27・空気モグラは空気を読まない
美容室のダンジョンにモグラが住みついてしまった。ただのモグラではなく、空気モグラというモンスターだ。空気モグラは空気の中を掘り進み、穴を作る。見た目にはまったくわからない穴なので、うっかり手や足をとられてしまうのだ。
「これじゃ仕事にならないわ」
マアトはハサミをしまい、ダンジョンを臨時休業にした。客の髪や自分の体が穴にはまって抜けなくなるようでは、とても店を開けられない。
畑のダンジョンに電話をかけ、モグラの退治方法を教えてほしいと頼んでみたが、空気モグラは専門外、まさに畑違いだと言われてしまった。結局いつものように、清掃員のタイガが来ることになった。
「悪いわね、忙しいのに」
「忙しくないよ。最近はまたカーリングギルドに押され気味でさ」
カーリングギルドは競技のついでにモンスターに石をぶつけ、床掃除までこなしてしまうので、掃除ギルドの仕事を食ってしまうのだ。
「あっ、あれが空気モグラだな」
タイガが指差したのは天井の近くだ。茶色い長い毛を逆立てて、モグラが空気を掘っている。ぱっと見は飛んでいるように見えるが、掘り進んだ場所にはしっかり道ができている。
「気をつけて、穴だらけよ」
「うわ」
タイガは見えない穴に足を取られ、動けなくなった。どうにか抜けたと思えば、今度はマアトの肘がはまってしまった。
「なるほど、これじゃ身動きできないな」
「引越しも考えたんだけど……なかなかいい場所がないのよ」
タイガはしばらく考え、マアトのポケットに目をとめた。大小のハサミとカミソリ、櫛が入っている。
「マアト、ちょっとそのハサミ貸して」
「えっ。どうするの」
「これをこうして……こうだ!」
タイガは一番大きなハサミを構え、自分の膝の近くで動かした。円を描いて刃を閉じると、ぽとりと何かが落ちる音がした。
「ほら! 穴がなくなった」
タイガはしゃがみ、先ほど足をとられた空間に手を触れて見せた。どんなに手を動かしても、引っかかるものは何もない。穴を切り取ることができたのだ。
「すごい! 部屋中を切ればいいわけね」
そういえば前にもこんなことがあった。エレジー先生と山口閣下が床に穴をあけた時、散髪用のハサミで穴を切り取り、修理したのだった。
「ハサミじゃなくてもいいかもしれない。やってみようよ」
タイガはバリカンを持って部屋を飛び回り、マアトはハサミとカミソリを使った。入り組んだ穴は切りにくいので、針と糸で縫い閉じていく。
一丁上がり、と思った矢先にマアトの膝がずぼっと穴にはまる。タイガも穴に頭を突っ込み、危うく窒息しそうになった。
すぐそばを、空気モグラがいそいそと移動していく。マアトは頭を抱える。
「こいつを止めなきゃ穴はなくならないわ」
「いるんだよなあ。掃除するそばからゴミを投げ捨てる奴」
モグラは床から天井までうねるように進み、どこに穴があるのかすぐにわからなくなってしまう。
「よし、俺があいつを捕まえる。マアトは引き続き穴をふさぐんだ」
「わかったわ!」
その時だった。
突然モグラが体勢を変え、タイガに向かって走ってきた。鋭い爪を光らせ、毛を棘のように逆立たせて向かってくる。マアトは咄嗟にハサミを持ち、タイガの前に立った。
ジャキンと音がして、手応えを感じた。マアトは思わず目を閉じる。襲いかかってきたとはいえ、散髪用のハサミで生き物を傷つけるのは不本意だった。
しかし目を開けてみると、切れたのはモグラの頭頂部の毛だけだった。
「何よ、びっくりするじゃない!」
モグラのほうも驚いたようで、穴掘りをやめて床に丸くなっている。タイガが手を伸ばすと、ぱっと跳ね起きてまた穴を掘り始めた。しかし今度はスピードが出ず、すぐに捕まった。
