を済ませて、とっとと辺境の屋敷に撤退するという心づもりは、またしても、果たされなかったのだった。
田舎育ちのほのぼの令嬢という設定を死守しているジェシカさんは、昨日から、医療従事者としての基礎教育を、物凄い勢いで叩き込まれていた。
当家のメイド長であるジャネットさんが招聘した講師は、かなりのスパルタ教育者のようだ。
ちなみに。一昨日までのジェシカさんは、他家に教えを乞いに行く際には必要となるからと、ジャネットさん直々の超スパルタな令嬢教育を、グレンダさんの侍女教習とのセットで受けていた。
なかなかにハードな日々を過ごしている、と思う。
だが。ジェシカさんは、目標に向かって、涙目になりながらも、頑張っていた。
ジェシカさんの叔母であるロレッタさんは見た目からして妊娠三ヶ月くらいだったから、出産の数ヶ月前すなわち五ヶ月後までには、ある程度は役に立つレベルになって一旦は村に戻る。
そんな目標を、しっかりと見据え、真剣に勉強に取り組んでいるようだ。
ドジっ子メイドの侍女見習いであるグレンダさんの方は、到着して遅い夕食を取った直後から問答無用で、ジャネットさんの熱血指導が開始されていた。
ジェシカさんがいったん帰郷するまでに、ローズベリー伯爵家の侍女としての仮免許が取得できたら、アレクの専属メイドとしての辺境伯の屋敷での雇用と技能取得の継続支援を確約した。からなのか、何やら思う処もあったようで、必死に取り組んでいるようだ。
ちなみに。衣装は、やっぱり、メイド少女のまま、だ。
どうやら、グレンダさんの身に付けているメイド衣装が、少し追加の加工をされた上で、ローズベリー伯爵家の若いメイドさんの制服に採用される事となった模様だ。
メイド長のジャネットさんとベテラン侍女の皆様は、かなり先進的でかつ革新的な感覚をお持ちのようだった。
で。俺が、ここ数日の間、何をしていたかと言うと...。
王都に到着した日、俺は、王都のローズベリー伯爵邸の熟練スタッフの皆さんによる心尽くしの遅めの夕食を頂きながら、アレクに、ラヴィニアさんと会ってジェシカさんへの支援を依頼しようと思う、と話したのだが...。
困った様な呆れたような顔をしたアレクから、このタイミングで俺がラヴィニアさんに会いに行くのは、王都の社交界に俺がラヴィニアさんに御執心だと喧伝するようなものだ、と注意されてしまった。
とはいえ。俺には、他に、治癒魔法の使い手に心当たりは無いし、アレクにも人脈の豊富そうなメイド長のジャネットさんにも伝手は無いようなので、それ以外に選択肢がない。
まあ。それ位に、治癒魔法の使い手が貴重な人材だという事でもあるので、是非とも、ローズベリー伯爵家としてはジェシカさんを育成して確保しておきたい、という判断にもなるのだ。
いや、まあ。ラヴィニアさんをローズベリー伯爵家の陣営に取り込んだ際には、そういった意図があった訳でも無かったのだが...。
話が逸れた。
えっと。まあ、そういう訳で。ラヴィニアさんと会うには、少しばかりの工夫と細工がいる、といった事情により、アレクに色々と骨を折って貰った。
そして。漸く、一昨日に、ラヴィニアさんを養女に迎え入れてくれたノーフォーク公爵閣下から、仕事での面会依頼に対する返答という体裁の連絡が届き、本日やっと、訪問できる事となったのだった。
そう。お仕事で、だ。
ノーフォーク公爵は軍務伯でもあるので、対外的には、先日の魔物大襲来の背後に隣国の不穏な動きがあった形跡あり、といった趣旨の報告と対策協議が目的、という名目になっていた。
勿論、ノーフォーク公爵はご隠居様とも親密な交友がある方だという事でもあるので、俺の辺境伯就任のご挨拶と併せてご隠居様の近況報告も予定している。
という訳で。やっと、王都での雑務に忙殺される日々も終わり、だ。
