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3・魅惑の帽子

 休みの日にマアトがすることといえば、もっぱら裁縫だ。ぬいぐるみやバッグ、セーターなどを作り、ネット通販で売っている。評判はそこそこ、出来はさまざま、要するにムラがある。


 そんな中、マアトの作った帽子を買った女性が、はるばる美容室までやってきた。マアトのセンスが気に入ったのだという。


「はじめまして、ゆみかと言います」

「は、はい! いらっしゃいませ!」


 とても上品な雰囲気の女性で、マアトは思わずかしこまってしまった。


「可愛い美容師さんね。一人でやってるの?」

「はい。狭いですけど、どうぞどうぞ」


 マアトはゆみかを案内し、まずは階段の踊り場にあるヘアカタログを見せた。ゆみかは長い髪を一本にまとめ、三つ編みにしている。癖がなさそうなので、どんなふうにもアレンジできそうだ。


「わかめウエーブというのはいかがでしょう? それとも思い切って、いがぐりショートにしてみます?」

「あのね、あなたが作った帽子に似合う髪型にしてほしいの」

「えっ!」


 マアトは頬が熱くなるのを感じた。そこまで気に入ってもらえたなんて、と胸がいっぱいになる。そして少し気恥ずかしい。


「これなんだけど」


 ゆみかがバッグの中から取り出したものを見て、マアトは凍り付いた。

 薄茶色の地に小花模様の刺繍をした、確かにマアトの作品だ。落ち着いた紫と白の花は、まさにゆみかのような女性に似合うと思って作ったのだ。

 しかし、それは帽子ではなかった。


「あの……ゆみかさん、それは」

「そうなの、ちょっと小さいのよね。私の頭が大きいのかしら」

「違います! それは、トイレのドアノブカバーです!」


 ゆみかは目を丸くして、手に持った作品を見た。驚くだろうか。失望して、もういらないと言うだろうか。それでも何でも、トイレのドアノブカバーなのだから仕方ない。


「ちっとも気がつかなかったわ」

「そうですか……」

「じゃあ、これに似合う髪型にしてくれる?」


 マアトはよろけ、後ろに倒れそうになった。しかし部屋が狭いので踏みとどまり、やっとのことで笑顔を向けた。

 客の髪は客のものだ。断る理由はない。


「わかりました、それじゃあ」


 カタログのページをめくり、シニヨンヘアのバリエーションをいくつか見せた。頭の後ろに大きなお団子を一つ作り、そこにドアノブカバーをかぶせてはどうかと思ったのだ。

 ゆみかは顎に手を当て、そうねえ、と言った。


「確かに可愛いけど、それってお団子をカバーで包んでるだけでしょ。帽子らしくないじゃない」


 だから帽子じゃないんですってば、とマアトは叫びたかった。それでも考えに考え、まずはゆみかの髪をカモミールのシャンプーで洗い、頭皮から首、肩、腰までをマッサージした。疲れのせいでドアノブカバーが帽子に見えているのではないかと思ったのだ。


「ああ、気持ちいいわ。ここのところずっと仕事で、美容院なんて行けてなかったから」

「どんなお仕事なんですか」

「営業よ。マアトさんみたいに、手に職があったらいいんだけど。こんな可愛い帽子が作れて、ぴったりの髪型も考えられたら、きっと毎日が楽しいでしょうね」


 だめだ、とマアトは小さく肩を落とした。こうなったら腹をくくるしかない。


「ま、任せてください! 絶対に似合う髪型にします!」


 まずは両サイドと後ろから均等に髪を集め、頭のてっぺんから少し右にずれた位置で結ぶ。それを二つに分けてそれぞれ三つ編みにし、片側は丸めてシニヨンに、もう片側はシニヨンの根元をぐるりと囲んで留めた。

 残った髪は肩までの長さに切りそろえ、柔らかく内巻きにした。


「そして、シニヨンにカバーをかぶせれば!」


 根元の三つ編みが帽子のつばのように見える。ちょうど、ミニハットを傾けてかぶったような格好だ。それでいて、邪魔な紐やリボンはない。完璧だ。


「可愛い! イメージ通りだわ」


 ゆみかは鏡を見て、顔をほころばせた。三つ編み帽子と毛先に手を触れ、ほうっとため息をつく。


「あなた、素晴らしい美容師さんね」

「そんなあ。ゆみかさんが素敵だからですよ」


 そう言いながらも、マアトは内心誇らしかった。手芸も好きだけど、案外こっちのほうが天職かもしれない。雑誌やテレビの取材が殺到したら、何を着て出ればいいのだろう。やはりドアノブカバーだろうか。


「これで来週の飲み会も堂々と参加できるわ。春雨王子って呼ばれてるイケメンも参加するの。春雨みたいな髪型なんだけど、これがまた素敵で」

「えっ。来週……?」


 ひとたびシニヨンをほどいてしまうと、ゆみかの髪はどうなるか。外側が長く内側が短い、つまりとても不格好なスタイルになってしまう。

 そしてそれを自分で元のシニヨンに結い上げるのは難しい。できないことはないが、貴重な朝の時間を三十分、いや、慣れるまではもっと潰さなければならないだろう。


「あの、それ……」

「ありがとう! ちょっとした一手間が、一日の気分を変えるのよね。それって少しももったいないことじゃないと思うわ」


 ゆみかの晴れやかな笑顔を見て、マアトはそっと口を結んだ。直しましょうか、と言おうとしたのだが、そんな必要はないだろう。


「ありがとうございます。お仕事頑張ってくださいね!」


 帰っていくゆみかの後ろ姿に、マアトは長く深く、一礼した。

 遠ざかるにつれて、働く女性の姿がだんだんにぼやけ、ミニハットをかぶった少女がスキップをしているように見えた。


挿絵(By みてみん)

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