17.(後編)
広大な農地に、日が落ちようとしていた。
俺は、グレンダさんを伴ったアレクと一緒に、薄暗くなった立派な畑の中を通って一直線に宿場町へと続いている道を、トボトボと歩いていた。
これで全て、現地追加した分も含めて、この農村地帯を訪れた目的は、ほぼ達成できた。
得られた成果としても、悪くはないものだった。
が、しかし。予定していた日程は大幅に超過し、今日も領都には戻れなかった。
そう。俺には、ロレッタさんの弾丸トークを止めることが全く出来なかったのだ。
完敗、である。
余りの遅さに様子を見に来た、アレクと村長であり旦那さまでもあるフレデリクさんの二人がかりで収束を計り、漸く、少し前にお暇する事が出来たのだった。
村長さんの奥様としてその補佐役を如才なくこなし、一部の長老格や村民たちからの余所者扱いにも怯むことなく、常に笑顔で村の運営が滞ること無きよう尽力しているスーパー奥様である、ロレッタさん。
俺との相性が良かったのか悪かったのか判断に迷うところだが、少なくとも好意的ではあったと思うし、一緒に居て楽しかった。
ただ、何故か、俺の言動が彼女の何かを刺激するのか、妙なスイッチが色々と入ってしまったり、弾丸トークに通常の数倍規模で燃料が投入されていたり、していたらしい。
俺たちがお暇するときに我に返ったロレッタさんから、しきりと恐縮されたのには難儀したが、その一方で晴れ晴れとした表情でもあったので、まあ、お役に立てて何よりだとは思っている。
ちなみに、ロレッタさんは妊娠初期、なのだそうだ。
見た目からは全く分らなかったのだが、ロレッタさんの甥と姪であるセドリックさんとジェシカさんとの会話の中で、そんな話題も出て来ていたのだ。
ぎりぎり三十代前半だと主張するロレッタさんは、初産だそうで、セドリックさんもジェシカさんも、物凄く心配していた。
やはり、お産は、この世界でも、お目出度い事ではあるが危険も伴う一大事、なのだそうだ。
しかも、殆ど諦めていた村長の跡継ぎ候補となる子供の出産でもあるためプレッシャーが半端ない、という。
だからこその、セドリックさんの辺境移住であり、ジェシカさんの医師志望であった。
甥のセドリックさんを村長の後継者として養子に、という村長夫婦の過剰な配慮や外野の雑音を排除するため、セドリックさんは、辺境の開拓村へと村で溢れている若者たちを率いて移住することを決断。
農村部ではあまり例のない危険な高齢出産を無事に乗り切る一助となりたいと考え、ジェシカさんは、進捗が捗々しくない医療関連の知識と技術の習得に焦りを感じる毎日。
そんな二人に何かのご縁を感じたし、ローズベリー伯爵領にとっても二人が有用な人材である事は確かだったので、俺は、少しばかり、助力する事にしたのだ。
まあ、それは兎も角。
まずは、今日も遅くなってしまったので、宿場町での宿の確保が目先の課題だ。
今日もまた、想定外での宿泊となるので、当然ながら宿は確保していない。
そう。予定では、多少は遅くなっても領都まで今日中に戻るつもりだったのだ。
ただ。何となく、あの宿に行けば、あの最上級の部屋が謀ったかの如く空いている、ような気もするのだが...。
* * * * *
俺とアレクは前日に続いて高級宿の一番豪華な部屋に、メイド少女グレンダさんはその部屋に隣接する付き人用にと用意されている部屋に、当然の如く収まっていた。
ふらりと現れての前泊と、予定外の二泊めと、お約束通りに舞い戻って来てしまった三泊め。
最早お馴染みとなった、ローズベリー伯爵領内の主要街道に設けられた宿場町にある高級宿。
その宿の主に、揉み手せんばかりの満面の笑みで迎えられた俺たちは、今日もまた、ここの宿泊客となっていた。
うん。明日こそは絶対に領都へ戻るぞ、と固く心に誓った俺は、アレクと明日の段取りについて打ち合せを始めることにする。
「フレデリクさんの村での共同井戸の井戸水による健康被害の件は、ダレン氏の主導による狂言という結論で確定だな?」
「ああ。その方向で、報告書は作成済みだ。それと、先程、領都からこれが届いた」
