湖、魔族、ヒレは跳ねて魚は旨し
五話のラストが更新されています。
5/30以前に読まれた方は、まず五話からご確認ください。
「お久しぶりだナ、王女様!! するってえト、隣にいるひょろっとしタのが噂の勇者なんですかイ?」
シュトルと呼ばれた水棲系の魔族は、甚平のような薄い衣服を着けていた。少し訛りを感じる口調でガハハ、と豪快に笑うその姿はどこか漁師のオヤジみたいだと思った。
「もう、シュトルったら! 私の未来の旦那様なんですから、そんなこと言わないでくださいな!」
「ガハハ、そりゃ失礼しましたナ!!」
「自然に言ってるけど婚約決まってませんからね!?」
隙あらば外堀埋めようとしますね!?
「そうカそうカ、お前さんがあの勇者……ネ」
ギロリ、とシュトルさんの鋭い目が僕を値踏みするように睨んでくる。側から見ればヤクザに絡まれているような状況で、多分二年前の僕なら泣いて逃げ出しただろうけど……生憎、この二年間でそういうのには慣れてしまった。
「強えんだロ? いっぺん闘ってみねえカ?」
「えー。疲れるんで嫌です」
「ガハハ、フラれちまったなァ!! ならしゃあねエ!!」
何を言っても笑うなあ、このおじさん。すごい雑に断ったのに。
少し声がうるさいけど、それを除けば気前のいい人(?)なのかもしれない。
「まあ冗談ダ、気にすんナ!! どうせ闘っても俺が負けんだからヨ!!」
「あら、『大海原の暴れ者』が随分と気弱ですわね?」
「王女様、海で生き残るコツは勝てねえもんは勝てねえと割り切ることですゼ!!」
それにしても、コロナ姫にもフランク……というか失礼なノリで話してるんだけど、怒られたりしないの?
そんな風に思ってると、コロナ姫が僕にこっそりと耳打ちした。
「魔族の間に細かい礼儀はありませんの。彼だって行動で立派に忠義を示してくれますから、言葉面を気にすることはありませんわ」
そういうものなのか。
前に聞いた話だと、魔族の階級は徹底した実力主義らしいし、建前や見た目の礼儀なんて意味が無いんだろう。
それはつまり、(魔族の中では)子供とされるコロナ姫が一国の政治を任されていること自体が、コロナ姫の類いまれな知性を証明している何よりの証拠になるわけだ。
「シュトル、食事ができる場所を探しているのですが、どこかオススメはありますか?」
ピコン! とシュトルさんの全身のヒレが跳ねた。
「そんなんだったラ、俺の店に来てくださいヨ!!」
「シュトルの、店?」
「オウ!! 最近開いた俺の、魚料理店ダ!!」
「こ、これはっ!!」
驚きの声を上げたのは、何を隠そう僕だった。
それくらい、僕は目の前の料理に釘付けになったのだ。
陶器の平皿の上には、赤い宝石が並んでいる。
鮮やかなその色は新鮮の証。
表面に薄く浮いた脂が日光を反射して輝き、丁寧に盛り付けられたそれが花壇の花みたいにテーブルを彩った。
それはさながら、卓上の芸術品。
日本男児の僕が間違えるはずがない。
これは、マグロの、生の! 刺身だ!!
「人族のヤツラは魚を干物にしちまウらしいんだがナ、本来魚ってえのは新鮮なやつなら生で喰うのが一番うめえんだヨ。だから、人族の街でそれを食わせてやろウと思ってここで店を出て開いたんダ」
「まあ、これは美味しそうですわ!……って、ゆーしゃ様どうしましたの?」
「……」
刺身を一切れ、フォークで突き刺す。小皿に入った秘伝のソースと呼ばれた黒い液体に軽く浸し、上げる。
ごくり、と喉が鳴る。
脳裏に浮かぶ情景と、腹の底から来る衝動に逆らわず、僕はそれを一気に口に放り込んだ。
「っ!!」
刺身あれ。世界は光に包まれた。
「……ゆーしゃ様?」
「シュトルさん」
「お、おオ?」
「この店、通います」
「お、オウ……ありがとナ?」
二人はポカンとしているが、それでいい。
この感動はきっと、僕にしか分からないことだから……。
「それにしても、この店の雰囲気は……」
「お、気に入ってくれたカ?俺らの部族の伝統的な部屋の造りなんだヨ」
僕は店内を見渡す。通りから開かれた入口で靴を脱いで一段上へ。簀の子のように木で組まれた床にはローテーブルと、その周りにクッションが並んでいる。いくつかあるテーブルはそこそこ盛況で、老若男女様々な人が寛ぎながら魚料理に舌鼓を打っていた。
これ、ちょっと違うけど和室だ。というか、海の家に雰囲気がかなり似ている!
