1話 今日もブラックに
初投稿ですがよろしくお願いします
「鈴華、何処だ! 鈴華!!」
夕暮れの河川敷に声を荒らげる男。彼は辺りを見渡すが、そこには捜し求めているモノはなく、在るのは丸い小石と川の音。遠くの橋の方から自動車のエンジン音が少しばかり耳に届く。しかし、何も声を荒らげている彼の耳には届かない。
ただ、彼は必死になって、こけて、足を擦りむきながらでもただただ只管叫び、捜し求めた。
瀬戸達也。それは叫び続ける男の名前であり、彼の最愛の彼女、突然姿を消した橘鈴華、彼女をボロボロの制服姿のまま捜す者である。
「鈴華ぁ!!」
しかしながら、その声は届かず来る日も来る日も見つけることはできなかった。そして彼は、黒い渦に飲み込まれていった……。
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フワフワとする頭の中に直接語りかけられているような優しい声が、耳に届いた。
そしてまた、それが現実の悍ましさを語っているのだ。
「達也、起きろ。まだタスクは山積みだぞ」
東京都心。
高々と聳え立つ高層ビルの数々。明かりと賑わいに満ちた日本を象徴する都である都市。
そんな東京にある、一つのオフィスビル。
そこでは、ブラックに毒された2名の社員と一人の秘書と社長による企業が存在していた。
「嫌だ、戻りたくない」
最近始まった四十肩___歳は30だが___による痛みと3ヶ月程前から再発した腰痛に悩まされるお年頃。
それもまたこの作業を続けるなんて死んでしまう。
「達也、死ぬな、生きろ阿呆。お前の仕事を手伝う余裕すらないから」
はぁ……。なんか気さくにかっこいいこと言えないのだろうか。あーいやだいやだ。このまま眠り続けたい。微睡みの中で漂っていたい。三代欲求の睡眠欲に支配されて眠り続けたい……。
「ぐぅ……」
「のねもでない」
「___それ違う」
くそ、悠人め。起きなければならないなど現実を突き付けて来おって。まだ寝ていたいのに、まだ三十分しか寝てないし。……それでも仕事が文字通り山の様にある。
「あーあ、うちの会社は実に素晴らしいまでのブラックさだなぁ!」
手を組み合わせ、高らかにそう愚痴をこぼす。伸ばし上げた身体は、凝り固まった筋肉と猫背をほぐし上げ、ポキポキという音に次いで微妙な快楽を与えてくれる。
「あーあ、やりたくねぇ」
「やって。嫌でも納期に間に合わせる。それが仕事の鉄則」
ん、んん……それも、そうなんだよなぁ。悲しい現実め。
だけど、その鉄則に則るだけの余裕すらないからホント、キツイったらありゃしない。ドタキャンで辞めてった後輩の責任は先輩にあるとかなんとか。こっちだって、まだ仕事あるのにさ。社長も大変なのは分かるけど分配するか社員を増やせよ。こんなのデススパイラルじゃ!
貧乏ゆすりをしながら、高速タイピングで作り上げていく文章。それを一々目で追ってまた書き続ける。再度確認などしていたら時間がいくらあっても足りない。その為に身に付けた特殊能力。自動解析眼。
これにより、確認によって割かれる時間は大幅に減少。ただ、これはかなり脳に負荷がかかるから、直ぐ頭が熱くなるし、目がしばしばする。
でも、今は奥の手を使うしかない。禁じ手、真・自動解析暴走眼。
さぁ、死地に赴くぞ! デスウィーク二日目の戦場へ!!
