魔族と亀裂、鍵を握るは幼女
「俺は何もしてえんダ!! 信じてくレ!!」
シュトルさんは必死に何かを弁明しようしている。何のことだろう、と考えて、弁明の相手が僕ではなく、円形に囲む雑踏であることに気がついた。
シュトルさんには今、無数の冷たい視線が突き刺さっている。
「シュトルさん、落ち着いて。何があったんですか?」
「お、おウ? 勇者じゃねえカ!? いつの間ニ……?」
「いいから、事情を!」
シュトルさんは動揺していた。ヒレもしんなりとして全体的に覇気が無いように見える。
「お、俺にも分かんねえんダ。気が付いたら近くで女の子が泣いてテ、周りが俺を指差してよォ……」
「なるほど」
僕はシュトルさんから離れると、円形に囲む群衆のある一点で跪いた。
目の前には、右手に血の滲んだ包帯を巻く、女の子がいる。
僕はその右手に優しく触れた。
「治癒魔法」
「あ……」
緑の光が手を包んで、その傷を癒していく。女の子に穏やかな表情が戻っていった。
僕はそれで一安心した。可愛い幼女の柔肌に傷が残ったらどうするつもりだったんだ、まったく。
正直、これで僕の要件はほぼ済んだと言っても過言ではない。ただ、知り合いが困っているという状況は、流石に無視できなかった。
「ねえ、どうしてケガしちゃったの?」
僕は女の子に優しく問いかけた。目線を合わせて、相手が話すのを待つことがコツだ。
「……」
「僕には、話せない?」
少女は動かない。目に涙を溜めて、じっとこっちを見つめたまま、何も反応しなかった。
「そっか。ありがとうね」
話してもらえないのなら、無理に聞き出す権利は僕にはない。幼女の嫌がることは出来ないのがロリコンの制約であり誓約だ。
「誰か! この事情を説明できる人はいる!?」
僕は周りの野次馬たちに呼びかけた。
これでも僕は勇者で、それなりに顔は知れてるし問題解決もしてきた。そのおかげか、国民は基本的に僕は協力的でいてくれる。
ただ、状況が状況だからか、みんな顔を見合わせてこそこそと話すだけだ。
「あ、あの。僕、話せます」
そんな中、おずおずと少年が手を上げた。
「ありがとう。可能な限り詳しく教えてくれる?」
「は、はい。その──」
少年の話だとこうだ。
通りはいつも通り非常に混んでいて、人でごった返していた。足元は全く見えない状況だ。要するにピーク時の駅のホームみたいなもんだね。
そんな中、いきなり女の子の泣き声が聞こえた。
「うわああああああああああん!!!」
場所はすぐに分かった。声の方向に、ひときわ目立つシュトルさんがいたからだ。
下を見れみれば、案の定シュトルさんの真下に泣いている女の子がいた。それも、手から血を流して。
慌てて周りが手当てを始める中、誰かがポツリと呟いた。
「これ、あの魔族がやったんじゃないのか?」
一斉に人がシュトルさんから離れた。
「そして、今に至る……と」
なるほどなるほど。
「いや、ないでしょ」
思わずそんな感想が口に出た。周りがざわつく。
「だってそんなことをする理由が無い。女の子が傷ついたのは確かに見過ごせない出来事だけど、それをシュトルさんが実行しても何のメリットもないでしょ?」
「そ、それはまあ、確かに……」
「でしょ? だからこの話はもう──」
「い、いや! 相手は魔族だぞ!! 何をしてもおかしくはない!!」
野次馬の中からそんな声がする。
「……あのー、話聞いてました? シュトルさんがそんなことをするメリットなんて無いんですよ?」
「それは人族の理屈だろう! 魔族だったら、何を考えててもおかしくはない!!」
「魔族も人族と同じです。思考も、感情も、人族と大差がないことは既に明らかになっています」
「──本当に?」
「えっ?」
ポツリと。
近くで誰かが零したその言葉が、いやにハッキリと聞こえた。
「本当に? だって私たちは、ついこの間まで戦争してたんですよ?」
「戦争は終わりましたよ」
「それでも、違う種族ですよ」
「思考も感情も同じようにありますよ?」
「でも殺しましたよね、人族を?」
「それはお互い様ダロウ!?」
耐え切れずにシュトルさんが叫ぶ。身体のヒレが勢いよく持ち上がり、周りから小さく悲鳴が漏れた。
不味い。手のひらからじっとりと汗が噴き出すのを感じた。
戦争は確かに終わった。半年前に。
でも、たった半年だ。
ずっと昔──コロナ姫すら生まれる前から──殺しあってきた二つの種族が、たった半年で全ての疑惑を忘れて仲良くなれるのか?