「本当はこういう部屋が浜辺に並んでルんだヨ。俺らの部族は基本的にほとんど海にいるからナ」
本当に海の家だ……。なんか懐かしい気分になるな。
あの世界のことをこうやって思い出せる場所があるのは、純粋に嬉しかった。
「シュトルさん、ありがとう」
「ン、何のことダ?……まあいいサ、好きなだけ食ってってくれナ!!」
うん。この店、通おう。
「種族が違えば、生活も違うんですねえ」
「はむ……。そうですわね。魔族は特に部族で身体的な特徴が大きく異なりますから、住居や食生活もさまざまになりますわ。あ、これもう一皿……いえ、二皿お願いしますわ」
「あいヨ!!」
さらりと答えるコロナ姫の目の前で、刺身用の大皿が回転寿司のように積み重なっていく。
それに全く驚いていないシュトルさんも魔族なんだなぁ、としみじみ思った。
「例えば、シュトルたち人魚族は、子供の時は脚が魚のようになっているんですのよ? 大人になるにつれて徐々に二股に別れていって、最終的に人間の脚になるのです」
「へー、人間では考えられないですね」
「きっと人族の方には不思議に見えるかもしれませんわね。シュトルの娘さんも今は一本脚ですが、パタパタと振って可愛らしいですわよ」
「シュトルさんの、娘?」
……待てよ?
今の特徴を鑑みるに、人魚族の幼少期の姿はマーメイドとほぼ一致している。
つまり、今のシュトルさんの娘は……
(ロリマーメイド!!)
うっほお、最高かよ。ロリマーメイドのいる世界に来ちゃったよ僕。しかもご対面ときた!!
生きてりゃいいことあるなぁ、おい!!
「シュトル、家族もこちらに来ているのですか?」
「いヤ? まだこっちのことがよく分かってねエから今は魔族国ですゼ」
「な、なんだって……」
まさかの単身赴任。
ロリマーメイドの夢、潰える……。
「まア、人族国のことも分かってきたシ、今の稼ぎならこっちに呼んでもいいかもしれねえなア」
「本当ですか!!」
いやあ、実にめでたい。ロリマーメイドの夢、続投!!
「……王女様、何で勇者は喜んでるんですかイ?」
「ゆーしゃ様、子供が好きなんだそうですわよ」
「そうかそうカ!! もしこっちに来たら一度会ってやってくれヨ!!」
「はい、それはもう是非!!」
ガハハ、とシュトルさんは豪快に僕の肩を叩く。勇者のステータス上昇が無かったら軽く脱臼してただろうけど、今の僕ならまあ大丈夫だ。
シュトルさんはそのまま顔を寄せて──不意に目つきを鋭くした。
「だが娘はやらねえからナ。絶対ニ」
父親ってこわい。
「うオ、添える野菜が無くなっちまっタ。買ってくるから少し待っててくだせエ!!」
シュトルさんは倉庫を見てそう言うと、市場に向かってそのまま走っていった。店主不在で大丈夫なんだろうか。
「大丈夫ですわ。ここは治安がいいですし、そもそもシュトルがやっている店で狼藉を働こうなんて人はそうそういないでしょう?」
うん、まあ確かに。何かやらかしたら『アレ』に攻撃されるんだもんなぁ……。
「コロナ姫とシュトル様はどういう関係なんですか?」
「シュトルは水棲族の族長だったんですの。今は後代に譲りましたが……当時はその縁で魔王城にもよく来ていましたわ。まだ幼かった私は、よくシュトルの世話になりましたのよ」
幼いって……ああ、普通に数十年前のことか。たまに時間感覚が分からなくなる。
当たり前のことなんだけど、この人は僕が産まれるずっと前から生きていて、僕よりも遥かにたくさんの思い出を積み重ねてきた人なんだ。ただそれだけの事実が、なんだかすごく不思議に感じてしまう。
人間で言えばおばあちゃんよりも長いかもしれない時間を生きてきたコロナ姫は、どんな思い出を持っているんだろうか。
僕は、そんなことが不意に気になった。
「コロナ姫、よかったらもっと昔のことを聞かせて──
その瞬間だった。
「うわああああああああああん!!!」
通りの方から、小さな女の子の泣いてる声が聞こえた。
行かなきゃ。身体が勝手に動き出す。
「ごめんなさい、コロナ姫!! また後で!!」
「ゆ、ゆーしゃ様!?」
聖剣から授かった勇者の能力、そのひとつに身体能力の向上がある。
見た目はそのまま全身の筋力は人間のそれを遥かに凌駕する。
しかしそんなものは当たり前。その真骨頂は、五感を任意に向上させられることにある。
僕は今、その力を全力で使っている。
勇者イヤーは泣いてる幼女の場所を正確に探り当て、勇者ボディーは素早い跳躍で一瞬にして辿り着く。
泣いている幼女がいれば、何があろうとも絶対に助けに行く。
それが僕の、そして僕の存在理由だからだ。
「勇者参上!!何かお困り……か……な」
そこは通りのど真ん中だった。普段なら人が通れる隙間すらないほど賑わっているはずのそこは、ある一点を中心に円形の空白が出来上がっていた。
円の端っこには、四歳くらいの女の子。サラサラの金髪を後ろで結っているのがチャーミングだ……って、そうじゃなくて!
女の子は声を上げながら泣いている。
その原因は恐らく──右手だろう。
彼女の右手からポタポタと血が流れているり致命傷ではないだろうが、浅くはない切り傷だ。小さな女の子には辛かっただろう。今は近くの女性が応急手当をしている。
そして、円の中心には、
「俺は何もやってねエ! 本当なんだヨ!!」
さっき店を出て行ったばかりの、シュトルさんがいた。