成人 前編
こそーっと、本編更新
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ルキウス歴三二四九年、|ディニ(四月)の六日である。
オーストレームの里は春も盛りを迎えていた。
黄水仙の花があちらこちらで競うように美しく咲き誇り、まだ幼い子供たちが表通りを駆け回っている。
南庄の畑も春野菜が収穫期を迎え、麦わらを被った農夫が蕪や芋、甘藍や瓜の類を払暁と共に刈り取り始める時節である。
さて、その南庄に横たわるリーウス川の上流、遊水池の畔にはなんの変哲も無い一本の樫の木が植わっている。
いま、その樹枝で啓吾が一人趺坐していた。
見るからに不安定な姿勢なのに、どうしたことか小揺るぎもしない。
今日、啓吾は十五歳になる。
この世界のアニム族にとってそれは成人に等しい。
その年の誕生日を迎えたものは己が腕でもって働き始め、保護者同伴の上での飲酒と一日一服までの煙草が許されるようになる。
酒色喫煙を自由に嗜み、嫁や婿を娶ることができるにはさらに三年を待たねばならない。
ともあれ、六年もの歳月が流れたのである。
啓吾の年齢相応に成長した体躯はしなやかな筋肉で密に覆われ、いよいよ若武者という言葉が似合う少年になった。
その容貌は若さを感じさせないほどに成熟しており、かつての甘やかさを仄かに残しつつもその顔つきはぐっと精悍になっており、短く切り揃えた霞色の髪によく似合っている。
放浪者として目覚めてから少年は一層増して自らに鍛錬を課すようになった。
起きて寝るまでを勉学と稽古に費やし、泥だらけになって野山を駆け回る姿は凄絶としか言いようもない。
こういう時の武人の精神というのは端から見ても分からない。
己が腕をひたすらに磨いて一つの道を極めるというのが啓吾にとっては実に楽しかったのである。
月旦の太刀筋を回顧し、ヨウシアに手ほどきを受け、アルトゥーリからは精霊との感応を学び、啓吾の腕前はかつてと比べものにもならない。
どこかで鷦鷯が鳴いている。
春の生命の息吹を感じさせる心地よい風が少年の頬を撫でていった。
「こういう風を吹花擘柳と言うんだろうな」
呟いた啓吾がゆっくりと目を開く。
徐ろに懐から取り出したのは小ぶりの横笛である。
歌口の他に七つの指孔が見て取れるそれを少年はためらうことなく構えた。
東雲、茜色の染まった空へと流麗な曲が響く。
真剣に、けれど楽しそうに啓吾は奏でた。
粗が目立つ演奏ではあるけれども、なかなかどうして悪くはない。
一曲を吹き終えた啓吾の肩に鷦鷯が降り立った。
少年は笑顔を浮かべながら何事か囁き、小鳥が答えるように鳴いている。
そうしてわずかな歓談の後に鷦鷯は再び大空へと飛び立っていった。
その影を啓吾は泰然として見送っている。
パーヴァリ翁に勧められて始めた苦手な音楽を、この小さな観客のために少年はわざわざ続けているのである。
やにわに啓吾は樹上から飛び降りた。
危うげなく着地した少年が立ち上がると同時に、その背後に忽然と現れた人影が寄り添った。
背中から抱きついたその少女に啓吾は驚いた様子もない。
「あんまり無茶をするなよ」
「ぶー、全然驚いてないくせにー」
「兄貴だからな」
「なにそれ」
口調の割に嬉しそうに笑ったのはクリスタである。
肩口まで伸ばした黄金色の髪を朱色の髪紐が後ろで引き結んでいる。
クリスタもまた歳月とともに美しさを重ね、天真爛漫とした性根を残しながらも母エミリアを思わせる瓜実顔の美少女へと成長している。
弛まぬ鍛錬に厳しく引き締められたししおきはしかし女らしさを帯び始めており、父ヨウシアなどは気が気でない様子である。
あれ以来、剣においては兄に一つも二つも先を行かれてしまったクリスタは母エミリアの指導の元で天与の才能を示した。
まだまだ勢いに任せたところこそ多いものの、弓を撃たせれば百発百中と熟練の狩人たちに噂されるまでになっている。
