母上との手合わせ
まるで幼子を引っ張るようにオレの手を引いて庭に出ると、シーナ母上は早速十分な距離をとって、いつも腰に佩いている直剣を抜いた。
よく手入れの行き届いた銀色の刃が陽の光を反射して眩しい。
「……母上。お手柔らかに頼みますよ」
「考えておくと言っただろう? それより、早く抜け」
「はいはい、わかりましたよ」
正直、まったく乗り気にはなれないのだが、ことここに至っては仕方があるまい。
とりあえずそういう事で納得して、オレも腰の直剣を抜く。
今オレの手にある直剣は、以前、森の中でミスリルゴーレムに出くわした際に、これを斃し、その身体を用いて師匠が鍛ってくれたものだ。
……が、母上の持つ剣もまたミスリル製であった。ついでに言えば、母上の剣は素人芸で鍛たれたものではなく、超一流の職人の手で鍛えられた代物だ。
ぶっちゃけ気が重い。いっそ投げ出してしまいたい。
「……逃がさんぞ」
「何も言ってないのですが……」
ぎらり、と狩人の如き眼光がオレを射抜く。
ええい、ままよ! こうなったら、母上が満足するまで相手してくれるわ!
「先手はお譲りしますよ、母上」
「……それは私の台詞だと思うがな」
「ははは。しかし、オレだってそういう事おおおおぉぉぉっ!?」
まだ話の途中だと言うのに、母上は地を蹴って一瞬で肉薄してくると、苛烈とも言うべき斬撃を放ってきた。
縦に、横に、袈裟に。フェイントも交えて、あらゆる面から斬撃が飛んでくる。
が、最初こそ慌てたものの、師匠の下で修行した甲斐あって斬撃は全て見えていたので、初擊を防いでからは、あとの斬撃を落ち着いて凌ぐ事が出来た。
「は、母上……いきなり斬りかかってくるのは、流石にひどいのでは……?」
「何を言う、アルマ。戦場では、『いきます』と合図をしてくれるわけではないのだぞ。この程度凌げずに、私の子であると名乗るのは許さん」
「……では、一応は合格を貰えたんですね?」
「――まだだ」
まさか全て凌げるとは思っていなかったようで、母上は少しむっとした表情でそう言った。
母親としては褒めてやりたいが武人の母上がそれを許さない、といったところかな。
それに、母上はまだまったく本気を出してはいないはずだ。今のは……そうだな、朝の挨拶みたいなものだろう。
ベッドから出て、大きな窓を開け放ち、昇る太陽と爽やかな風に『おはよう』と告げるようなもののはずだ。
いや、わかんないけどね。
「次は少し本気でいくぞ」
「いつでも」
そう言ってオレが構え直すと同時に、母上は再び地を蹴って肉薄し、先ほどよりも迅い剣擊を繰り出してくる。
しかし、オレだってシーナ母上から教えを受けた身である。
師匠と山に籠るまでは母上が剣術……というか武術の先生だったし、指導という名の斬撃を喰らった回数は数え切れない。
だから、母上の剣の癖は理解している。……つもりではある。
「……っぐ!」
だが、少しキツい。
さっきとは斬撃のリズムが違うし、地を蹴るステップも変えてきている。おまけに、母上はまだ『少ししか本気ではない』のだ。
本当に、全力全開、MAX状態での斬撃は果たしてどんなものなのか、『獣人』となった今となっては、まったく想像が出来ない。
とはいえ、本気でないのはオレだって同じだ。
少し本気を出しただけの母上の斬撃を凌げないほど、オレは弱くはない。師匠だって『獣人』ではあったのだから、当然と言えば当然だ。
それに、今の母上の斬撃は、師匠に直して言えば『ふざけている』より少し迅いくらいだ。
このくらいの斬撃、わけはない。
「――なるほど。この程度では崩せないか」
母上は、今のままではオレの防御を崩せないと見るや、即座に剣を振るのを止め、バックステップで距離を取った。
シーナ母上は、子を4人産んでなお最前線に赴くほどの女傑だ。そんな人が、どうすれば目の前の人間を崩せるのか、下せるのか、考えないわけがない。
「……どうやら、本当に本気でなければ、お前の実力は測れないようだな。アルマ」
「……どうですかね」
「次からは私も本気でやる。魔法も使う。だからアルマ――」
「皆まで言わずともわかっています、母上。実の母親が本気で来るのですから、こちらも本気でなければ失礼にあたるというもの」
「……5年前は、まるでレオンの生き写しのような性格をしていると思ったが。強くなったな、アルマ。私は嬉しいよ」
一瞬、ふわりと柔らかく微笑んだかと思えば、次の瞬間には母上の周囲を強大な魔力がうねっている。
「……母上はあまり魔法を使うようには見えなかったのですが」
「使う必要がなかったからな」
なるほど。つまり化け物だな?
