テルの主君
年度始末の休暇を与えられると、大抵の学生は生家へと散らばって行き、何人かは各々の理由で寮に留まるか、あるいは友人宅へ身を寄せる。そうして散り散りになった学生達も、休暇が終わりに近付くと一斉に寮へと戻り出す。
二年目を修了し、もうすぐ三年目の学校が始まる。
テルが帰省から帰り名簿を確認すると、オデットは既に寮へと戻り、校内で訓練を行っていた。まだ他の生徒が揃わない内に用事を済ましてしまうことにした。オデットを呼んで引き連れたテルは、離れの厩へと足を向ける。学校の方にはすでに話を通してあったので、書類より先に『品物』の引き渡しをしても許される筈だ。
渡り廊下の途中から外へ出て湖の脇を抜けると、林に囲まれた厩が建っている。かなりの頭数を抱えているため、校舎一棟ほどの広さはあるだろう。厩番に挨拶をしてから、テルはオデットを連れてまっすぐ目的の場所を目指す。
珍しく他クラスの生徒に呼ばれたオデットは、不思議そうな態度を崩さない。
「ねえ、何? 果たし合いか何か?」
その発想がどこから来るのかテルには良く分からないのだが、とりあえず違うと断った。普通この年頃の女子だったら、告白か何かと期待する所ではないだろうか――と少し思ったが、そんな柄でもないかと思い直す。
厩の陰になって見えなかったが、外に繋いでおいた若い馬を引いて、オデットへと見えるように移動する。つい先ほどテルの馬に繋いで連れてきたばかりだ。頻繁に厩に出入りがあるオデットにも見慣れない馬だろう。
馬に繋いだ時は従順に歩いてくれたが、テルが引くと少し嫌そうに突っ張って歩く。かなり我が強く、移動を諦めてオデットの方を手招きして呼んだ。
「あなたは馬を持っていないとの話でしたよね。差し支えなければ、受け取って貰えますか」
鞍を乗せる等の馴致は済んでいるが、まだ人を乗せるのにも慣れていないような若い馬だ。多少手は掛かるものの、騎乗の訓練を手ずから施せば、この先どのようにも慣らせる筈だ。幸いにして、オデットは馬に好かれやすい。
「……受け取るって……馬?」
「はい、この馬を」
他に何があるのだと聞きたかったが、オデットが聞き返したくなる気持ちも分かる。高値で取引される軍馬をぽんと寄越されることはまずない。喜ぶより先に困惑するだろう。
突然の申し出にくろがねのような瞳をかっ開いた彼女は、その後身構えて歯を剥いた。
「施しとかは要らないっつってんでしょうが……!」
「違います」
「何が! 私が下町育ちだから馬も持てないみたく憐れんで――」
「あまり慣れていない馬です、蹴られたくなかったら静かに話を聞いて下さい」
早口に言うとさすがに口を噤んだが、疑惑は晴れていないらしく胡乱げな眼差しは緩まない。騒音でいちいち驚くような育て方はされていないだろうが、口を噤むには十分だったようだ。テルは微笑んでオデットへ手綱を差し出す。
「安心して下さい。二年期末の試合であなたの勇姿を見た人が、あなたに一頭贈りたいと」
昨年度末に行われた円卓試合で鮮やかな手腕を振るい、全勝で勝ち抜いたハートの王である少女に、訪れた観客や貴賓の招待客は湧いた。彼女のファンになって来年も来る人も、多くいるだろう。すでにいるのも確かだ。
その内に貴族や豪商や軍の高官などの富裕階層がいて、将来有望な学生を支援しても、決しておかしい話ではない。今までにもない話ではなかったし、きちんと学校に話を介せば受け取っても良い決まりだ。
しかし、オデットはいっそう警戒を強めた。
「ロリコンヒヒジジイだろ」
「疑いますね……違いますよ」
否定すると、一応は信用したらしい。幾らか警戒を解いて、落ち着いて話をする態度を見せた。
「えーと……私みたいなのの家だと、馬一頭で一年暮らせるんだけど」
「輓系などの馬なら馴染みがありませんか」
「ある。じゃなくて、軽種……つか、この子バリバリの軍馬じゃねーの。バカ高いやつ」
