29・ドラッグストアのダンジョン
シャンプーとトリートメントを同時に切らしてしまったので、買い出しに行くことにした。出かけようとすると水野がやってきて、掃除ついでに店番をしてくれると言った。
マアトは悩んだ。水野を一人にするととんでもないことになるのは目に見えている。竜巻や洪水を起こして壊したダンジョンの数はいくつだったか、もう数えるのもやめていた。
「ちゃんと接客できるの? お金のやりとりとか」
「やったことあるよ。百円ショップのダンジョンで」
悩んだ挙句、任せてみることにした。ほかの仕事はともかく、散髪の腕とセンスは信用できる。少しの時間なら大丈夫だろう。
水野は長いローブの上に星の模様のエプロンをかけ、行ってらっしゃい、と手を振った。マアトは急ぎ足で階段を登り、街へ出た。
ドラッグストアのダンジョンは、前に来た時とは少し配置が変わっていた。石鹸や歯ブラシたちはマアトのことを覚えていて、買ってもらいたがった。ネット包帯ははしゃいで絡みついてくる。でも足裏用ホッカイロは不機嫌で、近くを通ると爆発した。
肝心のシャンプーとトリートメントは、青いトカゲのモンスターに捕まり、身動きができなくなっていた。
「離しなさいよ、嫌がってるじゃない」
「嫌がってる? シャンプーとトリートメントが? バカだねえ、これだから頭のおかしいお嬢ちゃんは」
マアトは携帯用モップを伸ばし、トカゲの胸元をぐきっと突いた。トカゲは両目を見開いて咳き込み、シャンプーとトリートメントを落とした。
「トカゲが喋るんだもの。シャンプーとトリートメントにも意志があって当然だわ」
ところが、シャンプーとトリートメントはマアトのことも気に入らなかった。
「俺たち、お金持ちの奥様のところに行くんだよな」
「ああ、大出世だぜ!」
マアトは呆れた。お金持ちの奥様が買うにはどう見積もっても安すぎる。
「美容室のダンジョンで働くことこそが最大の出世よ。さあ、あたしと一緒に来なさい」
マアトが抱え上げると、シャンプーは嫌がって暴れた。トリートメントは中身を床に噴射し、マアトは滑って転んでしまった。
「ほら、やっぱりお前じゃ扱いきれないだろ。買い占めてやるからよこしな」
青いトカゲが起きてきて言った。シャンプーとトリートメントはいよいよ騒ぎ出し、嫌だ、高級バスタブに薔薇を浮かべて至福の時を過ごすんだ、と口々に叫ぶ。
「どうしようもない奴らだわ」
「ここは協力しよう」
トカゲがシャンプーを、マアトがトリートメントをフロアの隅に追い詰め、一対一で戦うことにした。しかし、トリートメントを捕まえたと思ったらそれは大きな霧吹きで、フロア中を水浸しにしてしまった。
マアトは唐突に水野のことを思い出した。もうずいぶんと長く店を空けてしまった。嫌な予感がこみ上げてくる。
「あたし帰る!」
「はあ? 協力しようって言ったじゃないか」
「あんたが勝手に言ったんでしょ!」
トカゲを振り切り、別のメーカーのシャンプーとトリートメントを買うと、マアトは走ってダンジョンを出た。来た時とは構造が変わっていて、階段の途中に試供品やチラシがたくさんあり、通ると飛びついてきた。出口がわかりづらく、結局いくつものフロアを回る羽目になってしまった。
「前は毎日こんなふうにダンジョンを冒険してたのよね」
タイガと掃除ギルドで働いたり、手芸屋のダンジョンで販売の仕事をしていたことを思い出す。美容室の仕事も楽しいけれど、モンスターや罠と戦いながらダンジョンを駆け回っていた日々が懐かしくなった。
「服もバッグもずいぶん作ってないな。地下水のほこらでは今も布が取れるのかしら。ぬいぐるみたち、みんな元気にしてるかしら」
退屈したシャンプーとトリートメントが袋の中でひそひそ話し始める。私たちって間に合わせで買われたのよね、信じられない、ノンシリコンなのに、この人絶対何もわかってないわよ。
マアトは袋の口をきゅっと縛り、美容室のダンジョンへ急いだ。
美容室のダンジョンは、出かけた時のままだった。入り口にはマアトの作った看板とフェルトの花飾りがあり、どこも壊れていない。
良かった、と中へ入ろうとした瞬間、凍りついた。
階段がない。ただの狭い洞窟だった。
「水野さん? ちょっと、水野さん? いるの?」
マアトはしゃがみ、床に向かって叫んだ。ごろんと置かれた袋の中で、シャンプーとトリートメントが小さく悲鳴を上げる。
ここだよ、と上から声がした。マアトはあちこち見回し、水野を見つけた。看板の上の、ほとんど幅のないスペースに腰掛けてハサミを磨いている。
「おかえり。遅かったね」
「水野さん! これは何」
水野はハサミをエプロンにしまい、ふわりとローブをなびかせて降りてきた。階段のなくなった床を見て、ああ、と言った。
「ダンジョンも髪を切ってほしがってたから、地下一階から下を全部切り落としてあげたんだよ」
水野の笑顔に、怒りよりも何かぞっとするものを感じた。どうしてこの人を店に入れてしまったのだろう。そもそもどうして関わってしまったのだろう。
「このダンジョンが何だかわかってるわよね?」
「うん。髪を切ってほしがってたよ」
「ここはあたしの大事な店なの。あたしとお客さんの大事な場所なの。それをどうして」
どん、と足元に衝撃が走った。見ると、床が真っ二つに割れている。マアトはよろけ、壁につかまった。その壁も揺れてひびが広がり始める。
「何? 何なの……?」
割れた床から、大きく鋭い爪が覗く。みしみしと音を立て、金のうろこに覆われた体が上がってくる。
「髪を……切って……くれ……」
低くまとわりつくような声が響く。ほらほら、と横から水野が肩を揺さぶる。
「聞こえた? ダンジョンって意外とよく喋るね」
マアトは水野を軽く突き飛ばし、床から出てくる怪物を凝視した。歯のない口、ダイヤモンドのような目、細長い体はまだ全貌が見えない。光るうろこの一枚一枚にマアトの顔が映っている。
「これはダンジョンの声なんかじゃないわ……これは……」
鉤爪を床にかけ、さらに亀裂を広げながら尻尾の先まで姿をあらわす。それは魚の体に爬虫類の足が生えた、奇妙なモンスターだった。
「髪を……切ってくれ、早く」
生暖かい息が全身にかかり、マアトは壁にしがみついた。何が起きているのかさっぱりわからない。ちらっと目配せをすると、水野は真剣な顔でうなずいた。
「うん、さっぱりわからないね。一体どこが髪なのか」
次回へ続きます。




