デザートは魔法と幼女の味
消えていく。
肉が、消えていく。
僕は目の前の光景を、そう表現することしか出来なかった。
「こちらは牛のモモなのですね! お肉なのに脂のクドさが少なく、でもお肉としての食感はしっかり楽しめる……素晴らしいですわ」
大きな肉の塊にナイフが入って、切り分けられて、口に入る。とても上品に、一口ずつ。それだけ。
それだけなんだけど、そのサイクルが終わらない。ペースが落ちることもなく、延々と続いている。
「こちらは仔羊のお肉ですか? 香辛料が効いてて独特の臭みが打ち消されている……なるほど、これは驚きですわ」
それを行うのは、コロナ姫。
九歳程度の小さな身体に、大の大人が数人で食べても十分なほどの肉の塊が、吸い込まれていく。
もし『ブラックホール』という単語を知っている人がいれば、間違いなく彼女をそれに例えていただろう。現に僕はしている。
「こちらは豚肉ですね。……ん〜〜!! 溢れる肉汁が堪らないですわ!! 食べ応え抜群ですわね!!」
この光景は、いつまで続く?
……無論、目の前の肉が、全てなくなるまでだ。
「ご馳走様でした。とても美味しかったですわ」
そして、肉は無くなった。僕ももちろん食べたが、彼女と比較すれば僕の量なんてほんのわずかだ。
コロナ姫は緩やかに膨らんだお腹を撫でる。しかしそのカーブは幼女特有のそれと大差はなく、大きく膨らんだ様子はない。
一体あの肉は、どこに消えたんだ?もしかして本当に中にブラックホールがあるんじゃないのか?
「お気に召していただけて何よりですが……」
僕達は空になった皿の上にカランと置かれた鉄串を呆然と見続けていた。
「私たち魔族は主に魔獣の肉を食べて生活していますが、こんなに美味しいお肉はありませんでしたわ!!そんなお肉が金貨一枚にも満たないなんて!!」
「え、ええ……そうなんですね?」
魔族って魔獣の肉を食ってるのか。
僕は今までに出会った魔獣を思い出す。
──ガァウルルルルル!!!!
全長五メートルほどの巨体で、牙と爪が鉄でできた狼、アイアンウルフ。
──キルルルルルル!!!!
人が乗れるレベルの大きさの(実際には魔族は移動手段に利用していた)、口から強力な風のブレスを吐く大鳥、ブラストイーグル。
──ゴォアアアアアア!!!
全長約二十メートル。体表を覆うマグマと口から出す熱線が武器の巨大トカゲ、ギガサラマンダー。
(あれ食ってるんか……)
食えるのか、あれ。というか美味いのか、あれ?
まあコロナ姫の言葉からすると美味しくはないみたいだけども。
「でも、こっちで金貨をバンバン出すのはやめましょうね、コロナ姫」
「それはすみせんでした。こちらでは金の価値が高いのを知りませんでしたわ」
コロナ姫は照れたように顔を赤くした。
聞いた話によると、魔族の間では金をはじめとした貴金属は比較的産出量が多く、しかし魔獣の骨や皮と比べて強度に劣るのであまり価値が高くないのだそうだ。大体銀貨より少し高いくらいで取引されているとのこと。
「じゃあ高額な買い物をするときは何で取引してるんですか?」
と聞くと、
「基本的にはオリハルコン硬貨ですわ」
と返ってきた。
最上級の武具に使われる素材を貨幣に使うとは……物の価値が相当違うみたいだ。
「まだまだ人族のことについて分からないことも多くて……。ですから、ゆーしゃ様にはたくさん、教えていただきたいのですの」
コロナ姫がクスリ、と微笑む。
「勿論、僕でよければ」
小さな女の子に「教えてほしい」なんて言われて断るロリコンなんていないよね。手取り足取り……なんてことはしないけど。
「じゃあ早速、人族のことを一つ紹介しましょうか」
「今、ですか?」
キョトンとするコロナ姫をよそに、僕は店員に目配せをした。「いつもの」という意味を込めたそれを店員はしっかりと受け取って、準備を始めたのを確認した。
「コロナ姫は、『魔法』のことはご存知ですか?」
「ええ。人族が使う、魔力を用いて様々な現象を起こす能力ですわね。戦中は大層悩まされたと聞きます……って、あ」
不謹慎でしたわ、とコロナ姫は謝る。
少し前まで戦争してたのだ、そういう感想が出るのも仕方ないのだろう。
「戦争で大いに活躍したのは確かですから。そんな魔法ですけど、戦争が終わってからは戦闘以外の用途も考えられてるんですよ」
僕がそう言い終えると同時、テーブルに小さな影が近付いた。
「お、おまたせしましたっ!」
そこには、金属のボウルを抱えた小さな女の子がいた。
彼女は店主の一人娘のリリちゃん。年齢は六歳、身長は目測で115cmくらい、くりっとした琥珀色の瞳とブラウンの癖っ毛がチャーミングだ。お店を継ぐために絶賛料理の練習中、給仕も手伝ってるけどたまに料理をつまみ食いして店主に怒られるお茶目な一面も。口を大きく広げてご飯を頬張る姿がまた可愛らしい。この市場の中でも一押しの幼女だ。
