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エインヘリャル物語 〜橘啓吾 列伝〜  作者: 真面目 雲水
第一章 転生した剣客
8/61

学び舎 前編

今日一つ目です

本日は二つに分けて投稿しています


 畑沿いの畦道あぜみちを二人の子供が駆けていく。

 言うまでもなくエリアスとクリスタである。


 リネン地のチュニックとゆったりとしたズボンを身にまとっている。

 手首と脛には革の籠手と脚絆ゲートルを着けている辺りがなんとも剣術好きの二人らしい。

 二人の腰で揺れるショルダーバックには小物の他に簡易の筆記具が入っている。


 子供の足でも歩いて四半刻ほどあれば家から里の中心部へ出てこられる。

 それを、日夜野山で駆け回り己を鍛え抜こうとしている二人が走るのだからその半分の時間もあれば充分であった。

 やがて畦道はしっかりと踏み固められた道路へと変わり、両側に木造の家屋が立ち並ぶようになる。この近辺まで来ると小洒落た造りの建物も多くなり、石垣や漆喰を組み合わせた商店通りは見目にも楽しいものである。


 しかしながら、ひた走る二人の視線の先にあるのは一本の大樹である。

 オーストレームの真ん中にどっしりと居座るこの樹はアニム族がこの辺りに入植した頃にはすでにあったという長老樹である。

 名もない樹ながらもただ“大樹”と呼ばれて皆に親しまれており、言うなればオーストレームの象徴のようなものである。


 この樹に寄り添うようにして小さな館が建てられたはいつの頃だったか。

 その時分にはまだ“大樹”も今ほどには大きくなかったようだが、不思議なことに樹が育つにつれてこの館のほとんどは“大樹”の中に取り込まれ、やがて玄関だけが洞から出っ張るようにして綺麗に残ったという。


 元は一族の長の館であったそれはアニム族の伝承を書き残す場所になり、幾千の本が残され、この里が“アニム族最古の隠れ里”などと呼ばれるようになる頃には“知恵の館”という名がついたのだとか。

 今では、そういったことを里の子供たちに教え育てるための学び舎としてなくてはならぬ場所になっている。


「おや、エリアスにクリスタじゃないか。おはようさん」

「おはよ。ファンニおばさん、今日も綺麗ね!」

「あらやだ、大人をからかうんじゃないよう」

「まーた、兄貴が寝坊したんか。朝から元気だのう」

「おはようございます。アスコおじさんはうるさいよ!」

「がははは」


 店を開けようと準備していた肉屋夫婦が声を掛け、二人も笑顔で答えながら走り抜けていく。

 陽気で働き者な商店通りの連中がその手は止めずに微笑ましく顔を向け、時には挨拶を交わしてくれる。

 愛想の良い二人はこの辺りではことの外に可愛がられていた。


 通りを駆け抜けたエリアスの手が、クリスタよりも一瞬早く“大樹”の幹に触れた。


「あー、また負けちゃった」

「あはは、兄貴は妹の目標じゃなきゃいけないからな」

「なにそれ」


 クスクスと笑いながら兄妹は思い思いに体を休ませた。さすがに、じんわりと汗ばんでいる。

 自然と互いの視線が交錯した時であった。

 白木造りの瀟洒な扉がついと開き“知恵の館”の中から白藍しらあい色と紺青こんじょう色のローブを纏った青年が出てきたのである。


「おはようございます、エリアス、クリスタ」

「あ、おはようございます!」

「おはよー、先生」

「遅刻しないのはいいことですが、余裕を持って行動してくださいね」

「でもね、あと少しでお兄ちゃんに勝てそうなの」

「おや、クリスタも随分早くなったんですね」

「そう簡単に負けないやい」

「あはは」


 柔和な笑顔を浮かべるこの小柄な青年、名をヘンリクという。

 先生と呼ばれるようにこの館で書の守り番をしながら子供達にもの・・を教える仕事をしており、こういった役職をアニム族ではリベラスと言うのであった。

 明るい鈍色の髪色と銀細工の片眼鏡が知的な印象ながら人好きする笑顔と分かりやすい教え方で里の人々に親しまれている。


 親しまれてはいるのだが、

(あの奔放な先代からどうやったらこんなに良い子が……)

 という思いが含まれているのも確かである。


「さて、そろそろ始業時間です。中に入りましょうか」

「はーい」


 背を向けたヘンリクのローブの端から鼠の尻尾がはみ出している。

 ゆらゆらと揺れるそれを追って、二人も館の扉をくぐった。


 館の玄関はかつての名残かそれなりに広い楕円形の造りになっており、左右の壁際には二階へと続く階段がある。二階はリベラスの私室があり、よほど貴重か古いか、はたまた特殊な書籍に用でもなければ訪れる機会もない。


