旅立つ前に
図らずも齢12にして母親とベッドを共にするなどというイベントから、早くも3日が経過した。
経営面は、迅速なジェラルドの手配によって、手動ポンプはもとより井戸小屋に関しても着実に進んでいるようだ。
実際、昨日視察に出てみたところ、筋骨隆々の男達の手で実地検分と設計図作成が進んでいるようだった。
さて。それはそれとして、今日は公都に向かわねばならない日である。
向かうべき場所の名は『アルシェーラ魔導学院』。
クラウディウス家で魔法の教鞭を執っていたはずのアルシェーラ先生は一体どこに行ったのか、なんて考えていたのだが、なんでも、学院はアルシェーラ先生がメルフェム大公に直談判して創ったんだそうだ。
つまり、『初代学院長』という事である。
まったく、アルシェーラ先生もなかなか大胆な事をする。
母上が言うには、父上によって『獣人組成術』が実行された翌年に、アルシェーラ先生はメルフェム大公にクラウディウス家の伝手で直談判したんだそうだ。
学院設立の目的は『獣人となった少年少女に力の扱い方を正しく知ってもらうため』とか。
なるほど、確かにそれは必要かも知れない。
師匠でさえ『獣人』になった当初は上手く加減が出来ずに苦労していたのだから、多感な時期の少年少女となれば、その気苦労は計り知れない。
まあ、現在12歳であるオレも『多感な時期の少年少女』の範疇だけども。
「……いよいよか」
「そうだな。短い里帰りだったよ」
屋敷の庭でボーっと突っ立っていると、ライカ兄上がやって来た。
「あまり留まるつもりもなかっただろう?」
「……ははは。流石に隠せないか」
「当然だ。俺は兄だからな」
「なんだそれ。……まあ、オレの事はいいんだよ。姉上達は嫁ぐ予定はあるのか?」
「どうかな。アルマアルマと、俺以上にうるさい2人だからな。案外、お前の嫁候補に名乗り出るかも知れん」
うるさいって自覚があったのか。
まあ、昔みたいにデレデレしなくなった辺りは、兄上も成長してるんだろうな。
「……いいの、それ? 近親だけど」
「幸いというか、マグナ公国にはそれを咎める法はないからな。誰も貰い手がないよりは、母さんも賛成するだろう」
「オレは嫌だぞ、姉上達が妻になるなんて」
「……それ、2人の前では言うなよ」
「わかってるよ」
そんな事を言ったが最後、一体何をしでかすかわかったもんじゃない。
まあ、今でも十分、何をしでかすかわかったもんじゃないんだけど。
最悪の場合、失伝してるはずの他の『禁術』を掘り起こして使うかも知れない。
……家族に対する評価じゃないな、これ。
「アルマ。公都にはうちの馬車で行くつもりなのか?」
「いや、乗り合いの馬車にしとく。それがダメなら徒歩かな。魔法でもいいけど」
「どうしてだ? うちの馬車の方が楽だろう。身分の証明にもなる」
「んー……まあ、確かにそうなんだけどさ。そうなると護衛とか付けなきゃじゃん?」
「当然だ。お前はクラウディウス家の人間なんだからな」
「けど、学院じゃ身分の違いなんて関係ないんだろ? そんなとこにわざわざ家の馬車で乗り付けたら、多分顰蹙を買う。元々は公爵家なんだからさ」
元は公爵家、そして今は侯爵家。
たった1つ違うだけだが、貴族である事には変わりない。
そして、貴族は平民にとっては雲の上の存在にも等しい。
だから、貴族となし平民となしに通うはずの学院では、そうした示威行為はやめておいた方がいいだろう。
前世でも似たような立場だったから、入学時の軋轢なんてのは生じさせないに越した事はない、と経験則で知っているのが救いだな。
「それはそうだが……しかしな」
「余計なしがらみが無さそうだし、オレは気楽だよ。正直、クラウディウス家ってだけで恨む奴もいるだろうしさ」
「……確かにな。うちの領民は好意的に受け止めてくれているようだが、他の場所ではどうかわからないか……」