農耕用や荷車用などに飼われている輓系の馬なら、特別な家柄でなくとも馴染みがあるだろう。しかし、軍用の馬ならオデットの言う通り安くても一年は暮らせる値が付けられる。学校にいるのは軍の方から引退した馬を預かっているだけだし、もしかしたらオデットは手が届かないからと、自分の馬の所有を視野に入れていなかったかも知れない。
この馬に限って言えば、一年どころか二年か、下手をしたら五年近く食い繋げる――とは言わなかった。受け取って貰えなくなりそうだ。
「学生の将来に投資するのは、珍しくない話です。富裕階層の楽しみでもあります」
「受け取ったら私、何かしなきゃいけなくない?」
「という心配をすると思って、贈り主の方は匿名です。あなたの今後に影響が出ないよう、この先名乗ることもないと」
「うまい話には裏が」
「学校を通して買い受けの契約書もあなたに渡る筈です。盗難の疑いを掛けられることもありませんし、貰って欲しいとの送り主の希望です」
「い……意味が、よく……」
「学校を仲介しておいて、後から間違いだったから返せと難癖を付けるような、無恥な真似が出来る立場の人ではありませんから。受け取って頂けなければ送り返すしかない馬です。 気難しいですが、大切に世話をして下さいとの伝言でした。問題があれば学校が手順を踏んでくれますし、贈り主の人となりは――間違いありません」
きちんと立場のある貴族だ。後から因縁を付けて取り戻そうということもあり得ないし、受け取ったから何か要求をするということもしないのは間違いない。テルの保証で彼女が安心するかは分からないが、この先おかしな問題は起こらないだろう。
なるべくデメリットがあれば伝えておきたいが、あいにくとそんなものもないので、やけに聞こえは良くなる。彼女にしてみれば疑わしいことこの上ないだろう。しかし、きちんと仕事として言いつかって来たため、受け取って貰えなければテルの方も困る。どうにか誤解を解こうと、珍しいほど饒舌になった。
しばらく考え込んだオデットは、ふと顔を上げて。
「――知り合い?」
そう首を傾げた。
上流階級の知り合いがいる素性とは何か、と怪訝に思っているのは間違いない。テルが自分の素性を名乗っていないからだ。他にそういう学生もいるため、今まで不審に思われることはなかったが、さすがに疑問に思ったらしい。
テルは軽く微笑んで、促すように手綱を差し出す腕を上げる。
テルの実家といえば、主の屋敷に相当するのだろう。そのため、長期休暇でテルが帰る先は必然的にそこになる。
休暇中は、そこで身内の従士達に混じって鍛錬をしたり、主の用事を言いつかったりと働いていた。十四歳になりぐんと背が伸びたためか、すっかり一人前として扱われる。酒を勧められたりと勝手が違って、始めだけ少し難儀した。
すっかり慣れて腰を落ち着けた頃になると、忙しない休暇はもう終わりに近かった。
そろそろ荷造りをして帰り支度か――と考えていると、外に出てきた主のユージンに休憩の共に誘われた。珍しいことではなく、従士団の許可を貰って鍛錬を抜けた。
屋敷内の一室で、菓子や茶を振る舞われながら向かい合って座る。
しかし、誘った当人であるユージンは先程からテルと目を合わせない。視線をうろつかせ、話題を探すようにして尋ねてくる。
「お前は普段の手合わせの割に円卓試合の順位が低いそうだが」
硬質で低く響く声が、選び選び掛けられる。テルはついとテーブルに下げていた目線を上げた。朱色の双眸にユージンの姿を捉え、少しの沈黙を置いて答える。
「……確かです」
溜め息のような返事に、彼の方こそ溜め息の一つも吐きたそうに続ける。
「教官から聞いた。なぜ円卓試合となると手を抜く?」
「手を抜いたことはありませんが、順位に特別な執着も持っていませんから」
進まない茶菓子の手を止めて、テルはぽつりと返した。給仕を下がらせた部屋は静かだ。互いにさして饒舌でないため、しばしば部屋は無音になった。
円卓試合の真剣を用いた勝負によりテルに付けられた順位は、スペードスートのクラス内で上から八位、スペードの6。だが、日頃の訓練の様子を見ていた教官からは疑問視されているらしい。後見人である彼にその疑問は向かったようだ。