「そうか! こいつの毛、ラジコンのアンテナみたいなものなんだ」
「アンテナ? 何を受信して動いてるの」
「えーと、それは」
タイガがポケット図鑑を出して調べ始めたので、マアトは聞くのをやめた。どうせ宇宙のチリとでんぷんを動力に変えている、などとわけのわからないことが書いてあるのだ。
マアトはモグラの胴体をつかみ、散髪用の椅子に座らせた。モグラは縮こまり、震えている。
「どうか、どうか命だけはお助けくだされ」
「命なんか狙ってないわよ。毛は全部刈らせてもらうけど」
「そんなご無体な!」
マアトはハサミを握り、モグラの毛を容赦なく切り落としていった。モグラは悲鳴を上げ、何度も椅子から飛び降りようとしたが、逃げられないとわかると大人しくなった。
「毛がないと動けないの?」
「そんなことはありません。私は目も見えるし鼻もきくし、電話応対も得意です。前にいた会社では英語事務も任されていました」
「でも穴はうまく掘れないのね?」
念を押すように言うと、モグラは悔しそうに目を細めた。元々小さい目だが、尖った鼻の上にしわが寄ったので表情が読み取れた。
「そりゃあね! 毛がないと少しばかり不便ですよ。毛の空気抵抗を利用して穴を掘ってますからね。でもその気になれば、こうやって、こう……」
モグラはふらふらと宙を泳ぎ出し、上へ下へと漂った挙句、タイガに抱きとめられた。
「危ないな。中途半端に残しちゃだめだろ」
タイガはバリカンのスイッチを入れ、モグラの毛をさらに短く刈り取ってしまった。
「あ、あ、ああああ……!」
モグラは鏡を見て、絶望したように崩れ落ちた。少しかわいそうな気もしたが、これ以上店を荒らされてはかなわない。
「なんてことを……こんなに短くしたら、あと一時間は伸びてきませんよ。ああ恐ろしい!」
一時間、とマアトとタイガは声をそろえて叫んだ。
急いでモグラをビニール袋に入れ、針でところどころに穴をあけると、肩に担いで店の外へ走り出た。
「掃除ギルドのコンポストに入れましょう! それしかないわ」
「いくらなんでも残酷だよ。それに一時間じゃ間に合わない」
袋の中でモグラがもぞもぞ動き出す。少し元気になったようで、空気はどこだ、空気はどこだ、と呟いている。マアトは走りながら、空きダンジョンがないか探した。思う存分穴が掘れて、新鮮な空気があって、誰の迷惑にもならない場所はないだろうか。
「あそこだ!」
エンドウ豆のつるでできたアーチを指差し、タイガが言った。柔らかい土の階段が地下へ続いており、それぞれの段に小さなカブが植わっている。畑のダンジョンだ。
「確かに穴は掘れるけど……どこよりも迷惑になるじゃない!」
「大丈夫だよ。空気モグラは空気しか掘らないから」
確かにそうだと思った時には、すっかり毛の伸びたモグラが袋を破って飛び出していた。
「ややっ、空気、空気だ! 広い畑においしい空気、ここですここ!」
モグラはくるりと一回転し、アーチをくぐってダンジョンへ入っていってしまった。マアトは袋の残骸を握りしめ、複雑な気持ちで見送った。
農作物が荒らされないなら、畑の人たちはそれほど困らないだろうか。手入れや収穫をするたびに、肘や頭が穴にはまって大変な思いをするのではないか。
「ここにはクワもスキもブルドーザーもあるから、穴を埋めるのは簡単だよ」
「だといいんだけど」
マアトはため息をついた。とりあえず帰ってモグラの毛でウィッグを作ろうと思った。空気に穴をあける悪戯グッズとして売り出せば、一日の休業分くらいは取り戻せるだろう。
 