「あ、無理___」
気付けば夕方だった。起きたのが朝の五時。それからぶっ通しでタイピング。食事の時間を惜しんで打ち込んだ成果は出ているからいいが、かなりしんどい。
それに、まだデスウィーク二日で無理をして体を壊したら余計にヤバイ。ここいらで休憩でも入れないと。
今日は少し長めに60分の夜休憩をする事にした。睡眠も込み込みの時間だから余計に時間が惜しい。だから俺は足早に近場のコンビニに向かった。
「いらっしゃいませー」
今日はもう決まっているので弁当コーナーに行き、その棚に陳列している事を確認して、そのコンビニ弁当を手に取った。
今日くらいは贅沢しないと。
手に取ったのはSPDX唐揚げ弁当。絶望的なネーミングセンスだが、それを抑えて美味しさが勝っている。そして、この量にして650円。安い、デスウィークに必要なカロリーを兼ね揃えただけならず、安い。
この安月給の会社で出来る贅沢は三日の食事を、涙ぐみながら美味しい棒10本に抑えた人間のみ味わえる至高。そして、それを乗り越えた俺の手元には丁度650円。故に買う以外ありえない。
俺は空いていたレジカウンターに立ち、温めを所望した。
「ポイントカードはお持ちでしょうか」
「すいません、無いですね」
そう一言言って650円を置く。
あー、3日ぶりの飯。早く食べたい……。てか、喋る労力が滅茶苦茶勿体ない。
それから1分してレンジから取り出された、唐揚げ弁当を入れたレジ袋片手に階段を嬉々として登って、自身の席へと腰を落ち着かせた。
さーて、頂きましょうかねぇ。
パキッと箸が割れる音が、聞き飽きたタイピングを掻き消して荒んだ心を浄化していく。
「あれ、達也もご飯にするのか。じゃあ僕もそうするかな」
俺が米を掴んでいざ行かんとしていると、愛妻弁当を開けている隣作業テーブル仲間の古西 悠人が居た。
彼は、俺と同じく現在30歳。
俺の同期で、容姿が端麗、過去の話を聞けば成績優秀でスポーツ万能で、絵に描いたような万能超人だ。が、なんでそんな奴がこんな安月給の場所で働いてるのかについて、中々10年の中であっても明かしてくれなかった。
「あーあ、いいなぁ愛妻ベン・トー。保冷剤までつけちゃって」
「達也のそれもレンジで温めるまで冷たかったじゃないか」
はいはい。どうせ俺のはコンビニ弁当ですよ。ていうか、何でそうも毒を吐けるのか。
「はぁ。妬みはあれど、悠人。ここのこれ、どうすればいいの」
大きな唐揚げを一口に含みながら、クリップで簡易留めした書類を渡す。そして、悠人は軽く目を通してこう言った。
「ファイト、達也」
「無理」
あー冷たい奴め。10年ブラックを共にしてきた仲間だというのに。昔からそうだったと言って仕舞えば何とも言えないが、奴なりの応援として受け取るか。
「はぁ……」
デスウィーク二日目終了まで後7時間。デスウィークは長い。ペース配分も考えたなら、当初の予定通り後1時間は寝ていないとやってられない。
早々に食べ終えた食事に、デスクの片隅に追いやられたプラスチック容器の残骸。まるで食事後直ぐゲームをするニートの様な動きだが、実際は紛う事なき社畜の鏡の様な俺だ。
「……あーあ、この安月給。どうにかならないかなぁ」
働けど働けだ、財布はいつのまにかすっからかん。
バイトのような給料だけじゃ、社会人にはキツすぎる。
「社長自身、経営が危ないとか言ってたし今のところは希望の希の字すらないよ」
しかし、縋る藁すら無し。
無慈悲に放たれた希望が無い発言には、もう考える事が疲れたという思考が脳内に巡った。
「もういいや、寝よう」
「……そうだね。このまま生きていられるはずがないしね」
そんな言葉にから笑い。実際のところはその言葉通り、下手なペース配分だと死んでしまうのだから。
だけど、今もう何も考えたくない。
明日は明日の風が吹く。1時間後は1時間後の風が吹くだろう。だからその時まで、俺は眠る事にする。
今日もブラックなら、明日もブラック。
休む暇なく、俺たちは働き続けるんだ。