19・ドキドキ初デート
「男と女でおそろいの髪型ってできるかしら」
ゆみかはカタログを眺めて言った。久しぶりの来店だが、以前と少し雰囲気が違う。ほんわりと暖かな幸せが伝わってくるようだ。
もしかして、とマアトは思った。
「ゆみかさん、これからデートですか」
「デートなんて、そんなんじゃないのよ。ただ、せっかく仲良くなれそうだから……」
ゆみかは照れたように言った。
「この前、女の子とワンちゃんを同じ髪型にしてあげてたでしょ? なんだか羨ましくなっちゃって」
「あ、あれは」
ミカンちゃんと狼のローヤのことだ。不慮の事故で、二人ともカリフラワーヘアになってしまったのだ。
「もっとステキにしてあげますよ。相手の人はどんな感じ?」
「そうね、背が高くて、いつも黒っぽい感じで……」
「ほうほう。クールでかっこいいタイプですね」
切れ長の目をした知的な男性が思い浮かび、マアトは考えを巡らせた。
ミディアムショートにして、襟足を少し長めにしてはどうだろうか。前髪はすっきりさせ、トップに軽いボリュームを出す。
「イメージできたわ!」
「本当? 嬉しい! そろそろ彼も来るはずよ」
しばらく待っていると、誰かが階段を降りてくる音がした。普通の靴音ではない。長い衣服を引きずるような、歩き慣れない動物が無理をして歩くような、そんな音だ。
モンスターか、と思って振り返ると、大きな黒い影が立ちはだかっていた。波打った髪、青白い顔、鋭く光る目、まるで悪鬼のような姿に、マアトはもう少しで悲鳴を上げるところだった。
「クロさん! 急にびっくりさせないでよ」
「お久しぶり、マアトさん」
男は無邪気に笑う。
真っ黒なクレンザーから生まれたこの男は、とてつもない魔力と洗浄力を持っているというが、どこもかしこも鉄のように固い。髪にハサミを入れようものなら、刃が真っ二つに折れてしまう。
「聞いてないわよ。ゆみかさんの彼がクレンザー大魔神だなんて」
「今日はクレンザーとして来たんじゃないよ。お客だもん」
クロは毛皮のコートを着たまま、ゆみかの隣に座った。
「水かきダンサーズの面接会場で会ったんだよね」
「そうそう。二人とも落ちちゃったけど」
どんな状況だかわからないが、仲良くなったのは結構なことだ。しかし、二人を同じ髪型にするのは至難の技だ。クロの髪は生半可な力では切れない上、ウエーブが強力すぎて形を変えることすらできない。
「わ、わかった! やるだけやってみるわ!」
ゆみかが目を輝かせた。クロも同じ表情だ。こうして見ると、しとやかなゆみかと一見恐ろしげなクロが、なぜかお似合いに思えてくる。
マアトは腕をまくり、ゆみかの髪を洗った。クロの髪は間違っても洗ってはいけない。水に触れると泡立ち、ただのクレンザーになってしまうのだ。
ゆみかの髪を乾かし、頭皮をマッサージする。クロの頭は肩叩き棒でぐいぐいと押す。ゆみかの髪にカーラーを巻き、ゆるいウエーブを出す一方、クロの毛先をやすりで削って整える。
「ああ、疲れるわ」
マアトは汗を拭った。ゆみかとクロはお互いの顔を見て、嬉しそうに笑い合っている。それからひそひそと話し、クロがマアトの袖を引いた。
「ねえ、ボクの前髪、ゆみかさんみたいになってないよ」
「えっ」
ゆみかの前髪は左に向かって柔らかく流れている。対してクロの前髪は、額の中央でバネのように渦巻いているのだ。
マアトはクロの前髪を熊手でほぐそうとしたが、どうしても剥がれない。やっとのことで左に数ミリ動かしても、すぐにくるっと戻ってしまう。
「ああ、ボクがクレンザーでさえなければ」
「大丈夫よクロさん。私があなたと同じ前髪にするから」
だめです、とマアトはきっぱり言った。そんなことをしたら、ゆみかが雷神のような姿になってしまう。とはいえ、前髪の印象は大切だ。並んだところを正面から見た時に、一目でペアルックだとわかったほうがいい。