答えはノーだ。
それでもこの戦争はマシだった。『不殺の勇者』の登場によってひとつひとつの戦線を平和的に解決し、魔王との対話まで持ち込み、対等な条件で和平条約を結ぶことまで成功したのだから。
そうやって、少しずつ消していけるはずだった疑念が、今ここで再燃しようとしている。
「そうだ。魔族は危険なんだ」
「やっぱり、一緒に生きていくのは無理なんじゃ……?」
「そいつを追い出した方がいいんじゃねえの?」
ざわめきの中に、少しずつ怒声が混じっていく。
「追い出せー!」
「魔族は野蛮で凶暴だ!」
「人族の地は人族のものだ!!」
それはシュトルさんひとりへのものではない。魔族全体への罵声に発展していた。
「ただ見た目が違うだけで、俺たちをバケモン扱いすんのカ、お前たちハ!!」
「シュトルさん、落ち着いて!!」
「すまねえ、勇者。だがこれは許さねエ!!」
僕の制止すら聞かずに、シュトルさんは怒りに脚を踏み降ろす。ドシン、と巨躯が地面を揺らした。
「俺は魔族の武人ダ!! 人だろうが何だろうが、意味もなく傷付けたり殺したりなんてしねエ!! その仁義ヲ、魔族だからってだけで否定すんのなラ、それは……魔族全てへの罵倒ダ!!」
シュトルさんの宣言が雄叫びのように轟く。
だけど、それは逆効果だ。群衆はその姿に驚いて、魔族への恐怖や疑念を余計に抱いてしまう。
どよめきと怒号と悲鳴が混ざり合う阿鼻叫喚。
駄目だ。これはもう、止めるしかない。
力尽くでもだ。
「聖剣召喚魔法」
右手に光が収束し、それが一振りの聖剣に変わる。
二年間共に戦い続けた、勇者の力の本質だ。
「勇者、お前も『そっち』なのカ?」
「違います。でも、このままあなたが暴れるのなら僕は──それを止めなければならない」
「そうかイ」
それでもシュトルさんは退かない。
ならば、倒すしかない。
(最短で意識を刈り取る──!)
そして聖剣を強く握りしめ、
「──止まりなさい、シュトル」
どおおおおおおん、と真っ赤な隕石がシュトルさんの脳天に直撃した。
いや違う。
あれは、コロナ姫だ!!
「ガアアアアアアアア!!?」
「えええええええええ!!?」
コロナ姫が真っ赤な翼を広げ、垂直にドロップキックをシュトルさんの頭上にぶちかまし、シュトルさんの顔面を地面にめり込ませている!!
……なんだこれ。
「まったく、何やら騒がしいと思ったら、何をしているのですかシュトルは」
「お、王女様……痛ェ……」
「痛くしたのだから当然です!!」
コロナ姫はシュトルさんの後頭部をもう一度ガン、と踏みつけると、優雅にシュトルさんから降りた。
その羨まし……訳の分からない状況に誰もが唖然としている中、舞台の演者のように一人視線を集めるコロナ姫は、その場で大きく頭を下げた。
「皆さまはじめまして、魔族国王女のコロナと申します。この度は私の部下が迷惑をおかけして申し訳ありません」
そして顔を上げる。その佇まいは、まさしく為政者のものだ。
「しかし、彼は無実なのです。どうかそれを分かっていただけませんでしょうか?」
ざわめく群衆を前にして、コロナ姫は涼しい微笑を浮かべ続ける。緊張も恐れも、一切感じられない。
「王女様?」
「ってことは王様の娘?」
「すごい大物なんじゃ……」
「王族が言うなら、ねえ?」
周りの人たちが雰囲気に呑まれ始めた。あまりにも堂々としているものだから、きっと彼女が正しいのだろうと考え始めたのだ。
だけど、それに呑まれない人もいた。
「だ、騙されるな!! あいつだって魔族だろうが!!」
人ごみから荒々しい声がする。さっき罵声が大きかった方角だ。
「貴様、王女様に向かっテ……ウグッ!?」
「いいから黙っていなさいシュトル。すぐに手が出るのは貴方の悪い癖ですわよ」
コロナ姫が再度シュトルさんの頭を踏んづけた。羨まし……いいやなんでもない。
そのコロナ姫は罵声を前にして、一切表情を崩さなかった。
ただ穏やかに、一番騒いでいた男の前に歩み寄ると、質問を始めた。
「事態は聞いています。シュトルの近くで女の子が手から血を流していた、と」
「あ、ああ」
「その原因がシュトルのせいだと、主張されたのですね?」
「そうだ」
「では、その証拠は?」
「そ、それは……魔族だからだろ!」
「本当に?」
「な、なに?」
「私は『証拠は』と聞いたのです。実際に傷付ける現場を目撃したのか、その行為を裏付ける物品があるのか、と」
「……それは」
「ないのですね?でしたらそれは証拠とは呼びません。醜い偏見です」
自分の半分くらいしかない見た目の少女に、大の大人が言葉だけで気圧されている。それは傍目に見ても異様な光景だった。きっと本人が一番混乱しているだろう。
だが、僕たちだけは知っている。目の前にいる少女は、もはや少女ではなく、九十五年の時を生きた思慮深い女性なのだ。
「人だろうが魔族だろうが、何の根拠もなく人を糾弾するのは余りに知性に欠ける行為ではありませんか?」
「ぐっ……!」
かくして男は完封された。
野蛮だ凶暴だと決めつけた相手に「知性に欠ける」なんて言われてさぞ屈辱だろう。同情しないけど。
「こういうことは、本人に直接聞いてみるのが一番ですわ」
そう言うと、コロナ姫は群衆の中から件の少女を見つけ、そこに向かった。……なぜ知っているのだろう?
