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エインヘリャル物語 〜橘啓吾 列伝〜  作者: 真面目 雲水
第一章 転生した剣客
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親子 前編

本日一つ目、今日はもう一つ投稿します

今日の見所は”おっさん”


 ぶるりと、サンテリは唐突に全身が総毛立つのを感じた。

 五感も空ろになるほどの衝撃を受けて、長い趺坐ふざに痺れた両足だけが少年の意識を強烈に刺激する。


 いま、サンテリが腰を下ろしているのは代々の里長が引き継いできた館の一室である。

 この館はオーストレームの北寄り、北庄きたのしょうと呼ばれる一帯の中でも里の戦士たちが修練する稽古場や倉庫と物見を兼ねるやぐらのほど近くに鎮座しており、修繕と改築を重ねた建物は漆喰や木材の色合いも疎らで統一感にかけるのだが、なかなかどうして味わいがある。

 幼少の頃に両親を亡くして天涯孤独の身となったサンテリにとって、この場所が“家”であった。


「……ふむ」


 サンテリの対面で同様に趺坐して瞑目する男が、鼻息を漏らした。

 白いものが多く混じりながらもなお金色こんじきを残す撫で付けた頭髪と、耳元から顎、そして口元を覆うひげ・・、そして獅子の耳と尻尾。

 それらが緑青ろくしょう色の着物になんとも似合っていて、落ち着いた雰囲気をもたらしている。

 立ち上がれば六尺五寸にはなろうかというその立派な体躯にはみっしりと筋肉が付いており、その立ち居振る舞いを見るもの・・が見ればこの男が一廉ひとかどの武人であるのは明白であった。


 この男、名をアルトゥーリといいオーストレームのアニム族を束ねる里長である。

 オーストレームに生まれ育ってすでに百を超えており、百五十年近くを生きるアニム族においてもすでに老境に入ろうとしているのだが、未だ槍をとっては右に出るものがいないとまで言われる達人でもある。


