7・純白の男
シラユリ帝国の山口閣下が、美容室のダンジョンにやってきた。中世貴族のような共布のマントを肩にかけ、トルコ石のついた剣帯を巻いている。黒い髪は長く、つややかだ。
閣下は純白のブリーフしか履かないことで有名だ。マアトは緊張しながら店の中に案内した。
「山口さん、今日はどのようにしましょうか」
「うむ。まずは私のブリーフを見てもらおう」
「それは結構です」
地下一階では、友達のタイガと水野が床の掃除をしていた。手伝いの者です、とマアトが言うと、山口閣下は血相を変えて近づいていった。タイガの襟首を掴み、お前は、と叫ぶ。
「お前はトランクス派だな。それもトラ柄の。見なくてもわかる!」
タイガが一言も返せずにいると、今度は水野に向き直り、わなわなと震える。
「お前は、プールのある日はズボンの下に水泳パンツを履いて登校するタイプだな。そして帰りに履くものがなくて詰む。このゆとりが!」
マアトは山口閣下を取り押さえ、暴力はやめてください、と言った。閣下はきょとんとして、マアトに握られている手を見た。
「ずいぶん積極的だな。今日は散髪に来たのだが、どうしてもと言うならデートぐらいはしてやっても良いぞ」
「いえ、散髪をしましょう」
マアトは山口閣下に椅子をすすめ、カタログを見せようとした。しかし閣下は断り、私は純白のブリーフを履いている、と言った。
「知ってます」
「何っ。見たのか。なんという不埒な!」
「見てませんけど、有名ですもの」
マアトが言うと、閣下は満足そうに微笑んだ。こうして見ると、とても端正な顔立ちをしている。
「では話は簡単だ。そのブリーフにぴったりの髪型にしてほしい」
「ブリーフに……ぴったり?」
「明日、ハクマイ帝国の王女と見合いをすることになっている。お前が腕利きの美容師だと聞いて、ぜひ頼みたいと思ったのだ」
なるほど、とマアトは思う。これは責任重大だ。腕利きの美容師と言われたのは嬉しいが、ブリーフに似合う髪型なんて考えたこともない。
「えーと、あたし、ブリーフにはあんまり詳しくないんです。男性二人の意見も取り入れようと思うのですが」
「ああ、良いぞ良いぞ。これぞブリーフ閣下、という髪型を考えてくれ」
すると、すかさずタイガが手を挙げた。山口閣下が怖い人ではないとわかり、親しみを持ったようだ。
「俺、金髪のウエーブがいいと思う!」
「ほう。なぜだ」
「ブリーフはシンプルな形だから、頭は派手なほうがかっこいいでしょ」
「なるほど。お前は?」
閣下は水野に目線を移した。水野は真面目な顔で、ツインテール、と言った。
「ブリーフを頭にかぶって、両側の穴から髪の毛が出るようにする」
ふざけないで、とマアトは叫んだ。ところが山口閣下は立ち上がり、水野の手を取った。
「同志よ!」
うっすらと涙ぐんでいる。タイガとマアトが呆れてものも言えない中、閣下は天井を見上げて話し出す。
「前回の見合いはそれで臨んだ。しかし相手は、ヒヤムギ帝国の第二王女だったんだが、私を見るなり乾麺を投げつけてきた。お前みたいな変態は見たことがないと言ってね。目にも心にも突き刺さって、それはそれは痛かった」
「ひどいね。そんな女、お鍋のついでに煮込んじゃえばいいよ」
水野が優しく言うと、閣下はすぐに機嫌を直した。そして麺の茹で加減について熱く語り始めた。このままではいけない、とマアトはカタログのページをめくった。
「山口さん、純白のブリーフの魅力は何ですか?」
「それはもちろん、清潔感だ」
「そうでしょう!」
開いたページには、プラチナブロンドのスポーツ刈りや、ゆるいウエーブのついたショートヘアが載っている。モデルの男性たちはとてもハンサムだが、山口閣下も負けていないとマアトは思った。
「これが何だと言うのだ」
「山口さんにぴったりだと思います」
「本当か?」
「はい」
山口閣下はしばらく考え、深くうなずいた。
「わかった。お前に任せよう」
しかし今日に限って、ダンジョンが不機嫌だった。
山口閣下の髪を洗っている途中、シャンプー台の下に突然落とし穴ができ、泡だらけのまま次のフロアに落とされてしまった。
ドライヤーを使おうとすると、コンセントが爆破スイッチに変わっていて、閣下のマントが黒こげになった。
散髪フロアへ向かおうとしても階段が見当たらず、見つけたと思ったら豆腐でできた偽物だった。マアトは足を滑らせて転び、閣下も豆腐の中に頭を突っ込んでしまった。
「もう! シャンプーのやり直しだわ」
「そうだな。でも楽しいじゃないか」
毒矢の罠を避けながら髪をとかし、波打つ床の上でバランスをとりながら切り、足に噛みつくシュウマイのモンスターと戦いながら形を整えた。終わった時には山口閣下の服はあちこち千切れ、剣帯のトルコ石も全部もげてしまっていた。
「おお! いい出来だ。頭が軽いぞ」
この状況下にしては確かに上出来だった。サイドは短く刈り、トップにウエーブをつけて柔らかく仕上がっている。顔立ちがくっきりと引き立つようになった。
「それにしても、ダンジョンというのは楽しいものだな」
「そ、そうですか」
マアトは閣下の服を上から下まで見て、どこをどう繕えばいいか考えた。縫い直したところで、宝石は元に戻せない。弁償しろと言われたらどうすればいいだろう。
「よし、決めた!」
山口閣下は膝を叩いて言った。
「見合いはやめて、私もダンジョンで働こう」
「ええっ!」
「国も地位も惜しくない。純白のブリーフが黒く汚れるまで働くぞ」
そこまで固い決意なら仕方ない。マアトは黙って見送ることにした。
しかし山口閣下は帰らなかった。新しい髪型をタイガに見せたり、水野に服を縫ってもらったりして、いつまでもそこにいる。
「あのー、もうすぐ閉店なんですけど」
「この二人はまだいるじゃないか」
「二人は手伝いに来てるんです」
「私も手伝いに来ているんだが」
山口閣下はいつの間にか、散髪スペースの隣に自分のコーナーを作っていた。コーナーといっても木のテーブルにブリーフを並べただけだ。
「客が来たら、お前が髪を切る。私はブリーフを売る。素晴らしい連携だと思わないか?」
「帰ってください」
「まあ、待て、一緒に働くうちにわかるだろう」
「帰ってくださいってば!」
明日から毎日この状態なんて、とマアトは頭を抱えた。
しかし、そうはならなかった。ダンジョンがまたしても機嫌を損ね、フロアごと真っ二つに割れたのだ。マアトの散髪コーナーは上の階に跳ね上がり、ブリーフ展示場は山口閣下を乗せたまま、地下深くへと潜っていった。
「あ……あらら。山口さーん」
階段から呼びかけても返事はない。美少女の写真を糸の先につけ、落とし穴から垂らしてみてもだめだった。
「このダンジョン、何階まであるの?」
タイガが言った。マアトは思い出そうとして、そもそも知らないことに気づいた。自分が使うフロア以外は、覗いたこともなかったのだ。十階までなのか二百階までなのか、見当もつかない。
「大丈夫だよ。あの人ならきっと楽しくやれるよ」
水野はのんびりと言い、光るかけらを握ってポケットに入れた。ただの水滴のようにも、トルコ石のようにも見えた。
山口閣下の能力と根性なら、きっと自力で上がってこられるだろう。そう信じて、マアトは帰り支度をした。