28・不思議の国からふたたび
美容室のダンジョンが、またシメサバ町と繋がった。階段が急に波打ったかと思うと、そこから誰かが入ってくる気配がした。マアトは恐る恐る振り向く。
「なんだ、ここは美容室か。私は帽子屋を探していたのに」
不機嫌そうに階段を上ってきたのは、黒い肌に銀色の髪をなびかせた若い女だ。マアトはさらに身を固くした。
「あなたは、さくらさんを狙っていた……!」
もそもそ山の山嵐だ。そうに違いない。
「違う、スタスタ山の山姥だ。さくらは町長になったぞ。残念ながら、もう私に手出しはできない」
「そうなの? 良かったわ、さくらさんは元気?」
山姥は鏡の前まで歩いてきて、ふっと息を吹きかけた。すると鏡の表面が虹色に輝き、見たことのない景色が映った。街路樹に囲まれた広場にたくさんの人が集まり、不思議な言語で喋っている。
「ハピョマヴォーレシェモンモッモフーソレ」
「アハルーノエオゾゾミョミガージジブピナソッシニュニア」
マアトは思わず吹き出した。よその国の言語を聞いて笑うのは失礼だとわかっていたが、あまりにもおかしかった。
言語じゃないぞ、と山姥は言った。
「今のは呪文だよ。魔法の呪文」
「えっ。とてもそうは聞こえなかったけど」
「まだ練習中だからな。ほら、ここ」
山姥が指さした場所には、さくらが映っている。マアトがセットした猫ウィッグをかぶっているので一目でわかった。隣には黒いローブを着た女性がいて、何かささやきかけている。
「大変! さくらさんに死神が憑いてるわ」
「あれは大魔女・スミだ。町長に雇われて個人講義をしている。他の奴らはまあ……見込みがないね」
町民たちは一心不乱に呪文を唱えたりステッキを振ったりしているが、ほとんど何も起きていない。ソーセージが出てきて踊ったり、メガネが勝手に弾け飛んだりするだけだ。
さくらだけは大魔女の手ほどきを受け、自由に雨雲を作って雨を降らせられるまでになっていた。
「それで、あなたは帽子屋を探してるの? 雨よけのため?」
「違うよ、魔法使いといったら帽子だろう。誰一人かぶっちゃいないじゃないか。カチューシャだのティアラだの、そんなもので着飾ってるから魔法が上達しないのさ」
マアトはまばたきを繰り返した。山姥はシメサバ町民をバカにしているのかと思いきや、なかなか面倒見が良いらしい。そして、形から入るタイプのようだ。
「良かったら、あたしが作った帽子を見ていかない? 散髪だけじゃなくて裁縫も得意なのよ」
「本当に得意なのか?」
山姥はフロアに飾ってあるぬいぐるみやフェルト小物を眺め、縫い目までつぶさに見ながら言った。
「本当に得意か?」
「そ、そりゃあ水野さんやロージアさんやオペラさんみたいに上手じゃないけど」
「この犬、はらわたが出てるじゃないか」
マアトは怒りをこらえ、それはクマよ、と言った。
山姥は無遠慮にフロアを歩き回り、マアトが作ったシルクハットやキャスケットを手に取る。そのたびに首を振り、いまいちだね、と言った。
「どれもこれも作りが甘い。一番マシなのはこれだ」
山姥がつまみ上げたのは、山口閣下が置いていった白いブリーフだ。
「これにする。町民全員分欲しい」
「ちょ、ちょっと、ちょっと待って。帽子がだめなら、帽子風のヘアアレンジだってできるわ!」
大きめのシニヨンを作り、その周りに飾りをつければ帽子のようにできる。町民全員を招くのは大変だが、店が繁盛するならそれに越したことはない。
「シニヨンねえ。髪のない奴はどうするのさ」
「あ……」
おまかせください、と歌うような声がした。赤い薔薇の花びらが宙に散ったかと思うと、精霊ロージアと柿のはなうたがフロアの中心に現れる。二人は美容室のダンジョンに住みつき、柿のヘタでウィッグを作っているのだ。
「見てください、この春の新作、崩れるピラミッド風リゾートハット型ウィッグです」
ロージアが掲げたウィッグは、髪の毛というよりつば広の帽子のように見えた。しかし名前の通り崩れやすいので、ほどけてただのウエーブヘアになってしまったり、絡まり合って毛糸玉のようになってしまったりする。
まだまだありますよ、とはなうたが言う。
「これは私のヘタを細かく裂いてまばらにした、ハゲかつら風ウィッグです。ロージアさんの薔薇エキス配合で魔法防御が二倍になります」
「見た目が残念すぎるわ!」
しかし山姥はそのウィッグを興味深そうに触って確かめている。
「なかなかの強度じゃないか」
「でしょうでしょう。材料も少なくて済むので大量生産もできますよ」
「よし、これにしよう」
マアトが止めるのも聞かず、山姥はハゲかつら風ウィッグと白いブリーフを五十ずつ買い上げた。
「町民全員分には足りないね。後日取りに来るから頼んだよ」
「ねえ、考え直して。この組み合わせは完全に変態よ」
山姥は笑い、謙遜するな、と言った。
「この帽子をかぶれば、才能のない奴らも少しは見られるようになるだろうさ」
どっちも帽子じゃないわ、とマアトは叫んだが、山姥は来た時とは打って変わって上機嫌で帰っていった。下へ向かう階段が蜃気楼に包まれたようにぼやけ、山姥を飲み込んだかと思うと、次の瞬間には元通りになっていた。
「あたし今日、まったく仕事してないんだけど」
そんなこともありますよ、とロージアとはなうたがマアトの肩を叩いた。はなうたに手はないので、実際には頭突きをしただけだった。また鼻を打ったら大変よ、とロージアが笑う。
「山姥さんの銀髪、可愛くアレンジしてみたかったんだけどなあ」
マアトはそっと鏡に触れた。自分の顔とロージアとはなうた、そしてフロアが映っている。どこからともなく、呪文を唱える声が聞こえたような気がしたが、霧が晴れるようにすぐ消えてしまった。
 




