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エインヘリャル物語 〜橘啓吾 列伝〜  作者: 真面目 雲水
第一章 転生した剣客
18/61

対峙 前編

今日一つ目、本日は二つ投稿します



 ひとしきり泣いてすっきりとしたクリスタがその顔を真っ赤にして兄の胸元から離れたころには、エリアスの体も幾分か活力を取り戻していた。


 あれほどに疲れ切っていた身体は多少なりほぐれていて、丸一日は休まないとどうにもならないのではないかという程だったのが嘘のようである。

(いよいよ不思議なところ……)

 とは思うのだが、なぜかエリアスは忌避感を抱けなかった。

 いっそ離れがたい居心地の良さすら感じていたのである。


 とはいえ、そうも言ってはいられない。

 オルクに退路を断たれた以上、彼らは前に進むしかない。

 今いる場所は心持ち広い部屋のようであったが扉のそばに掲げられた松明から遠いところは暗く見通すことができない。


「よっし」

「……行くの?」

「うん」

「ん、分かった」


 勢いをつけて立ち上がったエリアスにクリスタが声をかけた。

 頷く兄に思うところがあったのか、クリスタもすぐに立って傍に寄り添う。


「休んでてもいいんだよ?」

「ううん、大丈夫」


 そう言ってにへらとして浮かべる笑顔に先ほどまでの強張りはないように見える。

 思わずその頭を撫でるエリアスを、クリスタはどこか嬉しそうに見上げた。パタパタと揺れる尻尾がその心境を如実に表している。


「よし、行くか!」


 気合を入れて一番近い松明を取ろうとしたエリアスが、硬直した。

 訝しんだクリスタが声をかけようとした直後、目の前の松明が揺らぐ。


 異変は唐突であった。

 エリアスが手を伸ばそうとしていた松明が音を立てて燃え盛ったかと思うと、四方に向けて火焔を吐き出したのである。

 無秩序に飛んだかのように見えたそれらは、まるで何かに引き寄せられたかのように各々まっすぐに暗闇の中へ消えたかと見えた、その途端に部屋中が明るく照らし出されたのである。


「わぁあ!」

「これは……」


 一瞬、眩しさに視界を奪われた二人は目を開くとともに感嘆の声を漏らした。

 部屋中に吊るされたランタンのようなものに煌煌と照らされた室内は石造りながらも整然と設えられておりなんともおごそかな雰囲気を生み出している。

 どういうわけで照明が点火されたのか。些細な疑問はしかしすぐにエリアスの頭から吹き飛んだ。


 部屋の中ほど、祭壇のようにして一段高くなった台座の上に少年の視線は引き寄せられたのである。


 折りたたまれた濃緑色のローブのようなものとそれを抑えるかのように乗せられた不思議な形の漆黒の長剣、そして鞘もろともに台座に突き立てられた短剣。

 その短剣を見た瞬間、エリアスは自然と目が離せなくなっていた。


(剣が、呼んでいる……?)


 そうとしか、エリアスには説明できなかった。

 とかくどうしようもない力に惹きつけられたかのようにエリアスの体は動いたのだ。

 その常ならぬ兄の様子に、クリスタすらも言葉を失って追随するのがやっとであった。


 思いの外、簡単にその短剣は抜けた。

 エリアスの手が触れるとともに剣は吸い付くように台座から離れたのである。


 エリアスはまじまじとその不思議な剣を眺めた。

 長さは一尺八寸ほどであろうか。柄には黒革が巻かれ、金属の鞘は燻し銀のような発色をしている。見る限り総て金属でできているようであるが、それにしては妙に軽いように思える。

 特別、目新しい拵えではない。


「……お兄ちゃん?」


 クリスタのその声はどこか遠く聞こえた。

 少なくともエリアスにはそう思えたし、それが聞こえたと時にはすでに右手が短剣の柄にかかっていた。


 抜剣の音は涼やかだった。


 研ぎ澄まされた剣身は一片の曇りもない鏡のようで、柔らかい照明の光を受けてなお幻想的に青白く輝いて辺りを照らした。

 背後で妹が息を飲む音をエリアスは遠くに聞いた。


 豁然かつぜんとして、まるで気づかぬうちに取り巻いていた霧が四散したかのように、エリアスの脳裏に一人分の人生の景色がいっそ激痛のような衝撃をもって浮かび上がったのである。

 

 ほんの僅かな間、エリアスは意識を失った。それでもなお片膝を突くだけで堪えられたのは日頃の鍛錬の賜物か、それともただの偶然か。

 転げ落ちた短剣が石畳に当たって硬質な音を響かせた。


 虚空をさまようエリアスの目は充血し、痙攣しているようにも見えた。

 やがて一つ所に収まった焦点に映ったのは目の前の剣身に刻まれたルーン文字。読めないはずのそれを、しかしエリアスは理解できた。

“クレド”

