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エインヘリャル物語 〜橘啓吾 列伝〜  作者: 真面目 雲水
第一章 転生した剣客
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サンテリという少年 後編

本日二つ目の投稿、今日はこれで最後です


 森の中を、サンテリが走っている。

 その体に宿る黒豹の如く、しなやかに駆け、軽やかに跳ね、そのさまはエリアスやクリスタに勝るとも劣らないものであった。

 だが、サンテリの顔色は決して良いものではない。


 いつも魔獣や猛獣の類を寄せ付けないはずの道にボツボツとではあるが嫌な気配がするのである。

 里からハミル湖へつながるこの道は、常ならば未熟なサンテリでも精霊に守られているのをありありと感じられるのだが、今はその精霊たちがほとんどいないようであった。

 何がしかの理由で精霊が去ったのか、それとも別のことに手一杯で余力がなくなったのか。いずれにせよ少年の胸中は穏やかではいられない。


 もしもエリアスたちに誘われて日頃からハミル湖に行くようになっていなければ、ここまで走り続ける体力も魔獣たちを避けて進めるだけの鋭敏さや俊敏さも彼には足りなかっただろう。


(急がないと……!)


 柔和なサンテリの顔立ちが、いつにもまして鋭く引き締まる。

 引きしぼられた弓弦のように研ぎ澄まされた感覚は深く、深く精霊と感応しあう。


 地を這うようにひた走り、倒木があれば飛び越え、樹木の壁を蹴って駆けていく姿は尋常のものではない。


 四半刻も掛からなかっただろうか、身体中から吹き出た汗がサンテリを苛み始めた頃になってようやく森の切れ目が見え始めた。

 サンテリには木々の隙間からハミル湖の水面が見えた気がしたのである。


「やっと……っ!?」


 思わず溢れた吐息を、サンテリは吸い込まざるをえなかった。

 森から飛び出した少年の目に飛び込んできたのは美しいハミル湖を彩る勿忘草の原、そして黒々とした幾つかの塊と共に吹きすさぶ腥風せいふうであった。


 精霊が起こす旋風つむじかぜ嘲弄ちょうろうされながらも、見えない何かを執拗に攻撃しているのは紛れもなく数人のオルクである。

 冥王の尖兵と呼ばれる連中を、サンテリよくよく知っている。


 あまりのことにサンテリはものも言えずに硬直した。

 ここに着く直前まで、彼はオルクの気配を感じ取ることができなかったのである。

 精霊が裏切るようなことはありえない。

 ならば並みの精霊など捩じ伏せるだけの力をオルクが持っていることになる。


「……ッ!」


 少年の体は震えている。

 さすがにこれはサンテリ一人にどうこうできるものではない。

 今すぐに踵を返して里へ戻らねば、助けを呼ばねば、分かっていても立ちすくんで動けなかったのである。


 それは致命的な隙であった。


 暴れまわるオルクどもの群れの中から一人、闖入者ちんにゅうしゃに気づき振り向いたのである。

 極度の緊張状態にあるサンテリには、むしろその動きは緩慢なものに見えた。

 ろう色の塊に宿る赤銅色の眼光が、ゆっくりと弧を描きながらサンテリを捉えるのだ。


 根源的な恐怖と寒気にせり上がるものを、サンテリはなんとか飲み込んだ。

 もはや朧げになった幼い頃の記憶の中でも凄烈に残るトラウマそのものに対面してなお、前後不覚になろうとする自身を屈強にも押さえ込んだのはさすがにアルトゥーリの息子であった。


「イー、ウルジャ、ベルラーガル!」

 

 身の毛のよだつ叫び声と共にオルクはサンテリに向けて駆け出した。

 弾けるようにして突貫してくるその姿が少年の目にはちょっとした小山が自分に向かって突っ込んでくるように映った。


『逃げて!』

『跳んで!』


 反射的にサンテリは横っ跳びに体を倒していた。

 直後、オルクが振り下ろした大剣が少年のすぐそばをかすめるようにして地面に突き立つ。


 精霊の叫びが間に合ったのはサンテリ自身の修練の賜物としか言いようがない。

 頭で考えるのではなく、精霊の赴くままに体を制御するのは並大抵のことではない。

 呆然とサンテリはオルクを見上げた。


「ダルダーミアァァアアア」


 獲物を逃したオルクの顔が歪み、涎を撒き散らしながらサンテリを見据えるとそう呟いた。


 ここにきて、とうとうサンテリは恐慌した。

 ほとんど転がるようにしてその場を離れると、全速力でもって反対方向へ走り出したのである。

 その眼前にはハミル湖が広がるのみなのだが、すでにそれを意識するいとますらなかった。


 ゆえに、嫌らしい笑みを浮かべたオルクが余裕を持って振り下ろした大剣をサンテリが避けられたのはほとんど偶然に過ぎなかった。

 少なくとも、サンテリは後にそう述懐している。


 足元が疎かになったサンテリがつまずいて転け、そのおかげでオルクの剣先は見当違いのところに向かったのである。

 そうして振り下ろされたオルクの渾身の一撃は轟音とともに地面を揺らし、宙に浮いていたサンテリの体をさらに追いやった。


 サンテリはもはや叫ぶこともできなかった。

 吹き飛ばされた少年の体は宙を舞い、ハミル湖の水面へと叩きつけられたのである。


 轟音、衝撃、浮遊感、そして再びの衝撃。

 あまりの驚愕に空白を味わったサンテリの胸中に精霊が語りかける。

 冷たく、涼しく、気持ちよいその声が混乱をほぐして正気を呼び起こすのをサンテリは感じたのである。


『あぁ、間に合って良かった』


 その声は、これまで彼が聞いたどの精霊よりもはっきりと響いた。



【脚注のようなもの】

蝋色……呂色とも。濡れた黒漆のような美しい黒色。


【次回予告】

洞穴へと駆け込んだエリアスとクリスタ

背後から迫る影から逃げ切れるのか


次回、『逃走』


時代おくれの少年剣客が異世界を駆ける!

どうぞよろしく

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