2. (前編)
ローズベリー伯爵から、衝撃的というか予想もしていなかった申し出を受けた俺は、一旦、返答を保留して撤退した。
アレクは、まだ伯爵と話すことがあるようで、そのまま伯爵の寝室に残っている。
俺は一人、屋敷の中を歩き、屋敷の庭を抜け、屋敷の通用門を通り、屋敷に隣接する開拓村へと歩いて来た。
すれ違う村人たちと軽く挨拶を交わしながら、何を考えるともなくボーっと歩いて、村の外れにある大きな樹の下へと辿り着く。
ここは、三年前に、俺が記憶を失って倒れていた場所、らしい。
記憶にある最初の光景は、屋敷にある現在は俺の部屋となっている当時は客室だった一室で、フカフカのベッドから見上げる年季の入った豪奢な造りの天井、だったのだが...。
「あれ? アル、こんな所で何してるんだい」
馴染みのある声が聞こえたので、俺は、樹を見上げた姿勢から視線を下げて後方を振り返った。
「やあ。ジェイク、君こそ、こんな時間にこんな所で、何をしてるんだい?」
「俺かい? 俺は、ミランダに頼まれて、荷物運びの真っ最中、だよ」
「ひっど~い、ジェイク。それだとまるで、私が無理を言っているみたいじゃない」
「やあ、ミランダ。今日も、元気一杯だね」
「もう~。アルくんまで、こんな可憐なレディに、失礼だわ」
「おいおい、ミランダ」
「ははははは、確かに。可憐なレディに、元気溌剌とは、失礼だったかな」
「そうよ。私はもう、十五歳なのよ。お年頃の乙女、なんだからね」
「はい、はい。分かった、分かった」
「うん、まあ、確かに、初めて会った時から比べると、女の子らしくなった、かな」
「そうでしょ。アルくん、よく分かってるじゃない」
「あのなぁ、ミランダ」
「ははははは。二人が仲良しで、俺も嬉しいよ」
開拓村の住人で、三年程の付き合いではあるが幼馴染と言えなくもない程度には俺とも気安い間柄である、ジェイクとミランダ。
本当の幼馴染である二人は、この村での俺の第一発見者、でもある。
この二人が、容姿から伯爵の縁者ではないかと意識不明だった俺を屋敷まで運んでくれたお陰で、今の俺がある、と言えなくもない。
まあ、それを差し引いたとしても、この三年間、何かと世話を焼いてくれた頼もしい友人たちだ。
俺は、やはり、庶民である二人や村人たちと一緒に行動している時の方が、しっくりとくる。
「で、どうしたんだい? アル」
「いや、まあ、あれだ...」
「ん? 伯爵さまに、後を継げ、とでも申し渡されたか?」
「...」
「おっ、当たりか」
「わ~、おめでとう! アルくん。とうとうこれで、アルくんも、お貴族様かぁ」
「ま、まあ、そうなんだが...」
「何だ、何か問題でもあるのか?」
「えっ、なになになに? 何か難しい条件でも付いてたの?」
「いや、いや。そういう事ではなくて、だな...」
「なんだ。じゃあ、何も問題ないんじゃないか?」
「そうだよ。遅かれ早かれ、アルくんが伯爵さまの後を継ぐって、みんな思ってたんだし」
「え? そうなのか?」
「何を今更...」
「ええ~。自覚なかったのぉ?」
「いや、まあ、なあ」
「なんだ、本人だけ気付いてなかった、って話か」
「ありゃりゃ。アルくん、鈍すぎるよ」
「それなりの身分を与えられてローズベリー伯爵家に仕える事になるだろう、とは漠然と思っていたんだが...」
「おいおい、それは無いだろう」
「そうだよ。それに、アルくんが後を継いでくれないと、ここのこと何も知らないお貴族様に無理難題を言われて困るのは、私達なんだよね」
「いや、まあ、そこは、それ。俺が補佐として、だな」
「甘いよ! アルくん。生粋のお貴族様が、下々の言うことなんか真面目に聞く訳ないじゃない」
「そうだな。他の貴族が相手だと、皆も、今まで通りとはいかないだろうな」
「そ、そうなのか?」
「「そうだよ!」」
俺の考えは、まだまだ甘かった、らしい。
が。村人たちは、俺が貴族になったとしても今まで通り付き合ってくれる、ようだ。
であれば。俺は、皆のためにも今まで以上に頑張らなければならない、という事になる。
のだろうか?
ただ、まあ。少なくとも、この二人からは、この開拓村の守護者として期待されている、って事で間違いは無いのだろう。
俺は、貴族って柄でない。と、思うのだが。まあ、仕方がないか...。
と。取り敢えずは、漠然としたモヤモヤ感が、何処かへと消えてしまっていた。
まだまだ納得できたとまでは言い難いのだが、それも有りかとは思えるようにはなっていたので、良しとすべき、なのだろう。
うん。まあ、良いか。屋敷に戻ろう。
平常運転で、新たなネタでの夫婦漫才的な掛け合いを始めながら前を歩く、ジェイクとミランダ。
そんな二人を眺めながら、俺は、屋敷の方へと向かって歩きつつ、これからの段取りについて彼是と考えを巡らせるのだった。
* * * * *
開拓村の住人である二人とはミランダの家の前で別れて、俺は、屋敷へと向かう。
すれ違う村人たちと軽く挨拶を交わしながら歩みを進め、屋敷を警護する顔馴染みの衛士に労いの言葉を掛けてから通用門をくぐる。
屋敷に戻ると、リチャードさんが待ち構えていた。