 それは約束や信頼を意味するこの世界・・・・の古い言葉。


(俺は……)


 どうしようもなく少年は理解した。

 自らのルーツ。蘇る前世の記憶。感情の坩堝るつぼ

 一つの魂に内包されていた二つの人格が、急速な勢いで溶けていく。


 今、橘啓吾がエリアスの中で目覚めたのである。


 二人の自分が一つの魂に収斂しゅうれんするという混乱の極致にあって、エリアスが昏倒も錯乱もせずに済んだのは“啓吾”としての人生経験のおかげか、それとも驚嘆すべき精神力が発揮されたのか。


「おにい、ちゃん……?」


 言いしれようもない恐れを含んだ妹の声にエリアスはハッとして振り向いた。

 すがるようなクリスタの目に射抜かれて、暫時、少年は茫然とした。


「お兄ちゃん?」

「……あ」


 気づけば、エリアスの手は黄金色の頭を撫でていた。

 一変して所在無げに見上げる妹の顔がなんともいえない可愛らしさなのである。

 自然、エリアスの顔に苦笑が浮かんだ。

 込み上げてきた混沌に蓋をして少年は微笑む。


「……うー」

「すまんすまん。もう大丈夫だ」


 不思議そうな表情を見せるクリスタに頷きを返してエリアスは震える手で再び短剣クレドを拾い上げた。

 先ほど部屋を照らした青白い輝きはすでにない。

 不思議な質感とルーン文字の装飾を除けば、見る限りこの世界では平凡な拵えである。長さや重さもエリアスたちが使うのに丁度いい具合である。


「クリスタ」

「どうしたの?」

「これ」


 言いながらエリアスが押し付けたのは抜き身のクレドである。


「うえっ!?」

「とりあえず持っておけ。武器はあったほうがいい」


 わたわたとする妹にもお構いなしに腰のベルトに対の鞘を取り付けると満足そうにエリアスは頷いた。

 悪くない具合である。


「で、でもお兄ちゃんは?」

「俺はこっちを使う」


 そう言ってエリアスが両手で持ったのは台座に置かれていた日本刀・・・であった。

 長さは三尺ほどであろうか。番指風の拵えで目貫は雲龍、縁には橘の家紋。普通より長い下げ緒と大太刀のような長さに目を瞑れば、それは見紛うことなき打刀うちがたなである。

 そのずっしりとした重みは鍛えているエリアスであっても長時間使うのは少しばかり難しいように思えた。


「こいつは……、まあ説明は後でするが俺じゃないと使えないと思う」

「そう、なの?」

「ああ」


 エリアスは一つ頷くと、その長さに少しばかり手間取りながらも刀身を抜き放った。

 冷涼な音色と共に姿を見せたのは実に美しい刀身である。小板目の鍛え肌に上品な直刃調の刃文、まず名刀と言って過言ない出来である。

 思わず「ほうっ」と感嘆の吐息を漏らしたクリスタとは対照的に、エリアスはなんとも珍妙な表情で硬直した。


(まさか……)


 その刃の景色がどうにも見覚えがあるのである。

 啓吾としての記憶とこのエリアスの感覚が正しいならば、この世界に、それ以上にこんな姿であるはずのない刀である。


 それと同時にあの“代行者”ならば、と思いながらエリアスの視線が台座の上へ移動した。丁寧に畳んで置かれた馴染み深い上着が、そこにある。

 どうにかこうにか無理にでも押し込めていた激情が、またぞろ燻る。

 気付かずエリアスは強張った瞬きと共に一つ二つ全身を震わせていた。


「すっごく綺麗な剣だね!」

「あ、ああ。これは……」


 どこか楽しそうな顔を見せる妹に苦笑を浮かべながら答えようとして、しかしエリアスはできなかった。

 直後に再び衝撃と轟音が室内を震わせた。

【脚注のようなもの】

収斂……縮む、引き締まる。一つにまとまる。複数の要素が同質化する。

番指……ばんざし。江戸時代の武士が公式の際にさした拵え。裃指、殿中指とも。柄は鮫皮、目貫は金無垢などの豪華なもの、頭は水牛の角で柄は掛巻である。黒呂色(艶のある漆の黒色)の鞘が特徴的。

目貫……柄から刀身が抜けないようにとめる目釘が発展した飾り。表と裏の二個一組。

下げ緒……鞘に巻きつけられた組紐。帯刀時、帯などに巻きつけて固定する。

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