1. (後編)
何やら、思考に耽っておられる伯爵閣下を見ながら、俺は、頭の中で状況を整理してみる。
ローズベリー伯爵が倒れた。これは、間違いのない事実のようだ。
何かと一筋縄ではいかない御仁ではあるが、伯爵閣下は嘘をつかない。
つまり、現状は、ベッドで横たわっている必要がある、という良好とは言えない体調なのだろう。
普段の老齢とはとても思えない程に溌溂として体力があり余っている感のある伯爵が、日中から寝込んでいる、という状況は、間違いなく異常事態だ。
そして。先程の、何やら不穏な言動の数々。
計画、前倒し、不確定因子、改善の余地、成長に期待、などなど。
嫌な予感しか、しない。
「さて。アルフレッド」
「はい」
「お前を、次期ローズベリー伯爵に決めた」
「は?」
「以後、アルフレッド・プリムローズと名乗るがよい」
「え?」
「つまり。今から、お前は、儂の息子、という事にする」
「...」
「勿論、養子縁組の手続きは、行う。そろそろ、完了する頃であろう」
「へ?」
「準備万端、根回しに抜かりはない」
清々しく、言い切る。現在の、ローズベリー伯爵閣下。
っていうか、俺が、次期ローズベリー伯爵だって?
な、何故に?
「そ、そういう問題ではない、と思うのですが...」
「ん? 何か他に問題があるのか?」
「いやいやいや、色々と、問題があるでしょう!」
「例えば、何だ?」
「俺の意思は?」
「問題ない。外堀は全て埋めてあるので、回避不可、だ」
「うっ。そもそも、俺のような素性の知れない人間を後継者にするなど、伯爵家の親戚縁者や周囲の方々がお認めにならないのでは?」
「問題ない。根回しは済んでおるし、儂の決定に異を唱えさせるつもりなど毛頭ない」
「いや、まあ、そうでしょうけど」
「そうであろう」
「いや、いや、伯爵。三年前に拾った記憶喪失の男に、辺境伯という王国の重鎮も兼ねるローズベリー伯爵家を継がせる、とか、あり得ないでしょう?」
「問題ない。幸いにも、我がローズベリー伯爵を拝命しているプリムローズ家の著名な外観的特徴は、黒目黒髪だ。お前も黒目黒髪であるし、容姿が儂に似ていると言えなくもない」
「ま、まあ。隠し子だと思っている人もいるようですから...」
「うむ。儂からのコメントは避けているが、敢えて否定はすまい」
「たぶん、違うと思いますよ」
「うむ。まあ、言わせておけば良い。亡き妻も、娘も、ちゃんと分かっておるさ」
「...」
「で、だ。三年前から、お前の言動は見極めておるし、能力的にも全く不足がない事は確認済み、だ」
「はあ、ありがとうございます」
「そこで、一年前から、リチャードの孫の中でも優秀なアレクサンダーを呼び寄せて、貴族としての教育も施した。訳だが、まあ、その辺りは追い追い、何とかなるであろう」
「うっ。そこは、大丈夫じゃないんですね」
「まあ、兎に角。何の問題もない、という事だ」
はあ。
何故に、こんな話になったんだ。
いや、まあ。確かに、一年前から、アレクがこの地に移り住んで来て、彼の補助を受けながら王国や貴族社会に関する教育も叩き込まれるようになったので、それなりの身分でローズベリー伯爵家に仕える事になるのだろう、とは漠然と想定はしていた。
そう。素性の知れない人間を、それなりの身分に迎える。
普通であれば身の程知らずと切り捨てられるところなのだろうが、ここ、ローズベリー伯爵領では、そんな話も普通に取り沙汰される。良い場所、なのだ。
が、まさか、後継者に成れとまで言われるとは、予想外だった。
それに。
本当にそれで良いのか、ローズベリー伯爵家は。
数年前に、伯爵が屋敷の者や領民たちと酒を酌み交わしていた何かの席で、息子さんは戦死していて、娘さんはかなり以前に他家へと嫁いでいる、といった話を漏れ聞きはしたのだが、他に跡目を継げるような人材はいないのだろうか...。
「そ、そういえば、お孫さんは?」
「確かに、後継者の候補にはなり得るのだが、娘の子供たちには、娘の嫁ぎ先の家での役割がある。それに、まだ幼いので、無理を通すとしても、少なくともあと十年は、跡継ぎに迎えられんな」
「であれば、俺を後継者とすることを、親戚や娘さんが認めないのでは?」
「問題ない。根回しは済んでおる、と言ったであろう。娘は承知している。親戚筋になど、文句は言わせん」
「...」
「儂を誰だと思っているのだ。外堀は、しっかりと埋めてある。観念して、受け入れろ」
「はあ...。伯爵の口から出たご指示は断れないものだ、と頭では分かっているのですが」
「であれば、受け入れろ」
「頭では分かっているのですが、余りにも想定外で、感情の方が追い付いて来ません。少し時間を下さい」
「まあ、良い。が、あまり時間は与えられないぞ」
「はい。ありがとうございます」
往生際が悪い、と半分は呆れ顔となっている伯爵とアレクを、恨めし気に見てから、俺は、伯爵の寝室を辞去するのだった。