2話 異転生
優しく響く、甘い声色。耳が蕩けそうなくらい、悶えたくなるくらい、どうしようもなくさせるその声は、俺が目を開けたのと時を同じくして成りを潜めた。いや、それは一見するとただの幻聴か何かである。
正しく理解するのだとすれば。
「貴女は、誰ですか?」
目の前で白い椅子に座る女性は軽く微笑む。彼女をどう表現するかと言うとあやふやになる。しかしながら、俺の語彙力による表現は美女、そこらが限界だった。
「おはようございます、瀬戸達也さん」
「え、あ、はぁ。おはようございます?」
だがまぁ、何でもいい。この状況すら飲み込めていないのだから、表現なんかに労力を割くなど言語道断。
だから、考えろ。考えるんだ。
困った時は、先ず、自分はそれを知っているか否か。
そう思い、辺りを一瞥し何回も脳に記憶させてから、自身の思い出せる範囲での記憶と照らし合わせてみる。しかしながら___照らし合わせる事すら無意味だったが___俺は、こんな気味の悪い部屋などしらん! その結論に至った。
そもそも、この景色は目を開けた時からだった。一言で言えば異常な光景であり、異界、宇宙空間……は知らないけれど、兎に角、自身の目を疑う状況。それを可能にさせているのがこの上下左右ピンク色で、絵の具が混ざった水の様にグニャグニャしてる色合い。
そんなのしらん! 全く知らん!
「……それはそうですよ、達也さん」
すると、頭を抱えていた俺に女性は優しく語りかけてきた。
俺はその瞬間声が漏れていたのかと焦り聞いてみた。が、女性は首を横に振った。そしてそれは、別の方向性で。
「聞こえてますから、心の声」
「えぇ……」
女性は髪を耳にかけたかと思うと二ヘラと笑う。何と言うか、取っ掛かりにくい女性。それは何となく感じてしまった。この話を真剣に言うので、余計に。
「……あの、ここは何処ですか」
それから数分経って、漸く口を開いた。思考が停止していた、いや違う。何から聞き出せばいいか整理がつかなかったが正解だ。どうしても、早くにこの混乱ギリギリの状態から脱したい。
「それで、ここは一体……」
だから俺は急かすようにしてもう一度同じ質問をした。
「そうですね……。ここは、輪廻を司る転生の狭間の中に作った簡易結界、ですね」
___だが、甘かった。訳がわからない、それが余計に強まっただけ。なんだこれ、訳がわからない。
「訳がわからないよ」
「そうですか」
余りにもそっけなく返されて少し心が痛い。
それよか、彼女はかなり真剣な面持ちだし複雑だ。
「では、立ち話もなんですので背後の椅子におかけください」
手でそう俺の後ろを指した。しかしながら、さっき見たときに椅子なんてなく、ただの空間だってのは覚えてる。
はずだった。
「……まって、あるんだけど」
さっきまでなかったはずなんだけど! どう言う事ですかいこらぁ。あ、いや、わかった。
「これは事件です」
「事件じゃありませんよ、達也さん。私が出しました」
ふふと女性は笑って虚無へと手を振ると長い棒状の物を出現させる。
「このように。……それと、余り貴方には時間がありませんのである程度噛み砕いての説明をしていきます。ので、自己紹介からです」
すると女性は徐に棒状のものもとい___多分___杖らしき物を前に傾けるとその背後から煌々と放たれる光と共に名乗り上げた。
「私は女神、橘鈴華。女神としての厳格も必要ですが、できたら気軽に鈴華ともお呼びください」
「うわっ、眩しい!」
ちょ、ちょ強い、ワットが強い! 光量ハンパな、まじハンパないってぇ。目がやられた、今ので目が飛んでった。無理、全部白過ぎる。頭がおかしくなりそう!
「あああ!! なんも見えねぇ!」
「あ、ああ、あああ! ごめんなさい、ついうっかり……。もう一度やり直しましょうか」
「それは、けっこうです!!