「そうだわ!」
マアトは引き出しを開け、フェルトで作った花飾りを出してきた。入り口に飾ろうと思っていたが、雨続きで作業ができなかったのだ。
「これをこうして……二個、三個、思い切って十個ずつ」
針と糸で縫い合わせて輪飾りのように繋げ、ゆみかとクロの前髪にそれぞれ挿した。
「まあ! 素敵なハチマキ」
「違うよゆみかさん、これは拘束具だよ。ボンデージってやつ?」
違います、とマアトは叫んだ。二人は顔を見合わせ、くすくす笑う。冗談だったらしい。
ゆみかは赤と黄色、クロは紫と水色を基調として、大小さまざまの花を組み合わせた。ガーベラのような形の花は、シンプルだが二人の顔を華やかに引き立たせている。
「せっかく素敵にしてもらったし、出かけましょうか」
「いいねえ。ボクずっと缶の中にいたから嬉しいよ」
さっそくデートを始めるようだ。ついていくのは野暮というものだが、せめて店の外まで見送りに出ようと、マアトは一緒に階段を登った。
出口が近づくと、風の音がした。
「そういえば、午後から」
マアトが言い終わる前に、ゆみかとクロは外へ出てしまった。追いかけると、轟音とともに大粒の雨が顔に吹きつけてきた。
「だ、だめ……クロさん!」
ゆみかの花飾りが飛び、続いてクロの頭からも飛んだ。二本の虹のように見えたのは一瞬で、すぐに暴風がさらっていってしまった。
「きゃ……!」
ゆみかが髪とスカートを押さえる横で、クロは雨を浴びて変形していった。髪のウエーブが氷のように溶け、ぽたぽたと落ちた。肩幅が縮んでいき、黒い毛皮の服は粉になって舞う。目は眠そうな形になり、ゆっくりと光を失っていく。
マアトはふと、コインランドリーのヒヨコのことを思い出した。ヒヨコは溶けて石鹸になったが、ペットボトルですくい集めることができた。クロも同じようにできるのではないか。
「待ってて、今……」
「いいのよ」
入れ物を取りに戻ろうとしたマアトを、ゆみかが引き止めた。髪は乱れ、顔に雨がつたっている。
「見て。クロさんは少しも苦しそうじゃないわ」
「そ、それは……」
確かにそうだ。雨にまぎれていくクロは、まるで景色の一部になったように安らかな表情をしている。
「クロさんはクレンザーの精霊でしょう。それってきっと、自然現象と同じようなものなのよ。時が来れば、また必ず戻ってくるわ」
「そういうものかしら」
「そうよ。だから無理に捕まえたらいけないの。次に来た時、片目と両足がないなんてことになったら困るでしょ」
そんなことを言っているうちに、クロはとぐろを巻いた蛇のような形になり、それもほどけて風雨に乗っていってしまった。
マアトとゆみかは空を見上げていた。吸い込まれていく黒い粒たちはとっくに見えなくなっていたが、それでもじっと見送った。優しいすずらんの香りだけが、かすかに残っていた。
「残念……でしたね」
「何が?」
振り返ったゆみかは、雨を吹き飛ばすほど明るい笑顔だった。
「クロさんと同じ髪型にして、おそろいの髪飾りまでつけたんだもの。幸せよ」
「でも、せっかくのデートが」
「大丈夫。クロさんはきっと約束を忘れないわ」
雨風の中で笑うゆみかは、とても勇ましく艶やかだった。こんな顔をしていたかしら、とマアトは思わず見とれてしまった。
「ゆみかさん、戻りましょう。髪の毛セットし直さなくちゃ」
ゆみかの髪は、もはやクロよりも掃除用のデッキブラシに似ていた。マアトもいつの間にかバンダナを飛ばされ、同じような状態になっている。
「ふふ。マアトさんとおそろいになっちゃったわね」
「水も滴るいい女ですよ、あたしたち」
二人は転がり込むようにダンジョンへ戻り、髪やスカートの裾をしぼりながら階段を降りていった。水を含んだ靴も、べったり貼り付いた前髪も、少しも重く感じなかった。クレンザー大魔神が、心まで洗い流してくれたようだ。




