魔王女様は仕事人間
コロナ姫はひとつひとつの露店を鋭い眼光で吟味していく。どこからか取り出した紙の束に、商品の内容と質、そして値段を書き並べていた。
僕の手はとっくに振り払われており、コロナ姫の手汗がちょっと付着した右手をペロペロしたい欲求と戦いながら手持ち無沙汰に立っていることしか出来ない。
これは、デートというより……
(……視察?)
意外だ。コロナ姫、この見た目でバリバリのキャリアウーマンらしい。
ぱっと見ただけだと小学生の自由研究しか見えないが、書き連ねている紙の中身を見ればその実態はガチの市場調査であることがよく分かる。それがコロナ姫の知性と能力の、何よりの証明になっていた。
「……はい、ありがとうございます。楽しかったですわ」
コロナ姫は表情を変えて朗らかな笑顔を商人に見せると、すぐにまた鋭い目つきでそのまま隣の屋台に突撃を始めた。
デートからおよそ一時間半、陽はてっぺんに差し掛かり、入った屋台はおよそ百に達しようとしていた。
「あのー、コロナ姫……」
「……やはり鉱石、宝石の類はこちらでは高価ですのね。でも製鉄や装飾品の技術は人族の方が優れている。報告通りですわ。となると……」
コロナ姫はブツブツと難しそうな独り言をしきりに繰り返している。僕の声にも全く気付いている様子はなく、相当に集中しているみたいだった。
「コロナ姫!」
「うひゃう!!」
仕方ないので耳元で大声を出す。驚きのあまり漏れた声とピョンと跳ねる身体を見て少し興奮……申し訳なく思ったけど、こればかりは仕方ない。
「そろそろお昼ですし、ご飯にしませんか?」
「お昼? あれ、もうそんな時間……」
コロナ姫は真上に昇った太陽を見上げ、しばらく固まった後にサッと顔から血の気が引いた。
「すすす、すみませんっ!! 私としたことが、ゆーしゃ様を放ったらかしにして……!!」
「あー、いや。楽しそうだったので邪魔したら悪いかな、と思って。だから大丈夫ですよ」
実際、僕もこの数時間が無駄だった訳ではないのだ。
好きなことに熱中してる幼女、イイよね!! 眼福でした。
「すみません、私ひとりで盛り上がってしまって」
場所は移動して僕のお勧めの料亭。ただえさえ小さな身体をさらにシュンと縮こませたコロナ姫は、テーブルの前で頭を下げた。
「普段公務のことばかり考えているものですから、ああいう場に行くと、つい……」
予想通り、コロナ姫は仕事人間なのだろう。好きなものを前にするとテンション上がっちゃうのは仕方ないよね。僕も今幼女を目の前にしてテンション上がりまくってヤバいもん。
「仕事が好きなんですね」
「好きだなんて、そんな。でも……」
コロナ姫はふっと表情を緩める。母親のような、優しさに溢れた笑顔だ。
「私の頑張りが魔族みんなの幸せに繋がっている。そう思えば、私は何だって出来ますわ」
それを見て、僕はコロナ姫が一気に遠い存在に感じられた。
見た目なんて関係なく、彼女の精神は僕よりもずっと成熟した大人で、王族なのだと。
「……というか、王族なのに護衛も付けずに人族の国を歩いてていいんですか?」
僕は今更なことを聞く。ちゃんと魔族側の許可とかあるんだよね?
