7
取り敢えず昼食にしよう、とアイザックさんに案内された食堂には一人の女性が居た。
「酷いですわ、あなた。可愛いお客様がいらしていると聞いたので何時になったら会わせて下さるのかと今か今かと待っていましたのに、まさか昼食の時間になるまで会わせて下さらないとは……」
物憂げな表情でそう言って嘆息した女性にアイザックさんが苦笑する。
「ごめんよ。つい話し込んでしまってね。紹介するよ、彼女は僕の妻のミシャーラ。ミシャーラ、彼女達が今朝話したユヅキさんとそのペットのカンナちゃんにヤヨイ君だよ」
「アイザック・ルルジアナが妻、ミシャーラ・ルルジアナと申します。会えて嬉しいわ、可愛いお客様方」
「初めまして、ユヅキ・コヨミです」
「カンナだよ!!」
「ヤヨイ、です」
アイザックさんと似た色彩である栗色の艶やかな髪に深緑色の瞳。
纏っている空気すらアイザックさんと同じように優しく暖かい。
ミシャーラと名乗ったその女性は柔らかく微笑んで私達を受け入れてくれた。
「あら、でしたらユヅキちゃんの居た世界ではペットが人の姿に成る事はなかったのね?」
「はい、そうなんです」
「そう。でも、そうよねぇ、こんなに愛らしいんですもの、このままの姿だけでも十分よねぇ」
そう言ったミシャーラさんの視線は私の膝の上で丸まっている元の姿に戻ったヤヨイに向けられていた。
ミシャーラさんとの挨拶が済んで直ぐ、二人はポン、と軽い音と煙を立てて元の姿に戻ったのである。
人の姿に成っていられる時間が終わったのだ。
犬の姿に戻った二匹を嬉々として観察し始めたアイザックさんに思いっきり逃げ腰だったヤヨイが私の所に避難して来たのを膝に抱えて今に至る。
最初は尻尾を内に巻き、カタカタと震えて怯えていたヤヨイだったけれど優しく撫でている内に警戒を解いた様で今はうつらうつらと船を漕いでいる。
カンナは私の足元で既に鼾をかいているので、この子の図太さを少しヤヨイに分けてあげたくなった。
因みに、人の姿の時に着ていた服は犬の姿に戻ると綺麗さっぱりなくなっていた。
また人の姿に成った時にはきちんと着ているそうだ。
原理は分かっていないらしい。ただ、"そういうモノ"としてこの世界では受け入れられているのだそうだ。
「ねぇ、私も抱っこしてみていいかしら?」
「ええ、大丈夫ですよ」
窺う様に言って来たミシャーラさんの元にヤヨイを抱えて移動する。
どうぞ、と差し出されたヤヨイは少し不安そうだが、抵抗しないところを見るとミシャーラさんに対しての警戒心はだいぶ薄くなっているみたいだ。
「まぁまぁ、本当に可愛らしいわね」
「あ、待って下さい」
「え?」
抱っこする為に伸ばされたミシャーラさんの手がヤヨイの脇の下に入ったところで制止を呼び掛ける。
「この子達には鎖骨が無いので私達の様に腕を真横には開くことができないんです。なので、人間の子供を抱き上げる時みたいに脇の下に手を入れて抱き上げるのは関節に負担がかかってしまうし、痛がってしまうんですよ」
「あら、まぁ……そうなのね。ごめんなさい」
「いえ。えっと、正しい抱っこの仕方は……ミシャーラさんは右利きですか?」
「ええ」
「なら抱き上げた時にヤヨイの頭が左側に来る様にしますね。先ずは右手をヤヨイのお腹の下に潜らせて下さい。あ、お尻の方から頭に向けて……はい、そうです」
ヤヨイの体の下をミシャーラさんの手が潜っている形になる。
ヤヨイは頑張って動かない様にしている。偉い子だ。
「そしたら親指と小指を脇の下に通して、残りの三本の指は胸を支える様にして。で、最後に左手を体全体を覆う様に添えて安定する様に胸にヤヨイの体をつけて貰えば……」
「これでいいのかしら?」
「はい。大丈夫です」
恐々と、それでもなんとか安定した形でヤヨイを抱っこ出来たミシャーラさんがホッと息をつく。
「抱き上げる時はそれでお願いします。膝の上に乗せる時は右手は放してもいいですが、添える手は放さない様にして下さい」
「分かったわ」
ソッと膝の上に乗せて右手を外したミシャーラさんが左手はそのままにヤヨイの頭を撫でる。
綻んだ顔は何とも幸せそうだ。
ミシャーラさんの慣れない感じに緊張していたヤヨイも安定する膝の上に落ち着いた事でホッと息をついたのが分かった。
アイザックさんは何やら一心不乱に紙に書いているし、カンナは相変わらず寝ているし。
異世界に来たという事が判明して僅か数時間とは思えない程に穏やかな時間が過ぎていた。
こうして、私と私の家族達との異世界での生活が始まったのである。