アレクはそう言って、開封済みの封書を差し出す。
俺は、封筒から折りたたまれていた書類を取り出し、ざっと目を通す。
「あれまあ。居ないと思ったら、領都に行っていたのか...」
「そのようだな。まあ、結果的に、手間が省けて良かったんじゃないか」
そう、なのだ。
意地悪な村の長老であるダレン氏、村に居ないと思ったら、ヤバいと感じて領都をこっそり訪れ、もみ消しを計っていたのだった。
若い頃にダレン氏も面倒をみたことがある村出身で領主館に勤める役人に、もみ消しの助力を強要したところ、逆に諫められてしまったようだ。
最初は興奮していて強硬に、過去の貸しや恩を返せ、村に残る親族を酷い目にあわせるぞ、などなど騒いでいたらしい。
だが、領主館に勤めるのは少数精鋭の仕事が出来る事務方ばかりだし、現地に赴いているのが新米の領主本人だと皆知っているので、懇切丁寧に反省を促されたようだ。
その結果。最終的には、馬鹿な事をしてしまったと意気消沈したダレン氏が、その知人でもある役人に付き添われて、領主館へと自ら出頭して全て自主申告したという。
うん。めでたし目出度し。
「であれば、ダレン氏への罰則は、代替わりと罰金刑。跡継ぎは、期限付きで村長の監視下に、といった所かな?」
「ああ、そうだな。自首した分、罰金も当初案よりは少し減額、といった感じになる」
「水に関わるものなので、本来であれば厳罰を適用しても良い処なんだろうが、そうすると村長さんにまで類が及ぶ恐れもあるから、狂言という事でこの辺りに落とすのが妥当、なんだろうな」
「そうだな。念のため、最終決裁の前に、爺様の意見も確認しておくか...」
「ん? そうだな。ご隠居様に後からお説教を受けるのも嫌だから、念のため頼むよ、アレク」
「了解。そのように手配しておく」
アレクが、ごそごそと追加の書類を作成するのを眺めながら、俺は、次の課題に思考を切り替える。
頭の中を整理して、この後の行動の選択肢を洗い直している、と。
スッと、良い香りのする紅茶が入ったカップの乗ったソーサーが、視界の隅に置かれた。
「あれ? グレンダさん、いつの間に...」
「...」
無言で、礼儀正しく頭を下げて、アレクにも紅茶を給仕して、お茶菓子も用意するグレンダさん。
この可愛らしいメイド服にも見慣れたなあ、などと考えながら、そう言えば彼女の今後も要検討だった、と思い出す。
身寄りがなく危なげで事故りそうな女の子を放置できず、暫くの間はアレク専属の雑用係にするという名目で今日一日連れ歩いていた訳だが、領都に戻る際にはどうするか、決めておく必要があるのだ。
アレクを見ると、...馴染んでいるな。
グレンダさんを見ると...何だか楽しそうだな。
よし。面白そうだから、採用!
「アレク。ジェシカさんに、五ヶ月で、出産に関連する医療行為と治癒魔法の基礎を叩き込めると思うか?」
「...」
「王都のローズベリー伯爵家に送り込んで、短期集中で仕込もうかと思うのだが、どうだろうか?」
「...そうですね。どのような立場を、用意されるおつもりですか?」
「田舎育ちのほのぼの令嬢であるジェシカさんと、ドジっ子メイドの侍女見習いであるグレンダさんを、二人纏めて王都のローズベリー伯爵家にて預かって教育する事になった、というのはどうだ?」
「ほ、ええっ?」
「...」
頭が痛い、と呆れ顔で俺を見るアレク。
急に名前を呼ばれて思わず叫んでしまい、慌てて口元を抑えるグレンダさん。
うん。良い組み合わせだね。
「グレンダさんも、手に職を付けないと、この先、本当に生活に困るよ?」
「...はい」
「アレクの付き人というか専属メイドは、やってみてどうだった?」
「...あの、楽しかったです。けど、お役に立っていたのでしょうか?」
「アレク、どうだい?」
「アル、何を考えている...」
「あ、あ、あの、やっぱり...」
「俺には、アレクの呼吸に合わせてタイミング良く、自然な対応が出来ていたと思うけど?」
「まあ、そうですが」
「...」
「という事で、グレンダさん。アレクの専属を続けるため、本格的なメイドとしての訓練を受けてみませんか?」