テルの短的な返事に、ユージンはたいそう困ったような顔をしている。そんな表情をいたく不本意だと思いながら、テルは言葉を続けた。
「……進級に差し支えない課題は果たしております」
「そういう問題ではない」
「技量の向上にも手は抜いていません」
「だから違う」
「人並みの学生としてきちんと……」
「だから」
言葉尻を遮ったユージンは、幾らか苛立たしげに眉根を寄せている。
その顔を見て、テルはぶつりと何か切れたような錯覚を覚えた。
「分かっているだろう。 言いたいことはそうではなく……」
「――ッ分かりません!」
思わず声を荒げた。手にしていたカトラリーをテーブルに叩き付け、勢いに任せて椅子を立つ。
分からない。分かりたくもなかった。もうずっと抑え込んできた激情が、ここに来て彼と相対して、また爆発した。怒りたいのは彼よりも自分である筈だ。
はしたなく物に当たるような真似をしたテルに、彼はますます困ったような声で「掛けなさい」と促してくる。その落ち着きにますます苛立ちながら、テルは歯噛みして渋々言い付けに従う。
「まだ不満があるか」
「……いいえ」
こらえたような返事は、ありありと不満を語る。
当然ながら気付いているユージンは、ずいぶん苦い顔をしてゆっくりと言い含めるように言う。
「お前はまだ若い。 今までできなかった分、年頃相応の生活をさせてやりたいだけだ」
「私がそうしたいと一度でも申し上げましたか」
生家の事情で出席できなくなり、テルは初等教育を途中で離脱した。それを気に掛けていたのか、彼は学費を出してテルを騎兵学校へと入れた。テルが望んでいないにも関わらず、だが。
跳ね返すように食ってかかったテルへ、ユージンの茶色の瞳が窘めるように注がれる。
「その若さで戦場にやるのは忍びない」
「私はあなたの従士ですよ」
「私の、ではない。フェリス家の、だ」
「同じこと。あなたがフェリス家の総意です」
ユージンの従士である限り、首領が旗を揚げれば間違いなく戦場へ赴くことだろう。分かっていることだ。それを覚悟で彼に剣を捧げたのだ。なのに、今さらユージンは学校という理由を付けてテルから従士の役目を外す。
見据えられても怯まなかった。きつく眦を吊り上げて返す。
「あなたの下命であらば、戦場で命を賭すことこそ本望。そのための命です」
「お前が、ではない。私が若いお前を戦場にやるのが忍びないんだ」
「……しかしそれは、私を学校に置く理由にはなりません」
「首領が命じればどうあっても戦場に出なければならない。城から離すしかないだろう」
「それでも、嫌です!」
「それだけではない」
じわりとテルの双眸に滲んだ涙を見て、彼は溜め息混じりに続けた。
「お前は感情の起伏が大き過ぎる。学校で同じ年頃の人間に混じって、少しは落ち着きを持ちなさい」
どうにも感情のコントロールが下手なのを、ユージンにいつも指摘される。振り幅が極端らしい。無機質なほど冷静か、とつぜん感情を爆発させて怒り散らすか。理由があることを、ユージンは理解していない。
「ッあなたの、せいでしょうが! バカにしないで下さい!」
「……してないから、泣くな」
ぼろぼろと大粒の涙を零しながら喚くテルに、ユージンがますます困ったような顔をした。手の掛かる子供を相手にしているような態度に、ますますテルは激昂する。
「俺だってあんたがこんなことしなきゃ、こんな……ッ、泣いたり、しな……」
何度異議を申し立てたか分からない。しかし、そのたび彼は冷静に理由を突き付ける。テルの感情を汲もうともしない。
その態度が自分の癇に障っているのだと、少しも理解しないのだから腹が立つ。
「そんなに怒ることか……」
「そんなだから後妻がこないんですよ無神経!! ざまあみろバカ! 来ても意地悪して追い返しますけど……ッ!」
というか、来たら来たでやはりショックには違いない。ぐずぐずと泣きながら、うっかり想像したテルはつい語勢を弱める。
「あなたの傍にいられないなら、俺が存在する意味なんかない……」
命を捧げると誓った。彼もそれを了解した筈だ。その癖この仕打ちは理不尽だった。