「そろそろ、朝ごはんだって」
「ん、分かった」
「楽しみ?」
「そうかもしれない」
隣り合って歩く兄妹は相も変わらず仲が良い。
短い家路を二人がのんびりと歩いていく。
「ただいまっ」
「おかえり、二人とも」
兄妹を迎え入れたのは変わらず壮健な両親である。
いつにも増して笑みを絶やさないヨウシアはどこかそわそわとしており、いつになく気合を入れたエミリアの料理が卓上に並んでいる。
なにげなく食卓を見やった啓吾の視界に親友の姿が映った。
まっすぐと立てた両耳と尻尾を震わせているサンテリが所在なさげにちょこんと椅子に腰掛けていたのだ。
「なんだ、もう来てたなら声をかけてくれてもいいだろうに」
「あ。う、うん。その、おかえり……」
「おう」
「ただいま、サンテリっ!」
はにかむサンテリの風貌も随分と様変わりしている。
小柄な大人ほどにも成長した体躯は実にたくましいもので謹厳な稽古のほどが窺うことができる。
かつてのあどけない顔立ちは一変しており、彫りの深いすっきりとしたそれで柔和ながらも凛々しさを感じさせるものだ。
濡羽色の艶やかな髪と相まって、うら若き艶やかな美青年にも見える。
そんな美少年が気弱な顔色で啓吾に問いかけた。
「今更だけど、僕がここにいていいのかい……?」
「当たり前だろう。お前だからこそ、だ」
「う、うん」
照れるサンテリに苦笑をこぼしながら啓吾も腰を下ろした。
いざという時には頼りになる若武者なのだが、恐縮するその姿はまるで借りてきた猫のようである。
最後に席に着いたのはクリスタであった。
なにやらいそいそと隠す仕草を啓吾は見て見ぬ振りである。
ついと、ヨウシアが立ち上がる。
「さて、揃ったところで始めようか」
エミリアの手ずから全員にマグカップが行き渡る。
サンテリとクリスタは果汁を水で割ったもの、残りの三人は軽めのエールである。
それを見届けてヨウシアが言葉を続けた。
「今日からエリアスは十五歳になり、一人の戦士になる。なに、私たち自慢の息子だもの、今更戒めることもないから別のことを……」
父の慈愛の眼差しが啓吾に注がれた。
「エリアス。君の往くところに幸運を、いつか辿りつく先に栄光を」
『精霊の導きあれ』
皆の精霊への祈りが重なる。
それぞれに掲げられたマグと共に祝いの席が始まった。
すぐに歓談と楽しげな笑い声が食卓を彩る。
今日の卓上はさすがに啓吾の好物が並んでいる。
クリスタが仕留めたテイルバードを種々の香辛料に漬け込んで網焼きにしたもの、一晩おいてじんわりと味が染み込んだ蕪と甘藍のスープに瓜のピクルス、ヨウシアお手製のバケット、程よく炙ったパーヴァリ翁謹製モンス=チーズ、といった具合である。
包丁自慢のエミリア渾身の出来であった。
絶妙な味付けのテイルバードを頬張る啓吾などは、
「うまい、これはもう実にたまらない……」
などと言って唸って、
「兄さんたら変なかおー」
と、どこか得意げな妹に笑われている。
「ああもう、このチーズの味わいときたら……」
親も子に似るようである。
皆一様に嬉しそうなのだが、とりわけ啓吾は人一倍に幸せそうな笑顔である。
自身もそこそこに包丁を遣う少年も“おふくろの味”には勝てそうにもない。
【脚注のようなもの】
黄水仙……ヒガンバナ科スイセン属の一種。鮮やかな黄色い花を咲かせる。花言葉は「私の元へ帰って」「愛に応えて」。ギリシア神話の冥王ハデスとベルセポネの話に由来する。
鷦鷯……全身が焦茶色の細かい模様を持つ。雀より小さいが大きい鳴き声で長く鳴く。西洋では「王様」「年寄り」とも親しまれる。
吹花擘柳……花をそっと吹き開かせ、また柳の芽を割き分けるようにそよぐ春の風。
東雲……闇から光へと移行する夜明け前に茜色にそまる空。実に美しい。
謹製……心を込めて作られた品物、製品。ありがたいなー。いや実にありがたい。




