6. (前編)
辺境にある開拓村の朝は、早い。
だから、貴族社会であれば朝食直後のまったりと構えている時間帯であっても、村の中に居るのは、不寝番明けで仮眠中の兵士を除けば小さな子供と留守番の老人だけ、となる。
非番でない兵士は砦か屋敷か見回りの巡回路に、屋敷の使用人は各人の職場に、農作業に従事する者は畑に。皆、それぞれの持ち場へと、既に出払っている。
もう少し時間が経ち、昼食時が近付けば、また違った様相を示すことになるのだが、現時点では、村の中には人影が少なく閑散としている。
そんな、辺境にある開拓村で今、俺は、何故か、伯爵令嬢の案内係と化していた。
ロンズデール伯爵家の令嬢、ラヴィニア・ラウザーさん。
俺の名目上の年齢である十五歳よりは一つ年上の、十六歳。
釣り目気味で少し気が強そうにも見える、線の細い痩せぎすな女の子。
薄桃色の綺麗な長いストレートの髪を持つ、笑うと実は可愛いらしいのだが、表情に乏しく冷たい感じのする微笑みが標準装備された美人さん。
言葉少なく、少しツンツンした感もある。が、頭の回転は速く、それとなく気配りも出来る才女。というのが、現時点での、俺とアレクの一致した見立てだ。
「ラヴィニアさんは、王都のお生まれ、でしたよね?」
「はい。王都で生まれて、この年までずっと王都で育ちました」
「であれば、驚かれたでしょう。此処は、人も建物も少ないですから」
「ええ。でも、わたくしは、あまり人混みが得意ではないので、このような素朴な土地も、嫌いではありませんわ」
「そうですか。それは幸いですが、辺境には本当に何も無いので、この村落の他には、これといってお見せできる場所も無いので...」
「あの、わたくし、アルフレッド様が農地の開墾の指揮を取られた、とお聞きしたのですが、その開墾地を見せて頂く事はできませんか?」
「それは、勿論、お見せする事は出来ますよ。ただ、本当に、見て面白いものではないと思うのですが...」
「いえいえ。後学の為に、是非、見せて下さいませ」
今日のラヴィニアさんは、昨日の伯爵令嬢然とした豪華なドレスとハイヒールではなく、街歩きをする豪商のお嬢様のような仕立てのしっかりした趣味の良いワンピースを着て踵の低い靴を履いていた。
しかも、それらを違和感なく着こなし、仕種にも不自然なところが全く無い。
つまり。通常であれば、貴族のお嬢様には、開拓村や開墾地へのご案内をお断りできる理由が何かとあるのだが、彼女の場合、無理だと断れる理由が全く見当たらない。
そして。開拓村を案内した時もそうだが、開墾地の案内を要望してきた時も、現状を楽しんでいてこの後も楽しみにしている、といった雰囲気がそれとなく伝わって来るのだ。
表面上は完璧な伯爵令嬢の微笑みで、ぱっと見はお高く留まっていると言えなくもない冷たい感じの表情なんだが、よくよく見ると微妙な表情にワクワク感が滲み出てきている、というか...。
つまりは、何と言うか、もう、これは、完全に彼女のペースに嵌っている、という状態だった。
ただ。現時点での、彼女と俺との関係を考えると、この状況は物凄く拙い。
拙いのだが、何故か。俺は、あまり焦りを感じていなかった。
勿論、ローズベリー伯爵家の優秀なスタッフによるバックアップがある、と確信している事もあるのだが、彼女の策略に嵌っている、といった感じが全くしないからでもある、と思う。
同行しているアレクから、フォローや誘導もない。ので、たぶん、気のせいでは無いのだろう。
であれば。
楽し気にしている女の子のエスコートを、キッチリと、やり遂げようではないか。と、俺は、前向き思考へと速やかに切り替える事にしたのだった。
* * * * *
薄桃色の綺麗な長いストレート髪が太陽光を反射してキラキラと銀色に輝く、伯爵令嬢のラヴィニアさん。
俺は、ぱっと見は冷たい感じの美人さんな彼女を横目に見ながらエスコートし、開拓村から開墾地へと徒歩で向かいながら、昨晩から今朝にかけての騒動を思い返していた。
昨日の夕方は、突然押しかけて来たキンキン声で少し肉付き良い体型のなんとか男爵さんの主張の是非は兎も角、追い返すと日が暮れる前に辿り着ける範囲内には貴族の女性が寝泊まりできるような場所が他には無いため、致し方なく御一行様を辺境伯の屋敷へと迎え入れる事とした。