ユージンの意図がどうであれ、テルにとって意味があるのはそれだけだ。何度も言ったのに、ユージンはテルを学校に入れて遠ざけた。――耐え難い苦痛だ。
「どうしてですか、俺はあなたのためにならないことなんか一つもしたくない。なのに」
「……それは私のためではないだろう。自分がしたいことだ」
図星を突かれて、息を呑んだ。――我が儘だと窘めるような言葉に、うまく返せなかった。
ユージンのためと偽って、結局は自分が彼の傍にいたいだけだろうと、冷たく突き放されるのは、思ったより堪えた。事実を指摘されただけに、反論する言葉が淀む。
「……でも、俺は……あなたに命を捧げた身です」
「そう、私が何を命じても聞く。そして学校へ行けと命令した。違うか」
「時に命に背いてでも、あなたを守る盾です」
「……盾は要らない。私に必要なのは、目的を同じくする同志だ」
切り捨てるような冷たい言葉に、ますます涙が溢れる。
重ねた年が違う。役割も違う。言葉で彼に勝てる筈がないのは分かっていたが、こうも突っぱねられては感情のやり場がない。
「ッ……なんでそんな意地悪言うんですか!!」
とうとう子供の癇癪になった。恥ずかしいことに、既に無策だ。反論の言葉もこれ以上浮かばず、結局は純粋に苛立ちをぶつけるだけになる。
ユージンにも渋い顔をされた。ますます腹立たしく、また自分がみっともなくなる。
「子供だからってバカにして煙に巻くのは止めて下さい……俺、あんな所に入れられて、何して良いか分からない……っ」
「あんな所って」
「俺は従士です、兵士に満たない騎兵の学生じゃない」
まだ兵士未満の、これから軍や騎士団に選ばれるかもしれない雛のための温室だ。けれどテルは既に一人前と扱われる兵士で、主を持つ従士だった。あの学校にテルがいて良いとはどうしても思えない。
「あなたが子供扱いするから子供みたいになるんです。一人の従士として扱って下さい、そうしたら、ちゃんと……俺、じゃない私、ちゃんと一人前に振る舞える、ます、から……ッ」
「だから……ああもう、泣くな」
「うっさいですよ!! あなたが対応を改めない限り泣きまくってやりますよ! せいぜい後悔しろバカッ!! 頑固は嫌いだ!」
「お前は本当に手が掛かる……」
げんなりと呟いて、それきり言葉を失ったようだ。
手が掛かるって何だ、あんたの子供じゃないしやっぱり子供扱いしてるし、ふざけるなよ――という愚痴は、しゃくりあげて出て来ない。頭に来すぎて涙が出てくる。堅物朴念仁がと心の中で繰り返し吐き捨ててやりながら、乱暴に涙を拭った。
ぐずぐず洟を啜ってそっぽを向いていると、気を取り直したユージンがまた口を開いた。
「お前はそう言うが、ならば何故勝たない? 兵士ですらない学生に、従士のお前が負けてどうする」
テルは涙を拭い、剣呑な双眸でユージンを睨んだ。円卓試合の順位であんたが何か困るのかよ、と思わないでもなかったが、彼が疑問に思うのもまた仕方がなかった。
「やる気がないのか」
「……違いますよ」
テルは早口で低く返した。確かにやる気は出ないが、ユージンの言葉に含められた『自分が嫌々試合に参加して手抜きしている』というイメージは業腹だ。
理由がある。つまらないと彼は切り捨てるだろう理由が。
「……私はおそらく、現在首位に立つ王四人には一歩及ばないと思います」
悔しくないと言えば嘘になるが、冷静に客観的事実を述べるなら、間違いない。同学年のキング四人は、稀にみる才気豊かな逸材だ。誰も個性的で、学生の中でも抜きん出ている。陸軍の騎兵隊に入れても、きっと足手まといにならない。
「そして、私が直接剣を交えるのはヨハン・ハドルストン一人です。しかし彼に決勝で負ければ、その――クイーンピットと呼ばれる因習が……」
「何だ、それは」
「私の主はあなた一人」
主席に一番近いクイーンの座についた生徒を、主席は目障りに思うようだ。主席は模範生徒として規律を守らせる義務があり、そのためにクラスの生徒を従わせられる権利がある。……それを悪用してクイーンを貶めるキングが多かったらしい。いつしかその因習に『クイーンピット』などという不名誉な名が付いた。
