謀略、啓発、魔王城にて
「以上が、今回の報告になります」
黒いドレスと真っ赤な翼に身を包んだコロナは、手元の紙束から目の前の玉座に視線を移した。
玉座に座る大柄な男は、ふむ、と顎に手を当てる。
「多少のトラブルはあれど、勇者との親睦は深めることに成功した。しかし、肝心の婚姻についてはなおも消極的、か」
「異世界の常識が障害になるとは思いませんでした。申し訳ありません」
「多少の想定外があることは予想してた。仕方あるまい」
「はい、しかし……」
グシャ、と手元の紙束が潰される。
「私の──魔族の、肉体の成長の遅さが原因だとは……っ!!」
なぜ、勇者はここまで頑なに結婚を拒むのか。
その問題に、コロナはここ数日の勇者との会話である結論を出していた。
「勇者は『子供との結婚』に対して、拒否に近い反応を示していました。しかし、子供好きとも言っています。つまり──」
「子供に対して性的な感情を起こすことができない、か」
はい、とコロナは頷いた。
「おそらくは家畜やペット……人族の間では家畜以外の用途で飼育している動物をそう呼んでいるそうですが、その類に抱く感情を子供に抱いているのかと」
たとえどんな理由であっても、それが結婚である以上、夫婦で身体を重ねることは必ずあるだろう。
特に王族との結婚だ。子を成すことは王族夫婦の義務と言ってもいい。
その相手が、家畜や愛玩動物のようなものであったなら? 答えは、想像に難くない。
それに加えて、魔族であるコロナ特有の問題があった。
「人間であれば些細な問題です。好みの見た目になるまで、数年待てばいいだけなのですから。しかし、私の成長は……人間にとっては限りなく、遅い」
勇者の年齢は二十前後という。普通の人間であれば、寿命はあと五十かそこらだろう。
それまでに九十五のコロナがどこまで成長できるのか。どちらにせよ、勇者の期待に沿えそうにはない。
コロナはがっくりと肩を落とした。
「よもや、自分の計画に自分が穴を空けることになろうとは」
玉座の男はふーむ、と考える。その仕草は人間と変わりない。背中から生える赤い竜の翼がゆっくりと揺れていることを除けば、だが。
「ところで、コロナよ。お前の目から見て、勇者はどう思う?」
「どう、とは?」
「深く考える必要は無い。お前の率直な印象を聞きたいだけだ」
「……貴方だって一度相見えたでしょう、魔王様」
「素の表情が知りたいのだ。王の前では誰しも仮面を被ってしまうからな」
今のお前のように、と玉座の男──魔王が笑う。
コロナはこの笑顔が苦手だった。自分の中が全て見透かされているようで。
その視線から逃れるように俯きながら考えると、ぽつり、とコロナは話し始めた。
「そうですわね……最初は物腰が柔らかい、というよりも気の弱そうな印象を受けましたが、実際に話してみると精神面は勇者相応に逞しいと感じました。それに、歳の割に理知的でもあります。異世界の教育水準が高いのか、あるいは……彼自身の賢さなのか」
コロナは今までの勇者との会話を思い出す。
──あれがもし、『子供を襲いたくなる』という意味での好きだったとしたら、どうしますか?
──『分からない』は、怖いんです。
彼は、一体何を知っているのか。何を経験してきたのか。
九十五という魔族としては幼い年齢の、それをはるかに下回る二十足らずの人族が。
不思議な男だ。そして、何か『芯』のようなものがある。コロナは勇者をそう評した。
「ふむ、であるなら彼の賢さは考慮せねばなるまいな。こちらの意図も推測してくるだろう」
「ええ。そう思って次の手も考えてあります」
コロナは次の『計画』を話す。途中何度か魔王との議論を挟み、およそ十分後に内容はほぼ固まった。
「では、次の人族国訪問時はこのように」
「了解した。好きにやってみるといい──だが、これが魔族の命運を握っていることを、ゆめ忘れなきように」
「……はい」
コロナは玉座に深々と頭を下げると、踵を返して離れていく。
そんな後ろ姿に、魔王は声をかけた。
「あー、コロナよ」
「どうかしましたか?」
「私は……今のお前もとても魅力的だと思うぞ?」
「ッ! 父さま、それは余計な一言ですわ!!!」
コロナは自分の翼以上に真っ赤になった顔を父親に見られないよう、早足で玉座から離れた。
「まったく、公務の時にそういう発言は慎んでほしいとあれほどお願いしたというのに……」
魔王城の大きな廊下を、コロナが駆け足で歩く。
口では小さな愚痴をこぼしているが、頭の中は自身の計画で一杯だ。出来るだけ早く実行に移すためには、一刻も無駄に出来ない。
聡明な彼女はいつも何かを考えている。その内容は、必ずこの国の為の思考だ。
だから、廊下にいる魔族たちも、極力彼女の思考を邪魔しないよう滅多に話しかけることはなかった。
今、彼女の目の前に立ちふさがろうとしている一人を除いては。
「コロナ姫。お話がございます」
思考を搔き乱されたコロナは苛立たしげに顔を上げた。
目の前にいるのは、全身を羽毛で覆われた、鳥獣族の青年だ。
背中に翼があるコロナとは違い、腕そのものが大きな翼になっていることが特徴的な鳥獣族は、先の戦争では上空からの攻撃で猛威を振るった強力な戦力だった。
その部族の、長の血族が一体何の用だというのか。
「何でしょうか、ゲイル。急ぎの要件でなければ一度書類で──」
「勇者との婚姻を、取りやめてもらえませんか」
鳥獣族のゲイルは、至極真面目な顔でそう言った。真面目だからこそ、コロナはため息を吐いた。
「はあ。前にも言いましたが、これは魔王さま直々の命令です。余程の事が無ければ覆りませんよ?」
「しかぁし!!」
バサアッ!!