……彼女は、言う。やり直しかなと。
しかし、俺はあの光に目をやられていてもしっかり聞いていた。まさかと耳を疑いつつも、彼女は橘鈴華であると言うことを。
当然、時間が経てばチカチカはするが見えないことはない。そうしてよくよく見てみれば彼女の面影……。優しい喋り方。
「ん……。その姿に合わない日本名。まさか本当に鈴華なのか」
その言い方は失礼極まれりだが、肩より下で、長すぎないロングストレート。その白い肌に合う、綺麗なブロンドヘアー。薄めの真っ赤な唇と、そう言えば聞き覚えのある声だと思っていた彼女の声。
それは、完全に俺の記憶と合致していた。
例え何十年経っていても、それが高校の時の事であっても女性なら声が変わると言うことも殆どない。
「と言うか、鈴華、だよな」
「……はい、達也さん。お久しぶりです」
ふわりとした優しい笑顔。
やはり、彼女は鈴華で間違いなかった。
だからだろう、涙が出てきて止まらなくてってきていた。
「あ、れ、なんで泣いてんだ。何でだろ……」
いや、分からない訳でもない。寧ろ、自分が一番わかっている。最愛の彼女が消えた日から数十年。漸く会えた嬉しさと、嬉しさと、嬉しさと。それと、恋しさ。全部が相まって涙が出てきたんだ。
「漸く会えた……」
ああ、十年も離れてたら、こんなにも変わるもんなんだ。
「大人になったな、鈴華……」
「達也さん……」
鈴華、会えてよかった。
ああ、そうか。俺は鈴華に会えたのか。だったらもう、悔いはない。あんな地獄の中で生きるくらいなら死んでいいかもしれない。
「ごめんなさい……達也さん。達也さんは死んでますよ。既に」
「え?」
「と言いますか、そのお陰で貴方に会えたと言うか何と言うか……」
まさかの、告白。
あー、いやぁ、待てよ。そういやぁ……。
「女神様って言ってなかったけ」
「言ったよ___言いましたよ、はい」
肯定して、彼女は頷く。
じゃあ、死んだと言うのは本当、か? 前後の話からしてもなんか転生の狭間やらなんやら言ってたし、嘘ではないかも知れないけれど、うーん。
「そもそもの死因について教えてもらっていい?」
それを聞いたら幾らか思い出せるかも知らない。彼女は再び虚無に手を出して白色の本を取り出すと、項目を見て何ページかめくって手を止めた。
「まず、達也さんの死因についてですが転落死です。帰宅途中の歩道橋から転落し、打ち所が悪く即死でした」
転落死、か……。
そもそもデスウィーク明けだったから精神状態がおかしくても、それはいっこもおかしくない。だから、それでフラフラして落ちたとか、ウチの歩道橋の柵は微妙に低いしありえるな。
「そうか、ついに俺死んだか。物理的に」
はは、長い人生だったなぁ。
「すいません。思い更ける時間がないので出来るだけでも理解してもらえますか?」
「あ、すいま、せ……ん?」
そういや、なんか違和感あると思えば喋り方がおかしい。突然敬語になったり砕けたり、やり難い。……でも、女神様とかなら、これも職務中とか? それならなんかわかるけれど、昔みたいに砕けた話し合いをしたいな。
昔を思い出すと、何故だか本人を目の前にしても微笑みが止まらなかった。
「すいません、これも、職務でして」
「ああ、大丈夫だよ……。僕も、ほら、ね」
業務なら仕方ない。彼女と敬語で話し合うと言うのは辛い所だが。
「それで、あの、その……」
それでも何とかアシストしていこう。
「はい、何でしょうか」
「えと、そのですね。貴方はその身のままで転生をする権利を与えられました」
与えられた、つまりは元々あり得ないこと。
「すいません。何故そのような、権利が僕に振り分けられたのか理解しかねます」
「はい。では、今回の状況についてご説明させていただきますね」
そして、彼女は教えてくれた。何故俺がこの様な状況に陥っているのか。
その結果の話として、第1に彼女、橘鈴華と面識は愚か恋人同士になっていた事。第2に、これは抽選によって選ばれた事らしい。
「何と言うか、理解に苦しむなぁ」
全く要領が掴めない。
「すいません、私のせいで」