「どうした、アルマ。お前も本気を出せ。出さなければ――死ぬぞ」
ヴンッ、と一瞬母上がブレる。
その刹那、オレは魔力を最大に開放して身体強化に回し、母上と斬り結ぶ。
迅くて重い。
オレの頭に浮かんだのは、ただそれだけだった。
迅い。とにかく迅い。それでいて重い。
一合、二合と斬り結ぶ毎に、ビリビリとした痺れが刀身から柄を辿って、剣を握る手に、腕に伝わってくる。
しかし、自信があった。
母上から教えを受けている。師匠から教えを受けている。両者の剣を、この身を、苦痛を以て知っている。
だから、必ず凌げるはずだし、なんなら母上を下す事だって出来るはずだ。
だってオレは――
「――ッ!!」
長い時間、斬り結んでいたように思う。
いや、あるいは、ただそういう感覚だった、というだけなのかも知れない。
「……見事だ、アルマ。強くなったな」
「母上も、5年前までとはまた別格に強いですよ。危うく死ぬところでした」
「当然だ。殺すつもりで剣を振っていたのだからな。……しかし、まさか――」
正面に立つ母上。その視線の先には、鍔から先の部分が消えた剣がある。
「――ミスリル製の剣を細切れにされるとは思わなかった。それも、そんな素人が鍛った剣でなどと」
「これも一応、ミスリル製なんですけどね」
「しかし素人の作品だ。あの『師匠』とやらが鍛ったか?」
「ご名答です、母上」
「……ふむ。しかし、私が負けてしまうとは。流石に私も引退かな」
「冗談でしょう、母上? そんなつもり、微塵もないくせに」
「ふふふ。……ともあれ、実力は知れた。有意義な手合わせであったよ、アルマ」
「……ありがとうございました」
手合わせとは言え、母と子の勝負ではあった。
だと言うのに、母上は柔らかな笑みを浮かべ、優しい眼でこちらを見ている。
……なんとなく。そう、なんとなく、だけど。
ひょっとしたら、母上には一生かけても敵わないんじゃないかなぁ。
だって、オレだったら、勝負に負けてこんな優しい顔は出来ない。相手が誰でも、『チクショウ! 悔しい!』ってリベンジに燃えそうだ。
あるいは母上も実はそうなのかも知れないけど、少なくとも今の母上と同じ表情は、オレには出来ないだろうな。
「しかしアルマ。そうまで強くなったのに、まだ足りないのか?」
「あはは……。母上には隠し事は出来ませんか」
「当然だ。私はシーナ・クラウディウス。お前達の母なんだぞ?」
「そうですね」
「……アルマ。お前は何を目指している?」
「……『最強』です、母上。オレは最強になりたいんです。武でも、魔でも、誰もが羨むような最強の存在になりたい」
俗っぽいでしょう? と笑うと、まったくだ、と母上も笑った。
「しかし、最強になってどうする?」
「……さあ? 農業でもしましょうかね?」
「ふふっ……阿呆が。どこの世界に、農業を営む『最強』がいると言うんだ」
いえ、母上、前世では結構いたのですよ?
誰もが認める最強なのに、のんびりまったりとスローライフを送る人間が。
……まあ、ラノベの話ですけど。
「まあ、いいか。そういう人間がいても、おかしくはないだろう。……そうだ、アルマ。今日は久しぶりに母と寝るか」
「……もう12ですよ、母上」
「いくつになっても私の子だ。それに、久しぶりの再会なのだから、それくらいさせてくれても良いだろう?」
「……まったく」
嬉しそうな母上と屋敷の中に戻る。
案外、母上は子離れが出来ない人なのかも知れない。嬉しい事ではあるけど。