しかし、一番にキングにいびられ、命令を受けて虐げられる次席なんてまっぴらだ。だから、決勝で彼と当たる前に試合を早々に切り上げている。
「なんで私があなた以外の命令を聞かなきゃならないんです」
憮然とぼやいたテルに訝しげな顔をしながら、ユージンはひとまず言い聞かせた。
「……手抜きは許していない」
「手抜きとは言いません。円卓試合は真剣ですよ。私は――」
王四人に及ばない。ただしそれは模擬剣での話であって、円卓試合の真剣の場合はーー
「ヨハンとの差は僅差です。模擬剣での私の勝率は四割。……しかし、真剣を用いて本気でぶつかれば、誤ってどちらか命を落とす可能性が高い」
力の差でねじ伏せることが叶わない状況で、勝敗に拘って躍起になれば、斬り合いになるしかない。途中で審判が止めてくれれば上々、怪我で済めば幸い、悪ければ後遺症の残る大怪我か、あるいは。
――そして、死ぬとしたらたぶん自分より、自分の及ばない腕で対したヨハンの方だろう。
しかし"そんなこと"はある意味で付加的な理由でしかなく、主たる理由はもっと自分本位だ。
「私が命を懸ける場所は闘技場ではありません。――手抜きとは言わない。場所をわきまえているだけです」
命を落とすとしたら、戦場か、あるいは彼の命を守る代償であるべきだ。決して、不本意に入れられた雛を育てる温室ではない。
ユージンの方が根負けして視線を逸らす。
「分かったから」
「何を分かってるってんですか……あんたなんかどうせ、子供だと思って口先で誤魔化してはぐらかして丸め込んで、せ……誠意なんか、ない癖に……」
「恨み節はきちんと聞いたから……」
「何うんざりしてるんだよ! うんざりしたいのは俺だよ! 聞いたからなに!!」
「……さすがに通っている間までそんな調子ではないだろう。普段の生活に……何か支障や不便はないか」
あからさまに話を変えたそうなのが腹立たしいものの、とりあえず学生生活自体は普通だ。話すことぐらいはある。
ばつの悪さで不機嫌顔にはなりながらも、テルはぼそぼそと質問に答える。
「……特に。私の学年のキング達は総じて――干渉しない、というか。気は楽……です」
「キングというと、四人の?」
こくりと頷いて肯定する。オデット、ヨハン、ルース、エヴァの四人のことだ。円卓試合ではすでにファンも付いて、彼らを目当てに来る観客もいるらしい。
彼らは自分の腕を磨くのに熱心で、同輩を蹴り落として勝って満足するというたちではないらしい。それに、見据えているのは学内での優劣ではなく、その先の将来についてのようだった。
騎士とはどうあるべきか、という遠い疑問が常に彼らの目下にある。
「あなたも……御覧になりませんでしたか」
今年は観客席から見ていたはずだ。一人ぐらい覚えていないだろうかと尋ねると、思い出した様子で顔を上げる。
「赤い髪の」
「オデットですか」
「恐らく。見事だったな」
何の気なしに褒めたユージンに、面白くない気持ちになりながらもどうにか頷く。
「……ええ、確かに」
苛烈極まる精悍な振る舞い。しばしば野蛮との見方も受けるが、それだけではない。
「彼女は……確か、下町育ちで、剣に触れたのは、学校からだそうです」
「それ以前は?」
「プライマリースクールで、学業が優秀だった……らしくて。寄付金も払わず筆記試験だけで入学を果たした、本物の合格者です」
クラスが違い接点は少ないが、異質な彼女は目立つために、色々と噂は耳にしている。ああはなれない。
「凄い人だと思います」
「……そうか」
「それから、その……一度、ス……私の馬の世話をしてくれたことがあります。ずいぶん好きなようで」
厩に預けてあるテルの馬の世話に遅れた時、学校の馬で敷地を走ってくるのだというオデットが、先に世話をしてくれていた。
「馬術の腕に申し分ない筈ですが、自分の馬は持っていないと」