「……何で鈴華___さんが謝るのですか?」
「え! あーそれは、その……」
仕切りにチラチラと目線を向けられるが、アイコンタクト術など持ち合わせていない俺には分からない合図だ。そんな俺の心の中を読み取ったのか彼女は「後々、わかる事だと思います」とはぐらかした。
「そ、そうですか」
んー気になる、気になって仕方ない。
どうしても聞き出せないか、気になると気になり出す性格の俺は何とか会話の糸口を見つけ話を戻そうとした。しかし、彼女は手でそれを制した。
「……すいません。もう少し話していたかったのですが、本題に入らせてもらいます。先ほどの理由は真偽半々でご理解下さい」
「それ、ダメなやつじゃない?」
「では、ここで貴方に施す行いについてですが、異転生です」
全力スルー……。結構真面目に時間が残ってないのか。その意を汲んで俺は話を聞く方向性にした。
「異転生とは___」
異転生、彼女は言う。それは輪廻の輪から外れる特異な生まれ変わりだと。普通の転生についての情報として死ねばそのまま身体から魂が抜け出し、何年かこの狭間で彷徨った後再び生を受けると。だが、この異転生においてそれは全く違う法則性からの転生である。
「これによって起きる現象は達也さんは達也さんそのままで転生できると言う事です」
「僕が、僕のままで?」
というのも、転生というのは一度死ぬ事から始まる。要はその媒体となっていた身体は既に脱ぎ捨てられたものであり、魂に再利用されることのない身体は使えない為に転生は新たな人物として生まれ変わると。
しかし、この異転生は転生と違い身体も意識もそのまま。謂わば転移現象___よくわからないが世界線を越えるルーラみたいなもの___と同じ現象らしい。
「では次に達也さんに行ってもらう世界についてです」
また、それを掻い摘んで理解できた範囲で整理してみると___
【転生は身体的な転生をさせるだけなので、異世界の人間の体になることはない。転生する種族は人間に限定する】
【魔法があり、魔物が居る世界】
【自身のレベル、身体能力などを可視化させる、ステータスホログラフィック通称ステータスがある】
【大陸は全部で6。国は32。迷えば発展途上国の王都キリア、迷宮都市ガートクルス、水晶都市メフレゼンの3つの何れかさえ話せば理解してもらえる】
【他にも異転生者がいる】
【宗教は9。最も多い信仰神は平和神シーナルト】
最後に注意事項として、鈴華を含めて神様にあった場合それを口外する事を禁止する。どうやらこれは、下手に口外した場合迷惑を被るのは俺らしいかった。
「以上になります」
「結構多い」
掻い摘んだ理解の仕方でも相当な理解量が必要。これは覚えていられるか心配だ。理解するのに時間が無さすぎる。
「世界を渡るには、いっぱい知識がないと危ないですからね」
それでも俺はもうお腹いっぱいだわ。
「それで、どうしますか? 異転生しますか」
……そうなんだよな。ここまで長々と話してきたのも元はと言えばそれの為。だけど、もし。
「もし、それを拒んだら?」
「この話は無しとなり、通常通り転生させていただきます」
そうきたか。
だがまぁ、聞いてる範囲では悪い話には思えなかった。確かに魔物とか、この平和な土地で生まれ育った俺にとって危険でしか無い。でも、魔法とかそんな話を聞いていけば中々に脳内妄想が弾んでいた。
中二病になっていた頃があるとかそんな黒歴史はないけれども、気になる。興味本位意識がとても強い。
それに、俺の人生ロクな人生じゃ無かった。寧ろ、よかったと言えるのは鈴華と出会って付き合っていた半年間、そこまで。それからはドン底だったし、ブラックだったし。
記憶が消えるわけでもないらしいから新たな人生として再スタートする事が出来るかも知れない。
ただ、迷いがないというわけでもない。確かに疲れ切った人生を送ってきたのでリフレッシュしたい。が、この異転生とやらによってリフレッシュはされるのか。それなら一層の事忘れて生まれ変わったほうがいいのではないか。そう楽な方向性の考え方も在った。
