15.(前編)
ローズベリー伯爵領の北西部、豊かな農村地帯が続く地域の中心である宿場町に程近い、これといって特徴のない、小さな農村。
そんなありふれた農村の、村で一番大きな屋敷ではあるが小ぢんまりした、村長宅。
その村長宅の前にある一寸した広場で、俺は、困惑していた。
「寝込んでいる病人たちを、余所者に会わすなど、出来ませんな」
「ダレン殿...」
「フレデリク殿も、村長なんですから、村人の立場に立って考えて貰わんと困りますな」
「しかし。飲み水の汚染は、領主さまへの報告事項ですし、こうして、領都からも調査の方が来ておられるので...」
「調査への応対は村長の仕事ですから、村長が対応されればよろしかろう」
「ですから、こうして...」
「領都の方も、見るからに不慣れな若い新人さんを調査に寄越している訳だから、それ程は重要視されていないのではありませんかな?」
「ダ、ダレン殿。そのような不敬な言動は...」
「ま、兎に角。病人たちには会わせられませんので、村長の方で対応しておいて下され」
「し、しかし...」
「では。私も暇ではないので、今日は失礼させて頂くよ」
村長であるフレデリクさんがダレン殿と呼んだ、見るからに悪役面をした貫禄ある体格の老人が、俺とアレクに形ばかりの礼をしてから、足早に立ち去って行った。
うん。あれは、駄目だ。
多少の目端は利くようで、俺の身なりとその従者であるアレクの態度から、俺がそれなりの地位にあるのだろうとは見当をつけたようだ。
が、見た目が十五歳相応な俺の容姿を見て、それ程の権限や能力は無いと踏み、直接の応対は避けながらも間接的に軽視する言動で煙に巻いてみた、といった処だろう。
下手に権力を使って正面から追及すると、証拠隠滅やトカゲの尻尾切りなどあらゆる手段を駆使して、全力で責任逃れをしそうなタイプ、だな。たぶん。
であれば、今日のところは深追い厳禁。
まずは、しっかりと、油断している間に外堀を埋めてしまった方が良さそうだ。
という事で。はてさて、この後は、どうしたものかな...。
「アルフレッド様、申し訳ありません」
「ははは。フレデリクさんも、苦労されているようですね」
「不甲斐ない限りで、本当に申し訳ございません」
「まあ、確かに、私は成りたてホヤホヤの新人、で間違いないけどね。領主ではあるけど」
「...」
「ああ。勿論、先程のダレン氏の態度については、不問に付すよ。けど、あの御仁は、叩けば叩くほど埃が出てきそうだから、次はどうなるか分らない、かな」
「私の力不足で、アルフレッド様に余計なお手間を取らせてしまい...」
「いやいや。身分を敢えて告げなかったのは私だから、そこは問題なし、としましょう」
「...」
「ダレン氏に関わるこの村の運営における課題や諸問題はさておき、水源の汚染については、まず、その真偽の程を明確化する必要があります」
「はい」
「問題の井戸は、閉鎖してあるのですね?」
「はい」
「では、現場現物という事で、その井戸を確認しましょうか」
「承知致しました。私がご案内させて頂きますので、こちらへお越し願います」
見た目は四十代前半の、実直そうな人柄が窺える村長のフレデリクさん。
一連のやり取りを見る限りでは、村長としての能力にも問題は無さそうに見える。
しかしながら、前任の村長である父親を若くして亡くしたらしく、万全の体制ではないようだ。
後ろ盾となる長老格が居ないために、何かと苦労する事も多いのだろう。
それでも、村のためと真面目に取り組む姿勢には、頭が下がる思いなのだが...。
俺とアレクは、そんなフレデリクさんに先導されて、村落の中心部へと向かうのだった。
* * * * *
この村の村長から、この地域一帯を担当する代官を経由して、領都の領主館に報告されたトラブルは、村共同の井戸から汲む飲み水での健康被害の発生。
第一報では、数名の村人で水あたりが発生した、といったある意味では些細な内容だった。
しかし、一週間後の第二報では、同じ井戸を使用する十数名の健康だった成人男子を含む村人が寝込んだままらしい、という剣呑ではあるが不明瞭な内容へと変化した。
そんな何ともキナ臭い状況もあり、執事のリチャードさんまで詳細な報告が上げられた、というのがこの事案だ。
荒野の探索から戻った俺に、リチャードさんから何やら耳打ちされたご隠居様が、ニヤリと笑った後に真面目な顔を取り繕って、大至急対処するようにと指示を出したのが五日前。
俺は、アレクと共に、何やかやと片付けながら領都に移動し、近場で一泊してから今日の朝、この村を訪れた訳だが...。
村長宅を訪ね、村長さんから概要説明を受けていた所に、この村で筆頭格の長老である件のダレン殿が乱入してきて、村長に対して言いたいことだけ言って帰って行った。
という事で。
午前中にちゃちゃっと片付けて、夕方には領都に戻る、という俺の思い描いていた当初のプランは、敢えなく潰えたのだった。
「さて、アレク。どう思う?」
「言うまでも無い、でしょう」
「はあ。やっぱり?」
「ええ」
「他に使える井戸もあるから、結論は急がず、取り敢えずは、問題の井戸の閉鎖は継続とする」
「その方が良い、と思われます」
「念のため、問題の井戸に細工がされないように、見張りを付ける。と、すべきかな?」
「それとなく見張りをたてるよう村長に指示をしておく、といった程度で良いかと」
「そうだな。そうするか...」
俺とアレクは、朝から間もなく昼という現在までかけて、問題の井戸からその周辺を含む村落を一通り視察しながら、村長さんから背景や経緯や仕組みなど随時の説明を受けて、各所で必要な調査を実施した。
その結果は、ある意味で予想通りの、問題なし。
ほぼ半日をその案内係と化していた村長さんは今、沈痛な表情をして無言で傍に控えている。
「フレデリクさん」
「はい」
「既にご認識頂いている通り、問題の井戸の水質に現時点で問題はなく、その周囲にも井戸が汚染されるような要因はなかった、というのが本日の調査結果です」
「はい」
「ただし、念のため、井戸の閉鎖は継続して様子見としますので、現場保存のために、誰か村人を見張りに立てるようにしておいて下さい」
「畏まりました」
「我々の事は、取り敢えず、領都からの調査人とだけ知らせて、明日の朝から改めて調査に訪れる事になっているので協力するように、と村人には告知しておいて下さいね」
「分かりました。仰せの通りに致します」
「よろしくお願いします。それでは、我々は一旦、宿場町まで引き上げますね」
深々と頭を下げるフレデリクさんに見送られ、俺とアレクは、この村を後にする。
こうして。現地調査の一日目は、午前中だけで一時中断となり、解決は翌日への持ち越しとなったのだった。