14・エレジー先生と山口閣下
美容室のダンジョンに、エレジー先生が再びやってきた。自分の家のようにずかずかと入ってきて、棚に薬を並べ始める。
「ちょっと、先生」
マアトは整髪料と水のボトルを抱え、背後に立った。エレジー先生は振り向かず、どんどん薬を並べていく。
「ここは美容室よ。変なもの置かないでちょうだい」
「そんなあなたもラザニアー! いいえそれは餃子の皮ー! 混ぜてこねればきっとちくわぶー!」
エレジー先生の歌は相変わらずひどい。あまりにひどくて部屋が振動している。マアトは壁に手を当てた。
「待って。本当に揺れてる……?」
並べたばかりの瓶がぶつかり合い、次々と落ちて割れる。ついには棚がバタンと倒れ、床にひびが入った。ひびはみしみしと音を立てて広がり、ついには大きな穴になった。
「きゃあ!」
マアトはクッションで頭を覆ったが、すぐに揺れは収まった。そして、ぽっかりあいた床の穴から誰かが顔を出した。
「今日もブリーフ! 明日もブリーフ! 明後日は何も履いてない! 明々後日は留置場! えいやっさー!」
エレジー先生が歌っていたのと同じメロディーだが、こちらは素晴らしい歌声だ。
「その声は、山口さん……?」
くっきりした顔に、よく通る声。シラユリ帝国の山口閣下だ。そういえば地下で行方不明になっていたんだっけ、とマアトは思い出す。
「無事だったのね! 良かったわ」
「ああ。ところでブリーフ展示場についての話だが」
「また今度聞くわ。それにしてもひどい格好ね」
山口閣下の顔は薄汚れ、髪もばさばさで服には蜘蛛の巣がついている。しかし閣下は満足そうに笑っている。
「純白のブリーフのまま、ここへ戻ってくることができた。何ひとつ損なわれていない」
マアトはため息をついた。ダンジョンの床が見事に損なわれている。直すのにどれくらいかかるだろう。少なくとも、今日は店を閉めなければならない。
大丈夫、とエレジー先生が言った。
「髪を切ってる間にささっと直せちゃうよ」
「無理よ、こんなに大きい穴」
「できるよ。エレジーが言うんだから間違いない」
エレジー先生は白衣の腕をまくり、髪をバンダナでまとめた。意外と頼りになるのね、と感心して見ていると、先生は穴のあいた床を素通りして鏡の前に立った。
「ほら山口さん、座って。エレジーが髪を切ってる間、マアトが床を直してくれるから」
「なるほど、それは有り難い」
「ほんと有り難いね」
マアトは穴の前に取り残された。いびつな形の穴には、埃と蜘蛛の巣がついている。
「もう! やるしかないわね」
マアトはくすんだ色の木箱を出してきて開けた。奇妙な形をした工具や建材、虹色のやすり、クレンザー大魔神の残した黒い粉などが入っている。タイガにもらったダンジョン修理セットだ。
タイガは掃除ギルドで働いているが、パートナーの水野がしょっちゅうダンジョンを壊すので、修理も仕事のうちになってしまっているのだ。そんな話を聞いた覚えはあるが、道具の使い方はさっぱりわからない。
刺又のような工具に釘を挟み、床に板を打ち付けようと四苦八苦していると、不協和音が響いてきた。
「今日もブリーフ! 明日もブリーフ!」
「頭にブリーフ! 目にはブラジャー!」
「違うぞ先生。私はそこまで変態ではない」
山口閣下が教える歌を、エレジー先生が調子外れに繰り返す。たちまち板が真っ二つに割れ、使い物にならなくなってしまった。
「恐ろしいわ。板を割るほどの音痴なんて」
自分の手元がおかしかったような気もするが、エレジー先生の歌よりおかしいはずはない。もう一枚、さらに一枚板を重ねて打ち付けてみたが、釘が折れたり工具が曲がったり、ろくなことにならなかった。
「あー、やっぱりうまくいかないね」
「当たり前だ。適材適所という言葉があるだろう。今すぐ代わってくるんだ」
山口閣下がぴしゃりと言うのが聞こえ、マアトは顔を上げた。エレジー先生が近づいてきて、ハサミを差し出した。
「はい、返すよ」
「あら、もういいの?」
ほっとしたのも束の間、エレジー先生はやすりと釘を拾い、山口閣下のところへ戻った。そして閣下の後ろ髪を釘で留め、頭頂部をやすりで削り始めた。
「ハサミじゃなくても問題ないね」
「そうだろう。ところで先生はブリーフ派か?」
「エレジーは派閥なき医療改革を目指してるよ。注射器か釘か、聴診器かやすりか、そんなことにこだわってたら何も進歩しないからね」
マアトはハサミを持ったまま、またしても穴の前に取り残された。エレジー先生が振り返り、赤い瞳を光らせる。
「慣れた道具じゃないとはかどらないでしょ?」
はかどらないのは誰のせいよ、と叫んだところで二人とも聞いていない。
「今日もブリーフ! 明日もブリーフ!」
「天にブリーフ! 地にもブリーフ!」
「五年履いても破れない!」
「エレジーの歌でも破れない!」
マアトはハサミを握りしめ、床に突き立てた。その途端、今までにない感触が伝わってきた。ハサミと指先と腕がひとつになり、力がみなぎってくる。
「えっ……?」
床の穴にハサミを差し入れ、そっと刃を交差させてみる。薄い紙を切ったような、確かな手応えがあった。
すっすっと刃を動かすと、見えない空間が切れていくのがわかった。マアトは一度手を止め、穴のふちに沿って慎重に切っていった。毛先を切りそろえる時のように、正確に穴を切り取っていく。
「やったわ!」
穴はすっかり消え、元の床に戻った。いつの間にか、手のひらが汗でびっしょりだ。マアトが立ち上がると、ちょうど向こうも散髪が終わったところで、山口閣下が椅子を回して振り返った。
「言っただろう、適材適所だと。正しい人の元でなければ、道具は仕事をしないのだ」
マアトはまだ信じられず、自分の手とハサミを見比べた。試しに空中で刃を動かしてみたが、何も起きない。
「こんなことってあるかしら」
「あるぞ。例えば私の」
山口閣下がズボンを脱ごうとしたので、マアトは慌てて取り押さえた。そして顔を上げ、気づいた。山口閣下の頭にびっしりと釘が打ち付けられ、まるで針山のようになっている。
「山口さん……それ……」
「どうだ? 私の新しい髪型は」
「あの……」
「モテそうか? 純白のブリーフが似合うか? そうかそうか!」
マアトは言葉を失った。
伸び放題だった髪は、それほど短くなっていない。表面をやすりでひたすらこすったようで、思い思いの方向に逆立っている。それより何より、こんなに釘を刺されてなぜ平気なのだろう。
「適材適所、だね」
エレジー先生は白衣を手で払い、髪の切りくずを落とした。
「彼の思想には、これくらい釘を刺しておく必要があったんだよ」




