伝説の始まり 後編
本日最後の投稿
今日は遅い時間帯になって申し訳
「馬鹿にしているのかっ!」
物思いからヨウシアを引き戻したのは、大人気なくも声を荒げたヴァルネリであった。
話の途中からすでに青筋を浮き上がらせていたその顔色は、なまじっかの子供なら怖がって泣き出しそうなものである。
もっともエリアスは意にも介していない。
「よっぽど先のオルクの強面の方が……」
というのもある。
しかしそれにしても肝の太い少年である。
現にクリスタの方は少し涙目になっており、その娘を抱きしめるエミリアの目が見る間に恐ろしい光を宿し始めている。
「馬鹿にしているとは?」
「っこの!」
エリアスは片眉を上げ恬然と問い返した。
煽られたヴァルネリの語調がますます強くなる。
「だいたいっ、この場所は立ち入りを禁じられている!」
「そうなのですか、父さん?」
「……ん?」
何かしらの確信があるのか、確りとした顔つきでエリアスは振り向いた。
息子の変わりように驚きを覚えながら、ヨウシアは口を開いた。
もとより舌戦を子供に押し付けるほど情の浅い男ではない。
「そうだね、別に禁じられていないはずだ」
「ご子息といえど庇い立ては擁護できませんが?」
冷笑するヴァルネリに、しかしヨウシアは苦笑で返す。
代わりに口を開いたのはエミリアである。
「口を差し挟むようでゴメンなさい」
子供達に噛み付く男への忿懣からか、その口調は殊の外厳しい。
「確かにこの場所のことは秘匿されているけれど、それは子供たちがいたずらに森に入らないためのもの。精霊に縁深いところを禁忌にするわけないわ」
「……エミリア殿、それは意見の相違というものでしょう」
「ふむ、けれどねヴァルネリ殿。そもそも、エリアスたちがハミル湖と湖に至る道に限って立ち入る許可を出したのは長だよ」
「なっ!?」
ヨウシアの言葉に、ヴァルネリは過剰なほどに反応した。
にわかに絶句したかと思うとみるみるうちに茹で蛸のような顔を晒して声を荒げたのである。
「私はっ! 私は、聞いていないっ!!」
「と、言われてもね。戻ってから直接アルトゥーリ殿に訊いてみては?」
少しばかり態とらしく首を竦めてヨウシアはそう返した。
遣り場をなくした鬱憤に全身の毛を揺ら揺らと立ち上らせながら、ヴァルネリは苛立たしげに口の中で舌打ちした。
里長の——少なくとも彼にとって——重要な決定ごとが彼自身の耳に入っていない。それはヴァルネリにとって実に許せない大罪であった。
「そもそもっ、この子供の言うことはハナから信ずるに足らない!」
「……どういう意味かな」
「不思議な風だの洞穴だの! 薄汚いローブや訳の分からない武器を後生大事に隠しているだの! 馬鹿にするにもほどがある!!」
険しい視線を投げかけたヨウシアとエミリアの不可視の圧力に屈することなくヴァルネリは言い切った。
その言葉はあながち的外れでもない。
オーストレームの里に住む大半のものにとって能動的に精霊の類が行動するなど想像もつかないし、そういう不可思議な現象というものを経験したことないのである。
同伴していた三人の戦士にしてもエリアスの言い分を全面的に信じたか、といえばそうではないのだ。
「特にその短剣! どう見ても十羽一絡げの凡作ではないか!」
言い募るヴァルネリが指差したのはクリスタの腰に下げられた短剣クレドである。
「ミスリルが使われているとも思えない。まして自ずから光るなど虚言と言われても仕方ないでしょうな!」
言い切ったヴァルネリは、持論に納得したのか幾分落ち着いてきている。
一つ鼻息を漏らして、挑発するように「抜いてみろ」とたたみ掛けた。
本当のことなら抜くと同時に光るだろう、というわけである。
ところがこれに意外な人物が答えた。
「えっと、この剣、抜けなかったよ?」
口を開いたのはクリスタである。
反論しようとしていたヨウシアが数回瞬きした。
中途半端な沈黙の中、エリアスが徐ろに口を開く。
「抜けないって……」
「うん、お兄ちゃんに渡された時は抜き身だったけど……。鞘に入れて、さっき抜こうとしたらどうしても抜けなかったの。ほら」
そう言ってクリスタは両手に持ったクレドを力一杯引っ張って見せたが、抜ける様子はない。
たちどころに、エリアスの顔色が悪くなった。
まさかに良かれと思って渡した剣が抜けなかったなどとは思いもよらなかったのだ。