「あら、目の前に最強の護衛がいらっしゃるではありませんか? ねえ、ゆーしゃ様」
「いやまあ、一応勇者ですけどもね……それにしたって魔族側の護衛が一人くらいいたっていいのでは?」
「ふふ、私より強い魔族なんて、そうそういませんもの」
コロナ姫はテーブルからバターナイフを一本取り出すと、そのナイフの両端を摘み──グニャリと、曲げた。
その正体は怪力……ではない。
「この魔王女『灼炎のコロナ』に触れられる方なんて、そうそういらっしゃらないでしょう?」
バターナイフが、バターのように融けていく。ぐつぐつと煮えたぎり、コロナ姫の掌の上で銀色の液体と化していた。やがてそれは冷えて固まり、歪なインゴットとなってテーブルの上にゴトリと転がる。
なるほど、護衛なんて不要だ。下手したら護衛が助けられる側になってしまうくらいには。
強い。
その強さに僕はゾッとする。流石は魔王の娘、伊達じゃない。
僕は最早戦争早く終わって良かったなぁ、なんて腑抜けたことを考えることしか出来なかった。ところで、自慢げに笑うコロナ姫もめっちゃ可愛いです。
しかし、その笑みもやがて薄れる。コロナ姫はテーブルに転がる鉄塊に視線を移して、すぐにハッとした。
「すみません。ナイフ代、後で弁償しますわ……」
おっちょこちょいなところもあるけど、ロリ的にはポイント高いと思います。
「まあ気を取り直して食事を楽しみましょうよ。ここのご飯は美味しいですよ」
「ごはん! 楽しみですわ!」
キラリ、とルビーの瞳に輝きが戻る。
「ここは何が美味しいのですか?」
「中々派手な見た目なので驚くと思いますよ。多分、もうそろそろ──」
と僕が言ったところで、ちょうどそれは来た。大きな瞳がさらに大きく見開かれるのを見て、僕は成功した、と内心でガッツポーズした。
「串釜焼き、お待ち!!」
筋肉質の店員が持って来たのは、大きな肉の塊が三つ、金属の串に連なって刺されて焼かれたものだった。
こんがりした表面からは食欲をそそる匂いが漂い、ところどころ削れた部分からはミディアムな赤身から肉汁が溢れている。
肉の塊はひとつひとつが鶏の丸焼きに匹敵する大きさであり、串全体ではかなりの存在感を放っていた。
「こ、これは!!」
『串釜焼き』は、肉の塊を串に刺したまま大釜でじっくりと焼く、この料亭の名物料理だ。
ここでは定期的に店員がこの串を持ってテーブルを回り、それぞれの好きな分だけを削いで提供してくれるスタイルが定番だ。前の世界だとシュラスコが近いだろうか。
こんがりした表面と肉感たっぷりの中身、その両方が楽しめる僕のイチオシ料亭なのだ。
「どうです、凄いでしょう?」
「まあ、なんて贅沢な料理なんでしょう!!」
コロナ姫は喜びのあまり手をパチパチと叩きながら串釜焼きを出迎えた。
「さあコロナ姫、この肉の塊から好きな分だけ削いでもらうのがここの流儀ですよ!お好みの量をどうぞ!!」
「好きなだけ!? まあ!!」
「おう、どんどん削いでくから欲しい分になったら言ってくれ!!」
肉を削ぐ用の大振りのナイフを持ちながら、店員が豪快に笑う。
瞳の輝きがより一層と増していく。その光景を、周りも微笑ましく眺めていた。
では、とコロナ姫が宣言する。店員がナイフを握って待ち構える。
「串釜焼きを──一本くださいな!!」
「──いっ、ぽん?」
料亭が、一瞬にして静まり返る。いやいや、聞き間違いだろう? と誰もが思いながら。
「はい、一本ください!」
「え、いや、だって……」
店員がコロナ姫の小さい体躯と、串釜焼きの勇姿を交互に見る。その姿に、串釜焼きを持って来た当初の威勢は欠片も残っていない。
ここにいる誰もが思っていた。そんな量食えるわけないだろ!! と。
それに気付いたのか気付いていないのか、コロナ姫は納得したように「ああ!」と手を叩き、
「私としたことが、失礼しましたわ!」
──タァン!
キラキラと煌めく金貨を一枚、テーブルに叩き付けた。
(違う、そうじゃない!!)
周囲の温度はますます冷えていく。ゴクリとその趨勢を見守っていた。店員の身体はガタガタと震え始めた。
「あら?」
コロナ姫は首を傾げた。そして、
タン、タン、タン……
ゆっくりと一枚ずつ、金貨を横に並べていく。
どうやら、「代金が足りていない」と解釈したらしい。
ちなみに、そんなことは決してない。あの金貨が本物であれば、一枚でこの店を一晩貸し切れるだけの価値があるだろう。
それを知ってか知らずか、コロナ姫は無邪気に笑う。
「すみません、こちらのお値段を知らなくて。ですから──一枚ずつ置いていきますので、欲しい分になったら言ってくださいね?」
十二枚目を置こうとした時点で店員がついに泣き崩れたので、慌てて僕は静止した。