1
誰かの声が聞こえる。
「…………ま!」
『ま』? 『ま』って何だ?
「……さま!!」
あぁ、『様』か。いや、だから、『様』って何だ?
「ゴシュジンサマ!!」
成る程、『ご主人様』ね。やっと分かった。
……ん? え、誰が?
「……今時"ご主人様"ってどうなのよ? って、ぅお!?」
いち早く感覚を取り戻した聴覚から得た情報に思わず突っ込みながら目を開けたその瞬間、私の視界に飛び込んで来たのは青みがかった黒の瞳。
「やっとおきた!! ゴシュジンサマおきるのおそいよー!!」
バッチリと目があった状態で二、三度瞬きを繰り返したその瞳がニッコリと弧を描いたのと同時に聞こえた少し幼い声。
「え、誰? てか、ちょ、近い……」
グイッと近すぎる顔を引き離し体を起こす。
そこは、見覚えの無い草原だった。
「どこ、ここ? それと、何で裸? え、その耳と尻尾は本物?」
草原を見渡した時に嫌でも目に入ってしまった全裸の男の子。
もう一度言おう、全裸の男の子。
その男の子の頭には獣耳があり、お尻の上辺りからはフサフサの毛を持った尻尾が生えていた。
念のため纏めよう。
全裸の、獣耳と尻尾を生やした男の子が今、私の目の前に居る。
他に周りに人が居ない事から、先程の青みがかった黒の瞳の目の持ち主は彼で間違いないとは思うのだが、何故全裸なのだろう? その耳と尻尾は本物なのだろうか? ここはどこで、彼は誰なのだろう?
「ゴシュジンサマー? だいじょぶ? ねー、ヤヨイねぇ、ゴシュジンサマとおんなじなんだよ! すごいよねぇ!! ヒカリがピカーってなったらね、ヤヨイこうなってたの!!」
「ちょっ!? …………ん?」
全裸の男の子がトコトコと近寄って来てギューッと抱き付いてきた。
それに驚いて引き剥がそうとしたその時に、ふと男の子の言葉に引っ掛かりを覚えて手を止める。
「"ヤヨイ"って言った?」
「そうだよー!! あのね、カンナもいるよ! いまむこうにいってるの!!」
『むこう』と言って指された先は、当然ながら何もない草原だ。
そこに人影は愚か、生い茂る草以外のモノなど何も見受けられない。
けれどしかし、そんなこと今はどうでもよかった。
「"カンナ"……」
"ヤヨイ"に引き続きよく知った名前が出てきた。
「カンナにヤヨイ……」
これは、ただの偶然なのだろうか?
その二つの名前は、私の大切な家族のモノと同じだ。
「……」
チラリ、と男の子に視線を向ける。
勿論なるべく上半身、更に言えば顔を中心に、だ。
チョコレート色の少し癖のある髪にパッチリ二重の目と青みがかった黒の瞳。
頭から生えるのは髪と同色の獣耳。
顔は幼子特有の丸みがあるが、きっと大きくなれば結構な美形になるだろうと思える程には整っていた。
「……」
うん、何だか凄く見覚えのある色を持ち合わせている。
「……ヤヨイ?」
「うん!!」
名前を呼べば輝く笑顔で応えてくれた。
「待って、ちょっと待って……私の知ってる"ヤヨイ"は犬の、チワワの"ヤヨイ"で……」
「うん!! ヤヨイはヤヨイだよ!!」
「……」
頭が痛くなって来た。
更に加えて眩暈がする。
脳が現状に追い付いていないのだろう。
というより、ここは何処なのだろう?
何故私はこんな所に居るのだろう?
たしか、そう、私は家に居て……
「ご主人様ー!!」
目頭を揉みながら意識が落ちる直前の事を思い出そうとしていれば、遠くから男の子とは違う声が聞こえて来た。
「あ! カンナだー!!」
声が上がった方に向かってブンブンと手を振る男の子。
その視線の先にはこちらに向かってもうダッシュッしてくる一つの人影。
「あー……」
ため息と同時に無意識に声が出てしまう。
こちらに向かって来るその人影は女性だった。
獣耳と尻尾を生やした身長の高い女性だった。
やっぱり全裸の女性だった。
私が知らない内に私の居た国は獣耳と尻尾が常備で全裸が普通の場所になってしまったのだろうか?
あぁ、何も分かっていないのに分からない事ばかりが増えていく……
「ご・しゅ・じ・ん・さ・まーっ!!」
「へ? って、うぎゃっ!!」
向かって来る女性から視線を外して自分の考えに集中していたのがいけなかったのか。
先程よりも随分と近くで聞こえた声に顔を上げたそこには、満面の笑みでこちらに突撃してくる女性が居た。
ドォーーン!! という効果音が適切だと思う程の勢いで抱きついて来た女性の勢いに負けてひっくり返る。
「ご主人様起きたんだね!! あのね、向こうの方から人間がいっぱいって、あれ? ご主人様?」
ひっくり返った勢いが強すぎたのと、私の脳がキャパオーバーを引き起こしたのが原因だろう、意識が遠ざかって行く。
目が覚めたらもう少し状況が分かりやすくなってくれていたらいいと願いながら、私は目を閉じたのだった。