そんな彼女が持ってきたのは、
「これは、細かく切られた果物と……動物の乳、ですか?」
ボウルの中身を見てコロナ姫が推察する。正確には中に卵黄と砂糖なども入っているが、概ね正解だ。
「これは一体?」
「ここのオススメのデザートですよ。まだ未完成ですが」
「未完成?」
僕はリリちゃんにお願いすると、リリちゃんは「はいっ」と張り切った返事をくれた。勿体ない。ここにスマホがあれば動画に撮って永久保存したのに。
リリちゃんはボウルに入った木のへらを片手で持ち、もう片方の手をボウルにまっすぐ伸ばした。目を閉じ、意識を集中させる。そして、
「──氷結魔法!」
掛け声と共に、ヒンヤリとした白い空気がテーブルを這ってくる。その冷気はリリちゃんの左手から生まれていた。
右手のへらはボウルの中身をゆっくりとかき混ぜている。リリちゃんの氷結魔法を浴び続けた中身は、次第に粘度を増していく。そして、それをしばらく続けた頃、ボウルの中身は完全な個体となった。
「これは、」
コロナ姫は息を呑む。
──アイスクリーム。
それは、僕の世界の記憶とこの世界の魔法が生んだ、甘く冷たい奇跡だ。
「コロナ姫、お肉たくさん食べましたけどお腹に余裕は……」
「無論、ですわ!!」
「……愚問でしたね」
そして僕は、「甘いものは別腹」の真意を知るのであった。
意味?途中でリリちゃんが力尽きて僕が氷結魔法を使ったと言えば分かるだろうか。後は察して。
「魔法のお陰でこんなに美味しいものが食べられるなんて……対策に必死だったあの頃には考えもしませんでしたわ」
コロナ姫が遠い目をしながらそう言った。なんか色々と切実だ。
その膝では、魔法の使いすぎで疲れたリリちゃんがスヤスヤと眠っている。幼女と幼女が密着……これはヤバい。脳内フォルダに永久保存です。
「もう戦いはありませんから。これからは新しい使い方を考えていかないと」
例えば、合法的に幼女に「おいしくなあれ」って言ってもらいながらアイスを作ってもらったりね。
「……もう、戦争は無いんですものね」
感慨深そうに、コロナ姫が呟く。
人族と魔族の戦争は数百年に渡って続いたそうだ。
産まれてからの九十五年間を王族として戦争の中で生きてきた彼女は、この平和をどんな気持ちで見ているのだろうか。
「そうですよ。だから、今日くらいは仕事のことは忘れて、この平和を楽しみましょう」
「平和……そうですわね。今日はゆっくりと楽しむことにしますわ。ですから、」
コロナ姫は、そっと僕に手を差し出した。それは、今朝と同じ光景で。
「エスコートをお願いしますわ、ゆーしゃ様。どうか私に、貴方が創った平和を案内してくださいませ」
喜んで、と僕はその手を取る。理性を総動員しながら。
「ところでゆーしゃ様、私との婚約は考えてくださいましたか?」
「だからそれは断ったじゃないですかぁ!!」
そのあと半日、僕はコロナ姫の追及と手の柔らかさに耐えながら街を案内する羽目になったのだった。
ほんとよく保ったよ僕の理性……。
「……さて、これで幾らか情報は入りましたが」
王宮の一室。宿泊する来賓の為に用意された寝室は、灯火で仄かに照らされていた。
机に座るのは、褐色の肌を持つ魔族の女性。机の上には手帳がある。
『各行動時における勇者の反応の傾向』
そこから下は細かい文字でびっしりと埋め尽くされている。
「笑顔を見せた時と手を握った際に身体への緊張が見られる……女性に不慣れな男性の特徴ですわね。しかし、そうならば何故結婚を拒むのでしょうか?」
女性は考え込む。
幾らかの推論が紙の上に並べられ、即座に否定されていった。
「やはり身体が幼すぎるから?異世界の倫理にまだ縛られている……面倒な話ですわ」
同じ世界に住む人族と魔族でさえ、文化も思考も大きく異なるのだ。ましてや異世界から来た人間など、何を考えているか分かったものではない。
「でも、あのアイスクリームは……」
異世界も悪くない。
女性は甘美な記憶を呼び起こす。それに反応してか、腹からくー、と小さな音が鳴った。
「人族の食事は豪華で美味しいのですが、量が少ないのが困りものですわね」
空腹感を我慢しながら、女性はベッドへと歩み寄る。
投げ出した小さな身体は、純白のシーツに深く沈み込んだ。
「何にせよ、調査は継続ですわね」
ふっと灯りが消え、寝室は宵闇に溶けていく。
『反省1.市場調査に熱中し過ぎないこと』
『反省2.市場で金貨の使用は控えること』
『反省3.食事の量は程々に』
手帳の一番下に書かれたそんな文字も、夜の闇に紛れて見えなくなった。