まあ別に、今の所はいなくても困らないし――とオデットがけろんと言っていたが、勿体ない気もする。ちょくちょく厩で会うので、自分で馬を所持して持て余すことはないだろう。
「……少々、惜しい気は致します」
少なくとも金に物を言わせて、身の丈に余る所有馬をひけらかす、富裕階層の七光り息子よりは当てがある。そう残念に思いながら零すと。
「珍しく学校の話題でも饒舌だな」
「……は」
意外そうな眼差しで見据えられ、ぐっと返事に詰まった。しかし、それだけでは済まなかった。
「馬か。そうだな、一頭贈ろう」
とうとつに、ユージンが予期しないようなことを言う。
「はっ?」
「後腐れないよう匿名でいいだろう。学校に話は通しておくから、帰る時に引いて帰りなさい」
「……そ」
「ジェドがその学生をずいぶん気に入ったらしくてな。このままでは無理やり引っ張ってきかねない。代わりに何か贈っておけば満足するだろ……テレンス?」
話が耳に入ってこなかった。
やっぱり可愛い女の子か。いや、オデットに関して言えば決して可愛いという気性ではないが、ストイックに見えてもやっぱりオッサンだ。ちょっと若いからと女の子に優しい。
しかも自分がこんなに背が伸びてどう欲目で見ても可愛いという見た目じゃなくなった途端にだ。
「ッ……や、っぱりそうだったんですね……!」
「はっ?」
「あなたは年端のいかない子供がお好きなんですね。……前々からまさかと思っていましたけど、こうむさ苦しくなった途端、コロッとお払い箱ですか! 可愛くて若い女の子に乗り換えるんですね!!」
「…………何の」
「そんなロリコンヒヒジジイみたいなことを……知りませんでした……!!」
理解に苦しむ、という顔をされたのが、ますます神経を逆撫でする。
収まっていた涙がまた溢れてくる。ぐすん、と啜り泣きながら、テルはおもむろに腰の帯剣へ手を掛けた。
「やむを得ません……心苦しくはありますが、あなたが権力に任せて間違いを犯す前に、私が引導を渡します。勘違いなさらないよう……愛ゆえです」
「おい」
「本当にごめんなさいユージン。捨てられた恨みを晴らしているだなどと悪く思われても仕方ありませんが……あなたのその、性癖を白日の下に晒され辱めや罰を受けるのが私は耐えられません。そうなるぐらいなら私は望んで汚名を着ましょう」
「いやだからジェドの……」
「道理で後妻が来ないはずです。ようやっと理解しました。いつ悪い虫が付くのかとはらはらしていましたが、付きよう筈がなかったんですね……小児性愛者なればこそ。余計な心配をしてすみませ……」
「だからお前はそういう所を直して来いと言っているんだ……!」
その後に一言二言ユージンと言葉を交わし、誤解であることを理解して、青ざめた顔色でさめざめ泣いた。
「自刃により償います」
「止めろ」
頼むから、と沈痛な面持ちのユージンに繰り返し請われ、思い止まったが。
「お前が学友に目を向けるのは、良いことだ」
「…………」
学校に入れたことを正当化するような発言にカチンと来たのと、確かにそうなのだけど別に意味はないし、学内に目を向けてなんで喜ばれるのか分からないしとの困惑で、ジレンマの中、テルは再びユージンを涙目で睨んだ。彼という人は少々テルの心情の機微に疎い。
その後、従士団首領のジェドの伝手から馬を買い受けた。軍の知り合いの中に、優秀な軍馬を多頭所有する軍人がいる。交配させて優秀な子馬を育てているらしく、その中の一頭だった。
本来は、騎士としてこれから主人に叙任される筈だった、若い青年がオーナーに決まっていたようだ。しかし、その青年は戦場で命を落としたという。青年から贈られる筈だった名前も、行き先も失った所でちょうどジェドが声を掛けた。
誰の言うことも聞きたがらないから素人には難しい、と雇われている調教士が言っていたのだが、ジェドがますますオデットにぴったりだと気に入っていた。確かにテルが引いても大人しくついて来ないのだから、気の強いことだ。馬の後ろに付けるとすんなり付いてくるのだが。