 三人はエントランス正面、観音開きの重厚な扉の先へと進んだ。

 既に建築当初の面影はこの部屋に残っていない。

 利便性のために遥か昔に柱を残して壁は取り払われてひと続きの広間に作り変えられた上、壁のほとんどは“大樹”が侵食したかのような様相で、さながら大きなうろの中に後から部屋を作ったようにも見える。

 それでも不思議なもので樹は決して本棚や家具を飲み込むことはなく、床も薄萌黄色の羅紗らしゃ張りがそのまま残っている。


 放射状に整然と並べられた本棚の中央は元気なクリスタが走り回れる程度に円形に空いており、今は四人の子供が柔らかなクッションで車座に座っていた。

 少し離れて一人座っていた気弱そうな少年が嬉しそうな笑顔で手を振った。クッションから飛び出した黒豹の尻尾と頭頂部の耳がピンと立っている。

 見れば、その横には二人分のクッションが確保されていた。


 この少年、兄妹の親友サンテリである。

 濡羽ぬれば色の髪のしどけない美しさと、幼いながらも精悍な顔立ちなのだがそこに滲む気弱さがなんとも「愛執あいしゅうを誘うような……」なさけなさなのである。

 それでいて里では珍しくエリアスの出自に一切忖度そんたくしない度量の深さもある。

 そういう居心地のいいところを兄妹はいたく気に入っている。


「私こっち!」


 元気よく走り寄ったクリスタが早々に席を取った。

 エリアスのために空けた席をサンテリとクリスタで挟む形である。


「おはよ、サンテリ」

「おはよう、二人とも」

「いつもありがとな」

「そんな、こっちこそ……」


 何が恥ずかしかったのか照れて俯くサンテリに苦笑しながらエリアスが近寄った。

 と、聞こえるか聞こえないかの程度の舌打ちが響いた。


 眉根を寄せたヘンリクの視線がサンテリの向かいに座る三人に映った。

 左からアッツォ、ラッセ、イスモの順に並ぶ彼らはエリアスたちとは相容れない間柄である。

 

 一番小柄な少年ラッセは細面の団子鼻で、そのつり目がいかにも斜に構えたラッセの性格を表しているようにも思える。

 蜜柑みかん色の髪の毛から飛び出た尖った猫耳をピクピクと動かすのが癖であり、ことあるごとにエリアスに噛みつくのである。


 ラッセの隣に座っているのは弟のイスモである。

 五尺を優に超え、同年代からは一つ抜き出たその体躯を縮ませるようにしている。

 丸顔で福々しい顔つきであるが別段太っているわけではない。むしろ、その長身を鑑みれば痩せているといっても過言ではない。

 ぼんやりとした挙動と喋り方は少しばかりとろい・・・ようにも見えるのだが、垂れ目から覗く瞳は殊の外思慮深い光を湛えている。


 最後に残ったのがアッツォである。

 横に寝た丸っこい猫耳がなんとも特徴的で、紺鼠こんねず色の癖っ毛が目立つ紅顔の美少年ながらどこか拗ねたような傲慢さが透けて見える。

 従兄弟の二人を配下のように引き連れて歩くことが多く、同族の中でも意見が分かれるような振る舞いの少年である。


 あまり口を開かないイスモはともかくとして、アッツォとラッセは若い者の中では顕著な人間嫌いなのである。

 先の舌打ちが彼らのいずれかであることは確かである。

 しかしエリアスは何も言わずにクッションに腰掛けた。


 この程度のことを気にしていては人間がこの里で生きるのは難しい。

 人通りに混じれば不躾な視線や態度に接することもある。数は多くないが正面から文句をいう者とているのが現状である。

 少年が年に似合わぬ落ち着きを身につけたのも必要ゆえであった。


【脚註のようなもの】

脚絆(ゲートル)……脛に巻く革や布でできた服の一種。歩行の補助や防具の役割を持つ。

白藍色……黄味を含んだ淡い水色。もっとも淡い藍染の色。とろけるような柔らかい色合いがいい。

紺青色……紫を帯びた暗い青色。上品な落ち着きがよろしい。

濡羽色……カラスの羽のような艶やかで青みのある黒色。女性の美しい髪色を指すことが多い。

紺鼠色……わずかに青みがかった暗い鼠色。どことなく儚げな色合いがよろしい。

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