対峙 後編
今日二つ目、本日はこれで終了
驚きにびくりと跳ねたクリスタを横目にエリアスは素早く室内を見渡した。音の元凶など先ほどのオルク以外に考えられない。彼は自然に逃げ道を探していたのである。
(くそっ!)
明るくなった部屋は十分に四方の壁を照らしている。けれど、入ってきた扉以外に出口は見当たらない。
背水の陣、それと分かるや否やエリアスの眼差しが鋭く引き締まる。
放るようにして鞘を台座に置いて、抜き身の刀を担ぐようにして構えた姿はなかなかどうして堂に入っている。
エリアス自身は不本意な構えではあったが、いかんせん今の身体で大振りの得物を扱うにはこれが適当であった。
「お兄ちゃん!?」
「あいつが来る。下がってろ」
「え、でも、ここの扉……!」
「嫌な予感がするんだ」
そう言ってエリアスは数歩前に進む。
一度二度、流すように打刀を振るって間合いを確かめる兄の姿に、しかしクリスタは何も言えなかった。
彼女には見慣れているはずの剣筋が違って見えたのである。確かにそれは兄の剣筋なのだが、まるで別人のように美しく思えたのだ。
湧き出した安心感がクリスタの足を止めた。
「……くるぞ」
低い声と共にエリアスが構え直した。
自然、二人の視線が入り口の扉に集まった。
断続的に続いていた衝撃にすでに扉は歪み始めており、どういうわけか薄汚い靄のようなものが染み入っていた。
一瞬の空白、そして一際大きな衝撃が彼らを襲う。
蝶番を軸に左右に吹き飛んだ扉がけたたましい音と振動を撒き散らし、粉塵が視界を遮った。
クリスタの吸い込むような小さな悲鳴を聞きながら、しかしエリアスは小揺るぎもせずに目を細めて目前を睨めつけた。
ゆっくりと収まっていく粉塵の中から、のっそりと大きな影が浮かび上がる。
見慣れてしまったオルクがニタニタと嫌らしく笑いながら姿を見せた。
何度も扉にぶつけたのか両肩は歪み、言いようもない暗い色の血をたらたらと零している。
もっともそれに堪えているようにも見えない。
「オールジャ! ベルラーガル!! ダルダミア!!」
嬉しそうに喚きながら大刀を構えるオルクに相対して、しかしエリアスは深く息を吐いただけである。
むしろ自分でも不思議なほどに冷静なのだ。
エリアスはこれまで見てきたこのオルクの動きを思い返していた。
確かに、その体躯と膂力は恐ろしいものである。
とはいえ、一撃必殺を体現する剣筋と速度こそ驚異的ではあるものの、その動きは大振りで判断力に若干の難がある。
まして、目の前のオルクは両肩を負傷している。
こと一対一ならば十分に付け入る隙があるようにエリアスは思えた。
(勝機は、ある)
雰囲気が変わったエリアスに何かを感じ取ったのか、オルクの動きが一瞬止まる。
その思考の空白を、エリアスは逃さなかった。
「チェイッ!!」
あえて裂帛の気合を発してエリアスが飛び出すように前に出る。
憤怒に身を焦がし、敵を侮っていたオルクはやはり油断していたのだろう。
風のように動いたエリアスに驚き、反射的に右手に握っていた大刀を振り上げたのである。
(かかった……!)
急制動と共に落ちるように身を屈めたエリアスのすぐ横を刃が過ぎる。その風圧に眉を顰めながらエリアスが前へと飛んだ。
担いだ打刀を全身で振るうようにして少年の体がオルクの左を抜ける。
そうして、身構えていたエリアスが拍子抜けするほどにあっさりと、刀身がオルクの左脛から脹脛を斬り割ったのである。
日本刀としては明らかにおかしいその切れ味に、エリアスの意識がかすかに逸れた。
(……ッ!)
一瞬の思考の空白が、相対する二者に中途半端な距離を生み出した。
オルクの大刀は十分に届き、エリアスが打刀を振るうには一歩踏み出せねばならない。
危地にあって、エリアスは返す刀で止めを刺す絶好の機会を逃したのである。
言葉にならない呻きとも怒声ともつかぬものを口から漏らし、オルクは己が足も気にせずに無理やりに振り向いた。
仄暗い血飛沫を撒き散らしながら赤銅色の眼光を爛々と放つその姿は壮烈そのものである。
手負いの化け物と間合いを逃した剣客の視線が交錯する。
後がない、そうと分かっている二者は休む間もなく動いた。
するりと滑るように前に出たエリアスに、オルクが不自然な体勢をそのままに叩きつけるようにして大刀を振るったのである。
思わずクリスタが短い悲鳴を上げたその時、どこをどうしたものか“ふわり”とエリアスの矮躯が六尺以上も跳躍したように見えた。
二つの影が重なり、離れる。
エリアスがすたりと地に降り立つと同時に、オルクの巨体が転げるようにして倒れた。
頸動脈を深々と切り裂かれたオルクは痙攣こそするものの起きあがる様子もない。
一方、エリアスの額にもポツポツと血が滲みでた。さすがに最後の一撃を避けきることは出来ずに二寸ほど薄く斬られていたのである。
直後、崩れ落ちるようにエリアスが片膝をついた。
張り詰めていたものが破れるように少年の息遣いが荒くなり、無意識に手を離れた打刀が地面に転がった。
「お兄ちゃん!!」
泣きそうな声を張り上げて抱きしめるクリスタの体温が、エリアスにはいつになく心地よく感じられた。
【脚注のようなもの】
矮躯……小さな体のこと。短身、短躯。
【次回予告】
どうにか追跡者を打ち倒したエリアス
兄妹は生きて帰ることができるのか
次回、エインヘリャル物語『伝説の始まり』
時代おくれの少年剣客が異世界を駆ける!
どうぞよろしく