「乱れておるな」


 ゆっくりと開いたやなぎ色の双眸がサンテリの顔を慈愛のこもった眼差しで見つめた。

 揺らぎのないその瞳は、サンテリの感情を見透かさんばかりに光っている。


「お、悪寒が……」

「フゥム」


 厳格な養父の視線に晒されてなお、少年の心に根付いた焦燥感は消えようとしない。

 ピンとして立ち上がった耳と尻尾も戻そうと思って戻せる様子もない。

 しかし、アルトゥーリはその様子に動じることなく静かに息子に語りかける。


「何を感じるかね」

「……悪いものを」

「ほお」

「暗く、澱んだものを」

「そうか」


 ゆっくりと言葉と意味を考えながらうらを吐き出していくと共に、サンテリはぼんやりとした自分の予感めいたものが纏まってくるのを感じていた。


「父上、エリアスとクリスタが心配です」


 勢い込んで突然にそう呟いたサンテリに、アルトゥーリはゆっくりと頷いてみせた。


「お前の精霊との交信フィーリングは着実に身についている。自分を信じなさい」

「僕は、どうしたら」

「ふぅむ」


 アルトゥーリの目が再び閉じ、しばらくしてまた開く。


「わしは何も感じない」

「それは……」

「つまりはサンテリが自分で何とかせねばならぬ、ということであろう。ゆえに、自分に語りかける精霊の赴くままにするが良いと思うが、いかが」

「っはい」

「喝ッ」


 慌てて立ち上がろうとしたサンテリが、養父の喝によろけてけた。

 目を白黒させる息子に微笑みを見せたアルトゥーリは「楽にして待ちなさい」と言い残すと自身が立って隣室へと姿を消した。


 どうしようもない焦りに急かされながら、それでもサンテリは足を崩して板間に腰を下ろした。

 苛立ちにも似た切迫感はしかし養父への絶対的な信頼に勝るものでは無かったのである。

 サンテリはゆっくりと深呼吸をする。

 平静を常にと言う教えに従って少年は落ち着こうとしているのだが、垂れ下がった落ち着きなく左右に揺れている尻尾がその胸中を如実に表していた。


 アルトゥーリはさほど待たせることもなく戻って来た。

 その手には二こうの湯のみがあって、とろりとした野草茶が澄んだ色をたたえている。


「これを飲んでから行くといい」

「……はい」


 微笑みを浮かべ渡された湯のみを両手で押し頂くように受け取ったサンテリは怪訝な表情を隠せなかった。

 とはいえ、座り直した養父が平然として茶を啜るのを見ては何も言えずにゆっくりと湯のみを傾けるしかない。


 馥郁ふくいくとした香りが少年の鼻腔をくすぐり、口腔を満たす。

 立ち上がっていた耳と尻尾が自然と垂れた。


 猫舌でも飲める程度にはぬるいのだが、勢い込んで飲めたものではない程度には熱い。

 独特の甘みと抜けるような酸味、そして残る爽快感。

 どうしようもない温もりが体を駆け巡り、気づけば己が身体も落ち着き始めているのをサンテリは自覚していた。


「乱れは、過ちを招く。平静を常とし、泰然を志しなさい」


 幾分急ぎつつも、先ほどよりもずっと落ち着いた心持ちで湯のみを飲み干したサンテリに見計らったかのようにアルトゥーリが声を掛けた。

 その瞳には疑いようもない息子への情が映っている。


「ありがとうございます」

「いっておいで」


 しっかりとした足取りで立ち上がり館を出て行くサンテリの顔つきはいつもよりもずっと引き締まっており、どこか決然としている。

 見知ったものが見れば驚くほどに“頼りなさ”とは無縁の表情であった。


(あぁ、わしは良き息子を確かに得たのだ)


 歩み去る息子をっと見守りながら、アルトゥーリは胸中でそっと呟いた。

 十にも満たない子供が、これほどはっきりとした精霊の導きを得るのは実は珍しいことである。

 そして精霊はサンテリが一人で解決すべきだと示唆している。


 心配でないといえば嘘になるが、それでもアルトゥーリは息子が頼もしかった。精霊がサンテリを認めていること、そしてサンテリが今まさに転機を迎えつつあることが。


(……いや。それとも、なにかが始まろうとしているのか)


 時折、漠然とした胎動のようなものを彼自身感じることもある。

 いずれにせよ、彼は師として弟子の成長を信じるのみと思い定めていた。


 未だ槍術こそ教えていないものの、養父の指導の下、サンテリはすでに整息も趺坐による瞑想も十分に身につけている。

 精霊との感応に至っては、アルトゥーリをしても「この齢でよくもまあ……」と思わせることさえある。


 彼らが学んでいるのはワイネン流槍術という。

 この里に脈々と受け継がれる極めて特殊な武術であり、その当代継承者こそがアルトゥーリということになる。


 ワイネン流は魔獣を打ち倒す実践本位の武術である。

 でありながら、“精霊”との交わりも重要視している。

 武術でありながらも精霊魔法に通じる修養を実践しつつ、先達や放浪者によって磨かれた高い精神性によって自らを律することを旨としているのだ。


 ワイネン流において精霊は共生すべき隣人である。

 深く交信フィーリングすることで彼らを通じて死角や知覚外を認識し、時には身に迫る危険を予知・回避することをも為しえる。

 その力をもってこそ、尋常ならざる槍遣いを可能としているのだ。


 例えば、アルトゥーリが面倒を見ている弟子たちの中で突出した才覚の持ち主にカレルヴォという青年がいる。

 ワイネン流の思想を体現する精神の持ち主で、槍をとってはアルトゥーリですら「あっ」と言わせるような才能がある。


 無論、周囲の者も彼に期待を抱いている。

 ところがアルトゥーリには、

「どうにもあれは流派の継承などというものにはとんと興味がない……」

 ように思えて仕方ない。


 その点、槍働きこそ未知数ながら素直なよい心を持ち、精霊魔法に抜きん出た資質を見せるサンテリは将来が面白い弟子でもある。

 魔法師としての修練のため日を開けずに通ってくるリベラスのヘンリクにも劣らない感受性は、師として、

「こやつならあるいは……」

 と思わないでもない。


(……思えば早いものか)


 一人になった室内で、アルトゥーリは静かに湯のみを傾ける

 その瞼には息子となる運命を背負ってサンテリがやってきた時のこと甦っていた。


【脚注のようなもの】

趺坐……座禅の正しい座り方。足が短い筆者は(お察し)

櫓……防御や物見のために建てられる建築物。武器を保管する倉庫の役割も果たす。

緑青色……銅に生じる錆のような、明るく鈍い青緑色。孔雀石マカライトから作られる顔料。

柳色……やや白みがかった黄緑色。青柳とも。萌黄と白の糸から織って生み出される織色。ふつくしい。

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