ユージンと共に公式試合を観戦したジェドは、たいそうオデットの腕を買っているようだった。城に戻った後もオデットがどうとうるさいから、気が済むように学校を介して何か贈るつもりでいたらしい。馬の買い受けを証明する契約書もオデットの名前にして、彼女の手に渡すようにと一足早く学校へ送られた。
――名前は勇敢なお嬢さんにでも付けて貰うと良い。
休み明けに、そう言うジェドもやはり、匿名で良いとテルを見送った。
そのように託されてきた馬だが、受け取って貰う以前に自分の方が警戒されていたのでは話にならない。
知り合いどころか主人と首領だったが、テルはやはり言わなかった。かといって富裕階層ではないかと誤解を受けるのもおこがましいし面倒が大きい。テルはどうにか微笑む。
「貴族の使用人の出自かも知れませんし、上流階級出入りの商人の子かも知れませんし、お見知り置き頂けた所領の一平民かも知れませんね」
知り合いだからと言って、自分も特別な出自とは限らない。何だって可能性としては考えられる。
冷静に躱すと、オデットは肩を竦めて、深くは追求してこなかった。彼女は彼女でがさつとのイメージとは裏腹に、触れられたくないと察すれば素直にそれに従う。
「まあ聞かないけど。いーの、あんたじゃなくて私で」
「ええ、私にはもういますし。……豪胆で穏やかで、浮気するのがもったいないお嬢様が」
「ああ、スノトラ? そうだ、あんな良い女がいるくせに浮気はいけない。……ま良く分かんないけど、なんか良いみたいだし受け取るわ。あんがと」
そう言ったオデットは、ようやく手綱を取って馬に近寄った。
受け取ってくれる気になったらしい。何にせよ彼女にしてみれば嬉しい贈り物には違いないだろうし、貴族の名誉という理由があって、後々こじれる問題もなければ、拒否する理由はないだろう。
じっと見詰めて、ぽつりと感嘆する。
「……しっかし綺麗だな」
見る目は確かなようで安心した。しっかりした筋肉の付き方や毛並みを矯めつ眇めつ眺めて、彼女はこくりと一つ頷く。きちんと見るところを見ている。
つややかな青毛の細馬。賢く、しなやかな脚は強く速く、極めて忠心深い優秀な血統の馬だった。戦場で人を蹴散らす胆力もある。気位が高くて気難しいのが難だが、今後の世話次第だ。
オデットの良いパートナーとなるようにと、贈り主達が見立てた馬だった。間違いはないだろう。
「騎乗の訓練をして下さい。この馬については私が話を聞いていますから、分からない事は私に」
「ねえ、お礼の手紙ぐらいは駄目なもの? さすがに不義理はできないんだけど」
「形に残るものは、贈り主との繋がりを証明する物証になります。万が一の時、あなたが不利になりますから、伝言だけなら私が受けますが……」
万が一返せと難癖を付けられた時、譲り受けた証明にうってつけの手紙があれば、オデットが不利になる。お互い接点は持たない方が良いとユージンが言っていたため手紙は渡せないが、オデットの気持ちを汲むなら伝言ぐらいは伝えられる。
だが、それで彼らが喜ぶかというと、そうではないだろう。
「あなたがこの先もっと腕を上げることを願って贈られたものですから、お礼になるのはそういうことだと思います」
「……ほお。なるほどね」
ジェドの性質を考えて、まずそれは間違いないと思う。オデットもずいぶん面白そうに唇を裂いてにやりと笑った。俗っぽい笑い方の割に嫌味はない。
「ずいぶん気っ風のいいお話だな。そういうのすげえ好き」
「ええと……なるべく勝手に乗られて連れて行かれないような騎乗訓練をした方が良いかとは思います。私的な意見ですが」
「まさかと思うけどクッソ高い馬?」
やばい、墓穴を掘った――とは思ったが、オデットはぱたぱた手を振って続ける。
「……や、値段訊くのも失礼な話だな、ごめん。まあ、軍馬だからそりゃ高えわ。今日連れてきたばっかりだし、訓練はこっちの馬房に慣れた頃から追々ってことで大丈夫?」
「……は、い」
「そしたら名前聞いていい? この子の名前」
首を傾いだオデットに問われ、思い出す。
「そうでした、名前を付けて下さい。まだ名前が……元々名付ける予定だった主人が、戦争で亡くなったらしくて」
