1・マアトの美容室、本日開店!
カプセルホテルのダンジョンが、先週いっぱいで営業停止になった。
ダンジョンとは、不定期に形を変える迷宮で、地下にあったり空高く伸びる塔の中にあったりする。つまり普通はとても危険な場所なのだが、この町ではなぜか公共施設や店として使われている。
カプセルホテルのダンジョンはまだ次の持ち主が決まらず、空きのままだった。
マアトは空きダンジョンを借りて、美容室を開くことにした。人の髪を切ったことはないが、一度やってみたかったのだ。仕事を始める理由なんて、みんなそんなものだろう。
「さあ、まずは準備しないと」
元はカプセルホテルだったので、一つ一つのフロアが狭くて天井も低い。鏡と椅子を置いたらもうスペースがなくなってしまう。
仕方がないので、地下一階はシャンプー、二階はドライヤー、三階は散髪、四階はパーマ、五階はカラーリングと分けることにした。二階と三階の間にヘアカタログを置き、他の階段の途中にはお茶セットやキャンディを置いた。
「これでバッチリね」
マアトは手製のエプロンにハサミや櫛を挿し、ダンジョンの入り口をレースで綺麗に飾りつけた。
新しい美容室の噂はまたたく間に広まり、開店初日から客がやってきた。人間やモンスター、動物や虫までいる。マアトはびっくりしたが、笑顔で出迎えた。
「皆さんありがとう。美容師は私一人なので、順番に並んでくださいね」
すると、紫色のゼリーのようなモンスターが先頭に立った。美容室ができるのを心待ちにしていて、夜のうちからテントを張って並んでいたという。手に乗るぐらい小さくて、よく見ると楊枝で穴を開けたような目と口もあるが、肝心の髪の毛がない。
マアトは紫ゼリーをシャンプーの椅子に座らせたが、シャワー台まで頭が届かない。そもそも頭と体の区別がつかない体型をしているのだ。
仕方がないので、直接シャンプー台に放り込んでシャワーをかけ、ラベンダーの香りのシャンプーでごしごし洗った。つやが増したようなそうでないような、微妙な仕上がりだ。
「お客様、いかがでしょう」
「まだ切ってもらってないよ」
「えっ。でも」
「いいのいいの。遠慮しないで切っちゃってよ」
紫ゼリーが頼み込むので、三階の散髪コーナーへ連れて行った。途中のヘアカタログを見て、あれもいいな、これもいいなと言っていたが、存在しない髪を切ることはできない。
「困ったわねえ」
マアトはポケットを探った。すると、エプロンを縫った時に使った針と糸が出てきた。明るい黄色の糸で、紫の頭によく映えそうだ。
「よーし。これだわ」
マアトは紫ゼリーにざくりと針を刺し、糸を縫いつけた。一本一本玉留めをしては同じ長さに切り、黄色いツンツン頭のように仕上げた。
「素敵!」
紫ゼリーは柔らかい体を伸ばし、鏡を覗き込んだ。
「これ、伸びたらポニーテールにもできますか?」
「うーん、残念ながら伸びないんです。伸ばしたくなったらまた来てくださいね。今度はもっとたくさんの糸を用意しておくので。その分、ちょっと料金はかかりますよ」
「構わないよ! またお願いね」
紫ゼリーはぴょんぴょん跳ねて階段を上り、帰っていった。
のっけから大成功ね、とマアトは胸を張った。髪のない人を散髪した美容師なんて、そうはいないだろう。
「いけない。次のお客さんを待たせてたんだわ」
マアトはハサミと櫛を入れ替え、カチャカチャと鳴らしながら階段を駆け上がった。