しかし、せっかくまた会えた鈴華の事を忘れると思うと頭の中にあったリセットの思想は、ポンっと消え失せた。
そして、俺が下した決断は___
「お願いします」
その応答と時を同じくして、鈴華は虚空に手を向けると装飾の凝った杖を取り出した。今更驚きはしないが、杖の先端についている蒼い玉が浮いてるのはやはり、俺の常識が通用しない事を表していた。
「それでは、達也さん。異転生をする方にはなんでも一つ願いを叶える事が出来るのですが、何かご要望はありますか?」
願いを叶えてくれるという事ですら驚きだが何でも、か。何でもとなれば少々願いに幅ができてしまう。
それにこうやって言われてみると、何にも思いつかないな。
あ、ステータスがあるというし職業勇者でレベル99とか。それなら破壊神余裕で倒せるくらい強そうだ。ただ生きてるだけでも魔物に怯えることは無くなるだろうな。
でも、決定打に欠ける。
異転生と言えど、転生と何も変わらないらしく、姿形俺自身であってもその世界には通帳は愚か残高、資産、家も何もない無一文。だからこの場合お金が一番いい選択……。
でも! なんか、強くなって無双してみたい! すぐ飽きてもいいから片手に剣、片手に魔法みたいな戦闘方法で戦ってみたい。魔法剣士、ロマンに思想を振りたい。でもでも、現実を見るとしたらお金なんだよなぁ。
あ。
次の瞬間天啓が舞い降りた。
若返りはどうだ? よくよく考えれば三十路のおっさんが剣を片手に戦ってるって辛そうだ。鎧とか特に。お金の方はありすぎる方向で考えた時、今まで押さえ付けてきた欲のタガが外れて豪遊しそう。それはそれで、夢はあるけど……体に悪そう。中性脂肪とかコレステロールとか。
そこら辺で悩む。それなら、単純に肉体的に若返った方が動きやすそうだから、それくらいがベストではないだろうか。最近始まった肩凝りに加えて3ヶ月前からの腰痛も若返りで改善されるかもしれないし。
うん。
そもそも能力に見合う知識___戦い方や、お金の賢い使い方___すら無いのだから、自身のコンディションを整えて地道に身に付けていく、こっちの方がよっぽど賢い。
だから___
「10歳ほど若返りたいです」
「……若返りですか。分かりました」
そう願うと鈴華は杖を掲げた。すると、蒼色の玉の部分が強く発光し、幾何学模様の円が数個も出来上がる。これが俗にいう魔法陣か。
そしてそれが俺に向けられた時、ドクンっと一瞬体が波打った気がした。
「完了です」
これで終わったのか、鈴華は杖を下した。
それに伴って、自身の身体の軽さ、柔軟さ、髭の濃さの変わり様に驚かされる。これで異転生する一歩手前に立った。
「ありがとう……鈴華」
ただ、俺の胸中はまだ鈴華と話していたい、そんな思いが渦巻いていた。時間がないことも知っている、だから直ぐに異転生しなければならないことも知っている。そして、これで鈴華とは会えなくなる、そういうことでもある。
だから、最後くらいは昔みたいに話したい。
「鈴華、個人的なお願い聞いてもらえるかな?」
「……そんなの、いいに決まってるよ! でも、ごめんね。時間、もう無いんだ……」
それは初めから言ってたことだ。分かってる。
でも、また会えなくなると思うと、どうしても抵抗してしまう。また、自分の中の何かが外れてしまいそうで怖くて嫌になってしまう。
「達也、貴方は私が居なくても一歩踏み出せたじゃ無い。だから、大丈夫。また会えるから」
次第に空中に展開されていく魔法陣。小さい魔法陣から巨大な魔法陣まで、法則性の並びも無く幾重にも重なって球体の様に俺を覆い隠した。
「私も会えて良かった、達也。普通に喋っていたかった。でも、こういう事もお仕事なの。ごめんね」
「謝らなくていいよ」
魔法陣に手をついてみるが、やはり物体として存在しているのか、叩くと強化ガラスみたいな鈍い音が鳴る。
「鈴華、君がまた会えるというのなら信じるよ」
今回は時間がなかったらしいけど。
そしてどんどんと視界は蒼に埋められていく。身体も浮遊感を覚え、虚脱感がこの身を支配する。
___また、会える時まで___
俺はそれを最後に心の中で唱えることにした。