ゲイルが威嚇するように翼を広げる。辺りに羽根が舞うのは不潔だからやめてほしい、とコロナはぼんやり思った。
「何故、よりにもよって人族の、勇者なのですか!!」
「その件についてはすでに議論し尽くされました」
「そもそも、人族との和平など!!」
結局そこか。コロナは頭が痛くなった。
鳥獣族は戦争において上空からの支援攻撃を主に行っていた。戦果は大きく、逆に被害は少ないポジションだ。
だから、疲弊した他の部族を差し置いて言うことができるのだ──『自分たちはまだ戦える』などと。
その結果、鳥獣族は魔族きっての戦争肯定派となっていた。
しかし、結果として戦争は和平によって終結した。他でもない不殺の勇者の手で。
不服なのだろう。コロナはその幼稚な考えに呆れるしかなかった。
「和平条約はすでに成立しています。今更覆すはずがないでしょう?」
「人族との和平など破って問題ありますまい!! 奴らは我々の家ち──」
ゲイルがそう言い終える前に、コロナは自身の周りに炎を纏わせた。
誰も、何も傷つけないよう。しかし、絶対的な灼熱の壁が、ゲイルの前に立ちはだかる。
「その傲慢で軽率な考えが無駄な犠牲を生み続けたのだと、何故理解しないのですかっ!!!」
その壁は、コロナの怒りそのものだった。
コロナの身体から噴き出る炎は、彼女の意思なしでは何も燃やすことはない。ただそこで揺らめき続けるだけだ。
だがその温度はマグマすらも凌駕する。ひとたび触れれば、身体の頑丈な魔族ですら一瞬で消し炭に変えてしまうだろう。
今自分はどんな顔をしているだろうか。
炎の壁を挟んだゲイルにはよく見えてはいないだろう。しかし、自分の表情よりも遥かに雄弁な炎の壁が、怒りと拒絶を明確に示していた。
それくらいは感じ取ることが出来たのだろう、ゲイルは怯えた表情で大きく飛び退いた。
「と、とにかく、人族との結婚は考え直してくださいよ!!」
ゲイルは翼を大きく羽ばたかせると、広い廊下を飛んで一目散に逃げていった。
やがて見えなくなるその背中を見送ると、コロナは大きくため息を吐く。周りの魔族たちも「お疲れ様です」とねぎらいの言葉をかけていった。
「知性を身に着けるのに歳は関係ない、ということでしょうか」
悪い意味で、とコロナは付け加える。
ゲイルだってもう二百歳をゆうに超えている。魔族の中ではまだ若者の部類に入るとはいえ、数字だけで見ればコロナの倍以上を生きてるし、勇者と比べればなんと十倍にも達する。
だがその言動や行動の中に、勇者にあった知性や『芯』のようなものは、感じられない。まるで本能で動く動物のようだ。
「もし、勇者がここにいたら……」
そう考えて、すぐにやめる。ここに勇者がいたから何だというのだ。
でも勇者なら、何か違う答えをくれるだろう。自分でも浮かばなかった、何かを。
コロナはそれを聞きたいと思った。どんな些細なことであっても、彼の答えを。
「仮に全てを知ったとしたら、貴方は何と仰るのでしょうね?」
改めて、自分の計画を思い返す。
それを知った時、勇者は怒るだろうか。悲しむだろうか。
あるいは──新しい道を示してくれるのだろうか。
どうでもいいことだ。そんな時は来ないのだから。
でも、聡明な彼女でも導けないその問いは、余りにも魅力的に思えた。
「またお会いできる時を楽しみにしていますわ、ゆーしゃ様」
ふふふ、とコロナは魔王城で微笑む。
その意味を知る者は、いない。