きちんと説明する役割を担っていたはずなのだが、オデットのペースに巻かれて受け身になっている。反省しながらテルは答えた。
最近やけに近隣諸国との戦争が多い。そのうちの戦死者なのだろう。今はまだ戦況が優勢だが――何かと火種は抱えていて、それらがいつ炎上し出すか分からない状況だ。これから先にもまったく起こらないという話ではない。
オデットは違う意味に取ったようだが。
「なるほど。キナ臭いと思ったら、主人が次々早死にするいわく付きか」
失礼だろう、とは言わなかった。
というか、例えそうだったとしてもオデットなら死にそうにないな――とも、思ったが言わなかった。
「……気に入らない騎乗者を落馬させるいわくなら」
「それは良い馬だな」
「ええ、それはもう」
馬は人の気持ちを見抜く。どこか侮りを持って騎乗すれば、たちまち振り落とされるだろう。特にこの矜持の高い馬ならあり得る。
オデットは手綱の先の馬の、黒い瞳を覗き込む。不思議と意思疎通を図っているような様子に見えたし、馬の方もじっとオデットを見ていた。
鼻先に手を差し出され、馬が匂いを確かめた。ピンと尖った耳は、オデットに興味を示している。
オデットは馬の鼻先を撫でて笑った。
「ね、アリオン」
名前だと気付いたのは、少し遅れてからだ。
その場でぱっと思い付いて名付けるにしては趣味のいいことだ、と感心する。神話に出てくる馬の名前だが、優秀な血統相応に箔がつく立派な名前だった。贈り主達に教えておくと喜んでくれそうだ。
彼女は顔色を変えず、馬の額に自分の額を重ねてあっけらかんと言う。
「こうなったのもなにかの縁だし、仕方ないって諦めて、私と生きましょ」
来たる戦場で命を預ける征馬へと、オデットはそんな言葉を掛ける。軽い口調の割に、敬意を払う恭しい姿は厳かで、声を掛けるのも躊躇われた。
「元主人だって人に負けないぐらい立派な騎士になるから、私で妥協して」
妥協、などという未練たらしさで、この馬が彼女に興味を示しているわけでないことは、テルにも分かった。見も知らない戦死した青年への敬意を払う彼女だからこそ、この気位の高い馬もじっと耳をそばだてて聞いているのだろう。彼女の声は高すぎず耳触りが良い。
しかし、オデットは何事もなかったかのような顔で、急にテルを振り返った。
「やっぱり伝言いい?」
「は、……ええ」
とうとつに振られて目を丸くしていると、静粛な雰囲気を一掃した蓮っ葉な少女は、にやりと俗っぽく笑う。
「本当に嬉しいっていうのと、将来知らずに敵対しても恨まないでって話を、失礼がない言い方で伝えといて」
言って、手綱を引いて歩き出す。名を与えられた牡馬ーーアリオンの歩き方は、意外なほど従順に見えた。
加えて受けた伝言ときたら、ジェドがたいそう気に入って大笑いしそうな言いぐさで、しばらく呆気にとられた。
少しの間を置いて、口元を押さえる。手や肩が震えた。
「……ふ、ふふ」
「……お?」
「す、みませ……びっくりして。はい……確かに承りました」
勝手に顔が綻ぶ。振り返ったオデットは、不思議そうな顔をした後、質問する代わりにつられたように笑う。
「あんた、思ったより喋んのな」
「……仕事、だったので。世間話などは……」
「苦手? ま、喋れるの分かっただけいいや」
肩に掛かる赤い髪を払う仕草も、年頃にしてはどこか少年的な健全さで、瑞々しい印象をしている。
「慣れたら遠乗りに誘われてくれる?」
「スペードの王に睨まれない程度なら、喜んで」
頷けば、オデットは「気ぃつけるわ」と笑って厩番の宿房へ向かった。登録や馬房の割り当てを聞きに行く必要があるためだ。ゆらゆらと優雅に振れる馬の尾を見送って、テルは一人苦笑した。
珍しくも、饒舌にもなる。
彼らの因縁を考えると、ヨハンの名前を出した時に彼への罵倒の一つも吐いておかしくない。そうならない辺り、ますます意外で好ましくなる。公正を謳う少女は、自分の信条に従って真っ当だ。そして凛々しく、とびきり苛烈で、その内面までが強い。
――まるで騎士のように。