幸いにも、辺境伯の屋敷は、危急の際に多数の兵士を受け入れる事も想定された造りのため、収容能力には余裕が十二分にあり、部屋の質素さにさえ目を瞑れるのであれば、急な客を受け入れる事自体には問題がない。
受け入れる側にはこれといった問題もなく、ラヴィニアさんとその侍女さんから特に苦情等の申し立ては無かった。
のだが。案の定、キンキン声の貴族のおっさんからは、テンコ盛りの不平不満のオンパレード、だった。まあ、全て黙殺、と相成ったのだが...。
何やかんやと騒がしかった一夜が明け、朝になると再度、早朝から何やら騒がしくなっていたのだが、暫くするといつの間にか静かになっていた。
静かになった後で確認してみると、どうやら早朝に某男爵さんが王都方面へと急ぎ去って行った、と判明したのだった。
そう。豪華な馬車二台と荷馬車一台に騎馬の護衛たち数人を全て引き連れて、まともに名前を尋ねる機会もないままとなってしまった某男爵のおっさんが、嵐のように一晩で去って行った。
伯爵令嬢さんとその侍女さんの女性二人のみを、屋敷に残したままで...。
非常識、だと思う。無責任だ。というか、キチンと紹介すらせずに放置して去るって、酷すぎるのではないか、と思う。
ただ。予想に反して、残された某伯爵家の令嬢さんは、冷静だった。
彼女は冷静ではあったが、やはり、自分たちが無理矢理に押しかけて来た歓迎されない客である事もしっかりと自覚していて、婚約者として受け入れる気がなく迷惑なのであれば遠慮なく追い出してくれて構わない、とツンツンした態度と顔で、よくよく見ると諦めの混じった半分自棄になった様な投げやりな達観した気持ちが垣間見える表情というか瞳で、冷静に発言するのだった。
ローズベリー伯爵家としては、勿論、二人のお嬢さんをそのまま屋敷から放り出すのは論外だが、速やかに領都から少し前に戻って来ていた当家の馬車に乗せて送り返すことも出来た。
仮にそうしたとしても、ローズベリー伯爵家として、褒められもしないが非難される訳ではないので、面倒事を回避するのであれば、そうするのも一つの選択肢ではあった。
ただ、よくよく彼女たちの立場を考えてみると、それもまた酷な対応だと気付いてしまったのだ。
年頃の娘さんが、しかもどうやら色々と事情がありそうな伯爵令嬢さんが、本人の意思は別として、辺境まで強引に押し掛けて来たにも関わらず一晩ですごすごと追い返されてしまっては、戻った王都で碌な扱いを受けるとは思えない。
そう思い当ってしまうと、もう、俺には、無情にそのまま追い出すという選択肢は取れなくなっていた。
渋い顔をするアレクと、何故かニマニマしているリチャードさんに、彼女の、ロンズデール伯爵令嬢であるラヴィニアさんの、個人的な事情と今回の一連の出来事の背景についての情報収集を指示した俺は、彼女たちには当面、当家の客人として滞在して貰う事としたのだった。
そして、今朝の朝食後。
俺とアレクから、ラヴィニアさんとその侍女さんに、毅然とした態度で通告した。
婚約者として受け入れる事は出来ないが、辺境に女性だけで立ち往生してお困りであろうから保護する旨と、当方の都合が付いたら領都であるローズベリーの街までは責任をもって護衛を付けてお送りする予定である、と。
そう。ここまでは、目論見通り、というか予定通りだった。
当家からの通告に対して、ラヴィニアさんの反応は今一つ明確には読み取れなかったのだが、侍女さんは明らかに安堵していたので、間違った選択ではなかったのだと思う。
が、何故か。その後、ラヴィニアさんとちょっとした会話を交わした結果、俺が彼女たちに辺境と開拓村を案内する、という話になってしまっていたのだった。
解せん。アレクは呆れて天を仰いでいたようにも見えたが、何故に、そのような話になったのか、俺には全く理解できなかった。
もしかして、ラヴィニアさんは一筋縄ではいかない曲者? それとも、意外と天然さん?
まあ、確かに、俺にはまだまだ、貴族社会での人と人との化かし合い的な駆け引きを捌くのは無理そうなので、意図的に策を弄されてしまえば誘導される事もあるだろうとは思う。が、アレクが途中で何も言わなかった、からなぁ...。
と、いう訳で。
俺は、今、ラヴィニアさんに開拓村の簡単な紹介に続いて開墾地をご案内すべく、彼女をエスコートし、アレクと彼女の侍女さんを後ろに引き連れ、開拓村の中央にある質素な道を開墾地へと向かって、ゆっくり歩みを進めていたのだった。