23・カットモデルは宇宙人
美容室のダンジョンに、不思議な人物がやってきた。男性とも女性ともつかないほっそりとした体で、肌がうっすら銀色に輝いている。ロケットのような形の帽子は、まるで頭と一体化しているようだ。
「こんにちは。ユメノといいます」
優しい、でもどこか無機質な声で言った。マアトはつい、相手の全身を隈なく眺めてしまった。
「むぅにぃ星から来ました。この美容室が宇宙の中でも群を抜いて素晴らしいと聞いて」
ユメノは淡いブルーの瞳を細め、穏やかに笑った。えっ、とマアトは声を上げた。
「あたしの美容室が、宇宙で一番?」
「あくまでむぅにぃ星での評判です。地球の斜め向かいにある銀河の、白くて小さい星なんですけど」
まったく聞いたことがない。でも、よその銀河から客が来たのは初めてだ。マアトは嬉しくなり、ユメノをシャンプーフロアへ通した。
「シャンプーはいりません。ひとりでに綺麗になるので」
「そうなの? じゃあマッサージだけにしておくわね」
マアトはユメノの頭にアロマオイルを塗り、こめかみから首筋まで揉みほぐした。揉んでしまってから気づいたが、帽子を取るのを忘れていた。
「ごめんなさい、やり直すわ」
帽子を取ろうとして、形が変わっていることに気がついた。さっきはすらりと縦に長かったのに、いつの間にかソフトクリームのようにうねった形になっている。
「やだ。あたしがへこませちゃったのね」
「あ、違います。これ、帽子じゃなくて頭なんです」
ユメノは歪んだところを両手で整え、丸くして見せた。もう帽子をかぶっているようには見えない。地蔵のようなつるつる頭だ。
「もしかして、形を自由に変えられるの?」
「はい。髪の毛も生やせますよ」
ユメノは頭に手のひらを当て、三回こすって離した。すると、黒々とした髪が伸びてきて、あっという間に床までの長さになった。
「ちょっと長すぎますね」
そう言って、今度は髪を頭に吸い込み、肩までの長さに落ち着かせた。
「こんなだから、一度も美容院に行ったことがなくて」
「そりゃそうでしょ。どうして来たの?」
「どうしてということはないんですけど……一度も行ったことがないのは嫌なので」
マアトは首をかしげたが、なんとなくわかるような気もした。
インターネットで音楽がダウンロードできる時代にカセットテープが流行ったり、二十年以上も昔のゲームの復刻版が発売されたり、便利な世の中だからこそ手間をかけてみたくなるのは宇宙人も同じなのだろう。
「わかったわ。今日は思う存分切ってあげる」
「本当? じゃあ私も頑張ってみます」
ユメノは急に輪郭を歪ませ、金髪の女性になった。太陽のように照り輝く髪を、マアトは惚れ惚れと見つめた。さわってみると、絹のようにさらさらだ。
「これ、好きにしていいの?」
「もちろんです」
マアトはすぐさま、ハサミとドライヤーとパーマ液を同時に構えた。切るか巻くか削ぐか、いっそ天使のようなくるくるパーマにしてしまおうか。
まずは切りそろえよう、と思った時、ばたばたと足音が近づいてきた。
「おーい。俺たちにもやらせてよ」
下の階を掃除していたタイガと水野がやってきて、ユメノを取り囲んだ。待ってよ、とマアトは言った。
「ユメノさんはあたしの技術を見込んで来てくれたのよ」
「いいじゃん。俺たちも一緒に働いてるようなものだし」
「そうそう。金髪美人は分け合うべきって、昔の偉い人も言ってたよ」
そんなことを言う人が偉いわけはない。しかし、ユメノは笑ってうなずいた。
「はい、水野さんの言う通り。どうぞ三人で切ってください」
言われるままに、マアトは真ん中、タイガは左、水野は右サイドに陣取り、それぞれユメノの髪をつかんだ。
「あたし、パーマにしたい」
「俺は銀杏結び」
「僕はバッサリ切り落としたいな」
譲り合っている暇はない。とにかく他の二人よりも早く仕上げて、ユメノに気に入ってもらうのが得策だ。
マアトは勢いよくユメノの髪をとかした。タイガと水野も同時にとかし始め、バーゲンセールのように引っ張り合いながら作業を続けた。
引っ張られるたびにユメノの顔は変わった。美しい女性の顔だったのが、引き伸ばされて顎が長くなり、かと思うとつぶれて目が細くなり、時には髪の生え際がずるりと移動して、まったく作業がはかどらない。
「もう! パーマなんて到底無理だわ」
「確かに。俺たちも切ろう」
マアトとタイガが四苦八苦している横で、水野はためらいもなく切り続けている。考えてみれば、ユメノの髪はいくらでも生えてくるし、失敗しても自動的に直るのだ。
三人で切っていくうちに、ユメノの髪は薄く短くなっていき、金色の輝きも薄れ、気づいた時には芝生頭になってしまっていた。
「こ、このくらいで……やめておこうかしら」
マアトはハサミを置いた。まだ切ろうとする水野を、タイガが押さえつける。
「ああ、すっきりしました。髪を切ってもらうっていいですね」
ユメノはいつの間にか美女の顔に戻っている。しかし、髪は伸びてこない。マアトはふと、北欧神話を思い出した。女神シヴの髪を切り落としてしまったロキが、シヴの夫トールにさんざん怒られた挙句、小人たちのもとへ新しい髪をもらいに行く羽目になるのだ。
「あの……ユメノさん」
柿エキスのウィッグを勧めようか、それとももう一度頭をマッサージしようか迷っていると、ユメノは伸びをして立ち上がった。いつの間にか服装も、白いニットのワンピースに変わっている。
「それじゃ、帰ります」
「えっ。まだ髪が生えてないのに」
「生やさないように頑張ってるんです。せっかく切ってもらったんですから」
ユメノはぎこちない足取りで階段まで行き、一歩一歩慎重に上っていった。
「待って。本当に直さなくていいの?」
「この頭をむぅにぃ星のみんなに自慢します。あっ、ちょっと伸びちゃった」
ユメノは頭のてっぺんを押さえ、足を速めた。マアトは追いかけようと思ったが、去り際を見てはいけないような気がした。恐ろしいモンスターの住処よりも、底のないダンジョンよりも、もっと不思議で手の届かない世界がそこにあるようで、覗くよりもそのままにしておきたかった。
「あー!」
タイガが急に声を上げた。いつも持ち歩いているポケット事典を開き、ページの隅を指差している。
「むぅにぃ星人は、他の星から蕎麦を盗むんだって。星の中心に大きな山があって、宇宙の麺を全部引いてくるって書いてある」
「その本、合ってたためしがないじゃない」
マアトはため息をついた。
たとえ本当だったとしても、ユメノは蕎麦屋のダンジョンではなく美容室のダンジョンに来たのだから、きっと善良な宇宙人なのだ。
「じゃあ、その星に行けば宇宙中の麺が食べられるんだね」
水野が言い、なるほど、とマアトもうなずいてしまった。
蕎麦のように髪が伸び、麺を打つように顔や体が変形するユメノの生態も、そう思うと納得できた。
 