ご隠居様も、リチャードさんも、アレクも、折角王都に居るのだからと、ご隠居様が王都に積み上げ放置していた細々とした雑務の山を俺に押し付けて来るので、往生していたのだ。
これ以上もたもたとしていると、王都の社交界での困難なミッションなど勝手に追加されかねないので、とっとと辺境に戻りたいと切実に思う。そんな、今日この頃だった。
* * * * *
王都の王城にも程近い場所に広大な敷地を持つ、立派なお屋敷。
俺は、半端ない威圧感を感じながら、門を入ってからも延々と続く手入れの行き届いた樹木に囲まれた一本道を馬車で通り、豪華で重厚感のあるお屋敷を訪れた。
ノーフォーク公爵、ジョン・ハワード氏。
軍務伯という肩書から、リチャードさんのような厳つい筋肉系の強者を想像していたのだが、実際にお会いしてみると、優し気でダンディーなおじ様風の容貌をした紳士な人だった。
ただ、まあ。ご隠居様すなわち養父であり先代の辺境伯であるアーチボルド・プリムローズを友と呼び、軍務伯という海千山千な職務を全うされている御仁なので、油断ならないのだが...。
それは兎も角。
短時間の面会で、ご挨拶とご隠居様の近況報告と辺境防衛に関する状況説明などを行い、ノーフォーク公爵との会談も無事終わった俺は、メイドさんの案内で別室へと移動している。
そう。ここからが、本日の訪問の、本来の目的、だ。
旧姓が、ラヴィニア・ラウザー。で、現在は、ラヴィニア・ハワード。
つまりは、お馴染みのツンと澄ました感情に乏しい微笑みがトレードマークとも言えるラヴィニアさんとの面会、だ。
ただし。その養母となった、ノーフォーク公爵夫人であり二十代前半の息子を一人持つ母親でもある、オフィーリアさんも、ご一緒となる。
まあ、当然と言えば、当然だ。
年頃の娘を、一人で他家の男と会わす訳には行かないのだから。
侯爵閣下の執務室から、ノーフォーク公爵のお屋敷の中でも少し奥まった位置にある中庭に面した談話室的な応接室の一つだという部屋に、熟練のメイドさんによる簡単なお屋敷紹介を受けながら、案内される。
結構な距離を歩いてから、やっと、案内役のメイドさんが足を止めた。
生真面目な顔をしたメイドさんが、部屋の扉を軽くノックしてから、部屋の中へと声を掛ける。
「奥様、お嬢様。ローズベリー伯爵様を、お連れ致しました」
「は~い。お通しして」
一瞬、メイドさんの顔にピシリとひびが入って諦めの表情が混じった、ような気がする。
が。何事も無かったかのように、礼儀正しくキビキビとした動作で、扉を開けて部屋の中へと案内してくれる。
明るく開放的な雰囲気の広々とした室内には、応接セットのソファーに座り、賑やかに仲良くお喋りをするラヴィニアさんとオフィーリアさんの姿があった。
「もう。養母さま、そんなんじゃありません!」
「本当に、そうかしら?」
「ホントです!」
「そうなのかしら、ねえ...アルフレッド様も、そう思われるでしょ?」
「?」
いきなりの無茶ブリ、だった。
しかし、まあ、それは兎も角。オフィーリアさんは、俺よりも年上の息子がいる母親には、とても見えない。かなりの童顔、だった。
ラヴィニアさんは数年後には清楚な美人になること間違いなしの美少女だが、オフィーリアさんの方は大人になっても幼さの残る可愛い系の女性だった。
「え、えっと。何のお話でしょうか?」
「あら。部屋の外までは聞こえていませんでしたか?」
「え、ええ。申し訳ないのですが、それ程は耳が良い方でないので...」
俺の返答に、オフィーリアさんは、何やら考え込んだかと思ったら一瞬で、満面の笑み。
可愛い笑顔全開、だった。
俺は、思わず、オフィーリアさんの無邪気な笑顔に、引き込まれるように見惚れてしまった。