「まあ、身体能力の向上とかは好意的に受け止めてもらえるだろうけど、元が禁術だからな。禁術に手を出した男の息子だって事で、妙に絡まれたりはするかも知れない」
親の因果が子に報い、とでも言うのだろうか。
ともかく、そういう事情をこちらは抱えているのだから、わざわざ目立つような真似をする必要はない。
人間は、見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞いて、言いたいことだけを言う存在だ。
どれだけ『父上の独断であって、母上や姉上達、オレは関係ない』と言ったところで、取り合ってくれない可能性が高い。
だからこそ、むしろ大人しくしておくべきなんだ。
間違っても、クラウディウス家の馬車を使って、護衛もつけて、学院まで乗り付けてはいけない。
「……人間関係は、面倒だな」
「それには同意するけど……兄上はそろそろ結婚したら? どうせ縁談は貰ってるんだろ?」
「まあ……な。だが、何も今すぐでなくても良いだろう。俺はまだ学ぶ事が沢山あるんだ」
「……別にいいけど、さっさと誰か娶って、母上を安心させてやれよな。父上の件で、一家取り潰しもあり得たんだから」
「わかっている。わかっている、が……」
「なんだよ? もしかして、好きな女の1人もいないとか言わないよな?」
「……………」
「……おい、兄上?」
「……………」
「……な、なあ、兄上? なんとか言ってくれよ」
こいつ……まさか……?
「…………し」
「し?」
「仕方ないだろう! いきなりお前が当主だと言われて、色恋に現を抜かしている暇があるか!」
「5年も何やってたんだよ、このアホ! そんだけあったら暇くらい出来るだろ!?」
この世界、1日は24時間で30日で1ヶ月になる。それが12で1年。
つまり、1年は360日で8640時間。
それが5年分なので、4万と3200時間。
日数に置き換えて1800日。
ただ、父上が亡くなったのは4年半前の事なので、半年の180日を引いて1620日。
それだけの時間を費やして、好きな女の1人もいないだなんて……もしかして、兄上は10代の身空で既に枯れているのでは……?
「あ、アホとはなんだ、アホとは!」
「当主の仕事なんか2年もあれば流石に慣れるだろ? 残りの2年と半分くらいは女探しにあてても良かっただろ、兄上!」
「バカを言うな、アルマ。俺は領地の事も家の事も考えなくてはならなかったんだ。色恋に現を抜かしている暇などない」
何のためにジェラルドがいると思ってんだ、この兄上は。
しかし、こうなったら仕方あるまい。
兄上に女の影がないのは、きっと母上もジェラルドも憂慮しているはずだ。なんなら、父上だって気にしていただろう。
それなら、オレは心を鬼にして、オレにしか出来ない方法で兄上を焚き付けるしかない。
「兄上。オレはこれから公都で暮らす事になる」
「なんだ急に。……まあ、そうだな」
「だから……もし、オレが学院を卒業するまでに、兄上がまだ未婚だったら――」
「……未婚だったら……?」
「そこから先は、2度と兄上を『兄上』とは呼ばない事にする」
「……で、では、なんと呼ぶんだ?」
「……まあ、『ライカさん』が妥当かな」
クラウディウス侯爵……は、オレもクラウディウス侯爵家だからナシ。
かと言って、『兄上』とは呼ばないとしているんだから、名前プラス敬称が妥当だろうな。
「――アルマ!」
「うおっ。なんだよ、兄上。急に大声出さないでくれよな」
「俺はお前が学院を卒業するまでに、必ず、俺が心から愛する女性と結婚していると誓おう!」
「……本当か?」
「本当だ! クラウディウスの名に誓って!」
いや、だから。
オレもその『クラウディウス』だっての。
まあ、とりあえずやる気にはなってくれたみたいだし、後は野となれ山となれ、ってな。
きっとこれで母上も多少は安心だろう。
姉上達の事は依然心配だとは思うけど。




