表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/31

8・髪の毛オバケをやっつけろ!

 美容室のダンジョンにオバケが出るという噂が広まった。そして案の定、客足が遠のいてしまった。

 いい迷惑だわ、とマアトは思う。誰が言い出したのか知らないが、捕まえて坊主頭にしてやりたい。


「まあ、こんな時だからこそできることがあるわね」


 いつもはタイガと水野に任せている床清掃を、一人でじっくりやってみた。鏡や洗面台もぴかぴかに磨き、入り口をいつもより華やかに飾り付ける。日が暮れる頃、ようやく客がやってきた。深緑のコートを着て、分厚いマフラーで口元を覆った男だ。


「こんにちは。ここにオバケが出ると聞いたのですが」


 マアトはうんざりする。どうせならテレビ局が取材に来てくれればいいのに、と思う。


「変な噂が流れてるみたいだけど、きっと誰かのイタズラよ」

「そう! オバケのイタズラです」


 男はマフラーを取った。マアトより少し年上ぐらいだろうか。やや長い黒髪に、穏やかな顔立ちをしている。


「僕はゴーストハンターのタフといいます。噂好きのオバケなら、大して強くもないでしょう。すぐにやっつけて見せます」

「ちょ、ちょっと待って。うちにはオバケなんていませんってば」


 タフは慣れた様子で階段を下りていった。追いかけると、地下五階のカラーリングセットの横で立ち止まり、いたいた、と言う。


「ほら、この子ですよ」


 タフが指さしたのは、壁のシミだ。歯磨き粉をにゅっと出したような形でぼんやりと白く、オバケに見えなくもない。


「恐怖心というのは、意外なところから生まれます。台所に現れる黒い虫が怖いとか、三か月放置したぬか床が怖いとか思ったことはないですか」

「それは誰でも怖いわよ」


 タフは壁のシミを叩いたりなぞったりし、丹念に調べた。そしてため息をつき、これは難しい、と言った。


「完全に壁と一体化してますね」

「だってシミだもの」

「いったん何かに憑依させないと倒せません。ここには君と僕しかいませんから……」


 マアトは後ずさった。壁のシミとはいえ、乗り移られるなんて嫌に決まっている。生気を吸い取られて、それこそ放置されたぬか漬けのようになってしまう。

 タフは笑い、大丈夫、と言った。


「僕が憑代になりますから、マアトさんが倒してください」

「あなたを……倒す?」

「髪に乗り移ってもらうのがいいでしょう。綺麗に切ることができればマアトさんの勝ちです」


 言うが早いか、タフは壁に頭を押し付けた。壁のシミがあるところにつむじをぴったり当て、小声で何か唱えている。


 もういいです、とマアトが言おうとした時、壁のシミがむずむずと震え出した。発泡スチロールのきしむような音とともに、壁の表面から盛り上がったかと思うと、タフのつむじに流れ込んだ。


『誰だ……』


 タフの髪が広がり、イソギンチャクのように逆立った。黒い色がくすみ、濁った灰色になる。


『私を呼ぶのは誰だ!』


 つむじから低い声が響き、空気を震わせる。生暖かい吐息が顔にかかり、マアトは逃げ出したくなった。


「さあ、マアトさん、切ってください!」


 髪の下からタフが叫んだ。マアトはハサミを取り出したが、近づけようとすると手が止まってしまう。磁石の同じ極同士をくっつけた時のようだ。


「マアトさん、早……く……」


 タフは懇願するようにマアトを見つめ、突然表情を失った。光のない目が、遥か遠くを見ている。


『お前が私を呼んだのか。身の程知らずめ』


 タフの口から髪の毛の声が漏れ出てくる。完全に乗っ取られてしまったのだ。


「あ、あたしは腕利きの美容師よ。山口閣下のお墨付きだもの」

『馬鹿げている。髪なんて伸び放題かハゲ、二択で十分だ』


 恐ろしげな声より、内容に腹が立った。伸び放題もスキンヘッドもそれなりに手入れが必要なのに、何もわかっていない。


 マアトはハサミを振り上げた。今度はしっかりと力が入った。


「覚悟なさい! これ以上あたしの店に手出しはさせないわ!」


 刃を開き、タフの髪に切りつけた。灰色の塊が飛び散り、どさりと落ちる。


『まだ、まだ……!』


 残った髪が束になり、マアトの腕に絡みつく。反対側の手ですかさず切るが、今度は後ろの毛が伸びてきて、首に巻きついた。


「ぐ……苦しい」

『認めろ。美容室は高いし面倒だ。切ってもすぐに伸びて不格好になる。お前のようにセンスの欠片もない奴に切らせたらなおさらだ』

「違うわ!」


 マアトは懸命に手を動かし、巻きついた髪にハサミを差し入れた。切り落とすと、肺にどっと空気が流れ込む。


「髪型を変えれば気分も変わる。そういうちょっとした変化で、仕事も恋愛もうまくいくようになるのよ。ついでにあたしのセンスは、人間から動物にまで幅広く支持されてます!」


 タフの前髪、サイド、後ろをひと思いに切っていき、長さがそろわなくなったのでもう一周する。それでも合わないのでもう一周。最後は襟足からつむじへ、つむじからもみ上げへ、ジグザグと駆け回るようにハサミを動かした。


『ああ、やめろ、やめろ……!』


 タフの口から白い煙が漏れ、視界を覆ったかと思うと、次の瞬間には消えていた。タフは床に崩れ落ち、動かなくなった。切り落とした髪は、元の黒い色に戻っている。ものすごい量だ。


「タフさん。ちょっと、大丈夫?」


 マアトが手を差し伸べようとすると、タフはがばりと起き上がった。落ちた髪の山を見て、自分の頭をさわり、ああっ、と声を上げる。


「だめです! 逃げられました」

「えっ?」

「言ったでしょう。綺麗に切らないとだめなんです!」


 マアトはむっとして、タフを鏡の前に引っ張っていった。多少切りすぎてしまったかもしれないが、けなされるほどではない。と、思いたい。


「どこが不満なの?」

「オバケに聞いてください」

「オバケはどこにいるの?」

「さあ。どこかでまた、別の噂を流しているんでしょう」


 マアトは少し考え、それならそれでいいか、と思った。どうせ噂なんて、あちこちに立っては忘れられていくものだ。


「さて、また探しに行かなくちゃね」

「どうしてオバケなんか探すの?」


 タフは優しい笑みを浮かべた。


「君が髪を切るのと、きっと同じ理由ですよ」


 憑き物が落ちたような笑顔だった。実際に、乗り移っていたオバケが離れたばかりなのだ。それなのにまた乗り移られに行くなんて、余程の物好きなのだろう。


「タフさん、髪、やっぱり切りすぎたかも……」

「大丈夫ですよ。次は歯か爪に乗り移ってもらいますから」


 飄々とした足取りで、タフは帰っていった。マフラーを巻いていても、虎刈りの後頭部が寒々しい。次に来た時は、柿のヘタで作った養毛剤をサービスしようと思った。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