妹を余分な危険にさらした自責の念がありありとその表情に見て取れる。
「クリスタ、ごめん!」
「ううん。そんな、お兄ちゃん助けてくれたし……」
苦り切った表情を浮かべる兄にクリスタはもどかしそうにそう言った。
自分のことで苦しんでいるエリアスを前にして、穏やかではいられない。
しかし積もった疲労の中でクリスタは心情をうまく吐露できなかった。
何か言い募ろうとして口を開いて、しかし少女は何も言えなかったのである。
代わりに彼女の前に突き出されたのは父の手であった。
「ちょっと貸してくれるかい?」
「う、うん」
クリスタから短剣クレドを受け取ったヨウシアはまじまじと細部を調べたが、やはり抜ける様子はない。
「……歪みや引っかかりではないね。そもそも動きそうにもない、と言えばいいのかな」
「ふん、三文芝居ではないでしょうな」
ヨウシアから手渡されたヴァルネリも試すのだが、一向に抜ける様子はない。
すぐに諦めたのか、しばしクレドを弄んでからエリアスの面前にその柄頭を突きつけた。
「はて、ボロが出ましたかな。これは短剣どころか子供のおもちゃのようだが?」
背筋を逆撫でるような嫌みたらしい笑みをにやりと浮かべたヴァルネリが、そのまま柄で少年をこづこうとして、眉を寄せた。
気づけばエリアスの右手がクレドの柄を掴んでいたのである。
直後、尋常ではない気配がエリアスから立ち上った。
ヴァルネリが全身の穴から汗が吹き出している。
無論、エリアスもそれを感じていた。
何者かに背中から覆いかぶされ両手を取られている、そうとしか言いようもない。
『その言葉、覚えておきなさい』
エリアスにとっては聞き覚えのある清廉な神楽鈴にも似た声が響いた。
同時に、少年の右手がやにわに動いた。
引き抜かれた約束の短剣が明瞭な青白い光を放つ。
古の伝承をなぞるようにクレドの光は湖の淵を照らし出した。
途端に水面は泡立ち疾風が巻き起こったかと思うと、仄かに淡い光を発しながら一人の女が顕現したのである。
その威容を一言で表すのならばやはり“精霊”というのがしっくりくる。
実に整った顔立ちにあどけなさと優しさが共存しており、その肢体と合わさって匂い立つような美しさである。
白磁のような肌は薄布もろともしとどに濡れて、透明感のある天色の髪が全身に張り付いている。
それでいて、卑猥さを微塵も感じさせないのだ。
神秘的な圧が勿忘草の原を駆け抜けた。
あれほど意気軒昂であったヴァルネリまでもが言葉を失って立ち尽くしている。
その手を離れた短剣の鞘が地面に落ちて鈍い音を響かせた。
優雅な風が吹いて、女性はふわりと浮かび上がるとエリアスの目の前に降り立つ。
直後に慈愛の光が少年にそそがれた。
どうしたことか、エリアスはその女性の瞳から目が離せない。
抗いがたい何かが少年を束縛していたのである。
「貴女は……」
細い指先が、エリアスの頬を撫でる。
思いの外に温かい彼女のその手に少年は静かに瞠目した。
『私はスフュレリア、ハミル湖に住まう者。安寧と癒しを司る民フュルギアの民』
「スフュレ、リア……?」
『そうです。あの方が去ってから幾星霜、貴方を待ち侘びていました』
隠そうともしない慈愛と懐古をそのままに、スフュレリアと名乗ったその女は少年の首筋にそっと手を乗せてその額に口付けを落とす。
直後に、原は柔らかな光に包まれた。
その光の中でエリアスは己の額がじんわりと熱くなるのを感じたのである。
やがて、光が去った。
同時にエリアスとクリスタは大小の傷が一つ残らず消えていることに気付いた。
蓄積していた疲労すら、霧散している。
優しい笑みを浮かべスフュレリアは再び口を開いた。
『大丈夫ですよ』
その言葉に、万感の思いが込められている
どうしたことか、急に溢れかえりそうになった衝動を堪えようと少年は空を見上げた。
【脚注のようなもの】
恬然……物事にこだわらず平然としている様。「別に?」
忿懣……憤り悶えること、腹を立てイライラすること。「フンガーッ!」
幾星霜……(苦労や努力を重ねた上での)長い年月
【次回予告】
ついに姿を現したスフュレリア
神話と現実が収斂するとき、すべてが始まる
時代おくれの少年剣客が異世界を駆ける!
次回、エインヘリャル物語『祝福』
どうぞよろしく