でも、僕自身はそれをして欲しくはなかった。彼女は答えたくないと、さっき口を閉ざしたのだから。
「コロナ姫、その子は……っ!?」
「ゆーしゃ様、大丈夫ですわ」
踏み出した僕の胸に、コロナ姫は優しく手を添えて静止する。
「私は誰も傷つけません。勿論、この子だって」
コロナ姫は女の子の前屈んだ。女の子とのわずかな身長差が埋められて、二人の顔が同じ高さになる。
「こんにちは、お嬢さん。お名前を伺ってもいいですか?」
「……サラ」
「いい名前ですわ、サラ。どうしてケガをしたのか、教えてくれますか?」
「……」
女の子──サラちゃんは、ぐっと口を噤んだ。
身体を強張らせるサラちゃんを、コロナ姫はそっと抱きしめた。
「大丈夫ですわ。あなたが何を話しても、私は絶対にあなたを傷つけないし、誰にも傷つけさせません」
「……ほんとうに?」
「王女は、約束を破りませんわ」
サラちゃんは優しく微笑むコロナ姫を見て、コクリと小さく頷いた。
そして、喋る代わりに、肩にかけたポーチからゆっくりと何かを取り出した。
それは、
「そ、それ……俺の鱗ダ!」
青白く光る、薄く大きな一個の魚の鱗のようなものだった。
シュトルさんが主張するように、シュトルの身体を覆っているものと特徴は一致しているから、恐らくそうなのだろう。
「どうして、これを?」
「あ、あのね」
「ゆっくりで構いませんわ」
「う、うん。……ヒレのおじさんのあしが、キラキラしてたのをみたの。それで、キラキラがほしくなって……ぺりって」
「剥がしちゃったのですね?」
「うん。そうしたら、キラキラがとがってて、てにあたって……」
「怪我をして、しまったのですね」
拙い口調から語られた事実は、なんてことはない子どものイタズラと、よくある失敗だった。
そこには、悪意も、種族の違いも、何もなかった。
……まあ、そんなことだろうと思ったよ。
誰もが閉口している中、シュトルさんがコロナ姫の、サラちゃんの隣に寄って、跪いた。
「俺の鱗が、欲しかったのカ?」
「……うん」
「俺の鱗は戦うために硬くテ、鋭くテ……だから、危ねえこともあるかもしれなくテ……」
その表情に、武人のような強さも、誰かが疑うような悪意もない。
ただ、悲しさと申し訳なさで一杯の──どこにでもいる人のような、顔だった。
「ごめんなァ……痛かったよなァ……?」
シュトルさんはまるで自分の娘に触れるようにおそるおそる手を伸ばして──そのまま手を下ろした。きっと、もう傷つけたくなかったから。
だけど、サラちゃんはそれに構わずその手を握った。
「ちがうの」
首をぶんぶんと振って、大きな瞳を潤わせて、サラちゃんは必死に訴えた。
「わたしが、わたしがかってにさわろうとして、それでケガして、だから、だから……っ」
ごめんなさい。
透明な響きを持ったその言葉は、ざわめきも、波の音も、全てをすり抜けて耳に届いた。
「アア、分かってるサ。分かってるサ……」
父親のように、シュトルさんは優しく頷いた。それが、騒動の終わりの合図だった。
「ああ、良かった。ただの不幸な事故。悪者なんて誰もいなかったんですね」
僕は芝居掛かった口調でそれを知らせる。もう騒ぐ必要なんて無いのだと。
それと、もう一つ。
僕は雑踏の中の一箇所を見つめる。
「な、なんだよ」
それは、雑踏の中の、罵声が多かった方向。コロナ姫にやり込められて黙っていた男たちが、僕の視線にたじろいだ。
あくまで笑顔で、平和的に。僕は彼らを諭す。
「間違っていたのなら、謝りましょう。子供でも出来たことですから、ね?」